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省察研究その20「日常の性」

【出来事】


 以前に書いた、Hさんが企画するバスケット教室が開かれた。

クラスをよりよくするために行っている特別活動での企画活動。今回Hさんは、「フリースロー大会」を企画した。

まず全員が一列に並ぶ。男女やバスケ経験(先生)のように区別され定められたそれぞれのラインから、1人2本シュートを打つ。そのうちの1本でも入ればクリア。もう一度列に並びなおし、その後もシュートを打つ機会がある。もし、2本とも外した場合は、隣のコートに行き、HさんOさんYさんの誰かがシュートの仕方を教えるという内容だった。



 3人の中で、事前に細かい打ち合わせはしていなかったようで、シュートをするのほ見る(補助する)人と、隣のコートで教える人は流動的だった。1人ずつシュートをしていくと、女の子たちは入る人が多いが、男の子はほとんど入らなかった。自然と隣のコートでは、男の子が多く集まる。


 普段は気さくに誰とでも話せるOさんやHさんだが、「えっとー、つまりはですね、まずは両手でボールを持って投げるんですよ」「えーと、届かない場合は、腕をもっと曲げればいいと思うんですよね」と言うように、どこか困り感と照れが入り混じったような接し方をしていた。しかし、すぐには伝えた通りに実践できない友だちがたくさん。教えてもらっている方も、困る。お互いに困っていた。

【担任の省察】


 前回のバスケのレクの後のちょっとした話を覚えていて、クラスメイトがバスケを好きになる、上達するためのレクを企画した3人。

みんなが楽しめるために、という思いから不公平を無くすために、シュートを打つラインを男女・経験者(先生)で3通りに区別した。

しかし、結果としては男子のラインが、3組の男子の多くにとって難しすぎた。また、練習を教える際にも、伝えることの難しさ、伝えたことができない難しさに出会ったと思う。

 翌日レクの振り返りを3人とした。

すると、「苦手な人も、みんなが同じようにシュートのチャンスがあったことがよかったところ」「男子でも届かない人がいるし、女子でも得意な人がいたところがよくなかった。」と話してくれた。次回のレクに生かせることは何か尋ねると、「男子とか女子とか関係ない。不公平をなくすこと」「次はまた試合をするけど、今度は今回のレクの後だから全員がシュートできるようなルールにする」と答えた。


 不公平を無くすために、男女を区別したのに、結果として男女で分けることでは不公平になることを知った3人。友だちのこと、クラスのことを考えた結果、はじめ気が付いたのが男女という目に見える差だったのだろう。しかし、今回の活動を通して、彼らはきっと男女ではなく、1人ひとりの違いを考えないといけないのだと学べたのかもしれない。


あの子からの告白を受けてから、私の中でずっと、「何ができるか」をずっと悩んでいた。何か道徳の時間に人権について、ジェンダーについて取り上げて学習しようかとも一時は考えた。でも、特別な授業、特別な学習をしても、それが生活の場に根付く気持ちになれなかった。そんな悩みを抱える中で、今回の3人のレクがあり、振り返りがあった。



 日常に「性」はある。日常に「人権」はある。3組で生きていく中で、みんなの幸せを願うと、結果として「性「人権」は現れて、その都度私たちに教えてくれる。そんな気がした。今回3人は、無意識に「性」「人権」と出会っている。バスケットを通して、友だちと出会い直している。やっぱり、出会いこそ学びだと改めて思った。そして、どのように出会うか、どこで出会うかは、1人ひとりの趣味嗜好、特性によってきっと異なる。バスケットだからこそ、3人は夢中になり、自分事として考えることができ、結果として出会い、学べた。


 1人ひとりに出会い直しと学びの場を確保するために、やっぱり教師にできることはまだまだあるよぅに思えてきた。子どもは確かに勝手に学ぶ。しかし、学ぶ場は誰が用意するのか。大人だよね。

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