省察研究その15「自分の過去と向き合う」
【S先生からの感想を受けて】
自分がこれまで書いてきたことが省察になっているのか?モヤモヤが止まらなくなったため、S先生にこれまでの記録を丸投げしてみた。自分が何も考えずに書いたところに、自然とマーカーや赤ペンが入っている。あー、無意識に語っていたこれを、本当は自分自身で客観的に掘り下げていくことが省察なのかもしれない。S先生が今回メンターのような立場で助言をしてくれたことを、1人でやっていくのか。やっぱり省察って難しい。そもそもゴールがないことって、自分に合ってない気がする。
いつのまにか自分の思いが表に出てきてしまう。そこが自分の良くないところだろうな。助言の中に、自分ありき、自分の思いの上での語りという指摘?をS先生にいただいたばっかりのところだが、今後省察していくためには、もう一度自分の教育観について自分で振り返る必要があるように感じた。なんでこんなに自分本意なんだろう。
以前にも少し書いたが、私の根底には、人は育つべき時が来たら勝手に育つという思いがある。それなのに子どもに多くを求め、願い、悩んでいる自分がいる。かなり矛盾している。きっとこれは、自分自身の義務教育時代がトラウマのようになっているのだろう。
お世辞にも上手くいっていたとは言えない学級で過ごした義務教育時代。担任から学んだものなど、自分の中には何もないと思っていた。何も持たず高校へ行き、普通に生活することにとても苦しんだ。苦しんだ結果、身を持って生き方学んだ。根底にある、「人は育つべき時が来たら勝手に育つ」の根拠だ。
しかし、苦しむ中で、人との付き合い方、あいさつの必要性、学ぶ楽しさ、掃除の仕方、生きていく上で支えとなる何かを本当は義務教育で教えてほしかったと、担任・義務教育を恨んだ。同時に自分のような後悔を味わってほしくないと思い、教員になった。
そもそもが矛盾している。教育を否定しながら、教育に期待している。そんな自分が教師として子どもたちと生活している。