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学校でも・職場でも誰も教えてくれない介護職員の研修講座・『自己覚知』

■「ラスボスは誰だ?」

福祉や医療・教育現場で働いていてると、さまざまな困難にぶち当たる。

その様々なもののうち

ある意味最も難しい・厄介なラスボスは

「己の心」

ではないだろうか。

シンガーソングライターの中島みゆき氏の大ヒット曲に

『ファイト』
という作品がある。

そのフレーズにもこのようにある。

『私の敵は私です』

中島みゆき『ファイト』より

とある。

彼女の歌詞の中にも歌詞の主人公が何気ない日常生活の中で

『自分自身のドロドロした感情』

に対して

『自分自身を客観視した感情』

『社会の流れや時代背景』

がうまく交差され一つひとつの場面がイメージしやすい作品が多い。

彼女の作る歌詞はどちらかと言うと

わりと

『恨み』・『嫉み』・『妬み』

のオンパレードである。

ある意味、それは

「昼ドラ」や「韓流ドラマ」の

『お約束的なテーマ』

でもある。

曲調もちょっと、

ホラーなムードが

プンプンと漂う。

だが、『ファイト』は様々ある作品でも

わりと明るい曲調である。

そのため、いつもの

「ドスが効いたみゆき節」

とはかけ離れたギャップにノックアウトされる。

あんなに、己のダークな感情をサラッと歌えてしまうのは

「もはや、ご本人様のキャラであろうか…」

そのため、私は

「うつうつの時」に『ファイト』の歌詞を聴くと

逆に「キラキラしすぎて」まぶしい時もある。

私はある意味、彼女の歌詞のリアルなところ

つまり

「嘘っぽくない部分」に

共感するファンの1人だ。

■試されることが多い職業

福祉事業所にいると、周囲に必ず一人や二人はいないだろうか?

良くも悪くも

非常に突出したキャラの方。

なぜか?人事異動などがあると
どうも、私はそのような
「キャラが濃い人の多くいる部署に異動させられやすい人認定」
されているみたいだ。

上司が

「あー、あの人めんどくさいからこの人に押し付けよう」

という

「とりあえず、まぁー・・・」
的な感じなのか?

それとも、
「あの人に任せておけば、波風たてずにどうにかしてくれる」

という期待なのか?

いまだに 謎だ。

ある時期

暴言・暴力行為で
どうにもこうにも対応が難しく

家族からも

よその施設からも

ついには

スタッフからも

利用者さんからも

怖がられていた利用者さんが

立て続けにフロア移動になり、私の部署へ移動という事態になった。

当時、私が勤務する部署はシフト勤務で日勤帯は入浴日以外は
ほぼ介護職員がワンオペ状態でした。
そのため、日勤帯のスタッフは常時8人~15人を担当しなくてはならない状態でした。

リハビリがメインの入所型介護施設でしたので、ほぼADL的(ベッドから起きる・寝る・座る・立ちあがる・ベッドから車いす・車いすからベットへの移乗動作・歩くなどの基本動作)にはほぼ自立の利用者さんたちでした。

しかし

皆様

大変キャラが
濃いメンバーであり、むしろメンタル面のサポートを必要とする利用者さんがほとんどでした。

そのため、ある程度スタッフと利用者さんの信頼関係ができると

あーでもない

こーでもない

話を伺っていると

たまーに、利用者さんの興奮がヒートアップして

「たまりに貯まった日頃のうっぷん」

ある日

「どっかーーーーん」

「大爆発」

という方もいましたし

たまたまそこへ居合わせたスタッフが

怒りのターゲットになる状況

でした。

まさに

『ワンオペ介護員はつらいよ』

状態です。

■「怒りスイッチどこですか?」

正直なところ、入所間もない利用者さんは

どこに

「怒りの地雷原」

があるかスタッフも手探りです。

万が一、その地雷原を踏んだ際は
私の場合は記憶が新しいうちに、その日の日勤帯でそれぞれの個室に入る業務を行うと同時に、マンツーマンで時間をかけて話を聴くしかありませんでした。

そこで、よくスタッフ間で

「記録はどこまで信用してよいのか?」

議論になります。

当然、新規の利用者さんがサービスをご利用になる際は前にいた事業所などの相談員さんやケアマネージャーさんから頂く情報提供書の中身に大まかな性格や・こころとからだの特性が記載されている書類をスタッフサイドも目にするのだが

これまた、スタッフもそれぞれだ。

こころとからだの特性の都合上、懸念事項など注意しておかなくてはいけない事のみサラッと目を通すだけの人。

隅から隅まできっちりと目を通す人など…

私自身、新人スタッフとして自分がやれる事が少ない場合は休憩時間などを利用して情報提供書の類の書類に目を通していた。

ある意味、それが功を制したこともある。

しかし、その情報にだけ目が囚われていくと他のスタッフから見た利用者さん像と自身の心理的バイアスが入りやすくなり

「何が何だか分からなくなる」

というリスクも十分ある。

結局、私自身そこで思いついたのが

⑴必要事項だけをざっと目を通す。(新規利用者さんが入ってきた時)

⑵実際に利用者さんと関わるなかで
自身の目でその利用者さんがどんな人か良く観察。

⑶それでも分からない場合は、過去に同居していた利用者さんのご家族さんから話を伺ったり、もう一度情報提供書に記載されている利用者さんの過去の生活歴をみる。

⑷ ⑶の生活歴などから対応策を考えて対応する。

(なんだか、戦国武将みたいです。)

利用者さんとの対応で困ったことがあればそのつど
⑵~⑷を行ったり来たりしながら

理解していくようにしていました。

私自身の経験ですが、とくに

「病的な部分」(医学的な)以外の性格傾向的な部分は
実際にフラットな状態で観るようにすることをおススメします。

なぜなら、ここがフラットな状態の方が上手くいくからです。
今を振り返ると

ある意味、他の施設やフロアを転々とされることを余儀なくされた

キャラの濃い利用さんは

時間をかけて、対応をすることを学び

少しずつ
信頼のマイル』を貯めていました。

まさに

『開かぬなら 開かせてみよう 心の距離』

です。

意外と

この

『待つ』

という事は

対人援助職には

一番何度が高いサポートであると私は思います。

と言っても

スタッフもしょせんは

「生身の人間」ですので

様々な

「価値観」や「感情」により

「心理的バイアス」
がに振り回されやすくなる傾向があります。

左右されやすさは人それぞれです。

そう言う私も、時には利用さんの地雷を踏んで痛い目にも遭いましたし
むしろ撃沈する方が多かったです。

特に、最近分かったことですが自分自身にHSP傾向(どちらかと言うとHSSっぽい)があるため

「自身の境界線と相手の境界線の線引き」
上手く引けていなかったのではないかと考えます。

自身と利用者さんとの「価値観」「考えとの乖離」があると

なぜ、そうなのか?

深く考えすぎて

単純にわからないので、
恐る恐る相手に色々とアプローチしたり

時には

イマイチ話の核心がわからない時は、私自身の気の焦りから直球で聴くことがありました。

当然、それがいつも良い結果ばかりではない時もありました。

まだ相手の中で、私に話をするタイミングとずれていた時は

利用者さんが、「貝」のような「沈黙」

であったり、

「瞬間湯沸かし器」のように「怒り」を浴びせられ

私を悩ませる結果となっていたのです。
悩みだけなら、ともかく
それが一時期は身体状況として現れてきてしまった結果にもなりました。

■「あえて かかわらないサポートもある」

ある時、同僚から私が悩んでいると

「色々関わる中で、相手を分かろうとしているから悩むんだよ」

とポジティブに悩みを変換して言われた事がありますし

「俺だったら、あえて関わらない」

とも言われたことがあります。

これ、

「どちらも正解」

です。

しかし、当時は自身がHSP傾向があるとは全く気が付かなかったため
後者の選択肢を自分には持ち合わせていませんでした。

単純に

「どうしてなんだろうか?」

としか思いませんでした。

後者のアドバイスをしてくださったのは精神保健福祉士さんです。

さすが「プロ」です。

■医療・福祉に関わるスタッフの思わぬ落とし穴

私自身も、子ども時代に病気で入院したため勉強ができなかったり・運動が得意ではなく、何をするにも他の子どもよりもスムーズにできませんでした。
病院から退院して学校へ戻ったものの
学校では理解のない担任教師から様々な叱責を受けてきたことや

実は他にも
過去に、駅で電車を待っていて人身事故の現場に居合わせたことがありました。

その際の大爆音で人がはねられた音や急ブレーキの音

さらに別の日に

朝、起きたと同時に
近所の家のガス爆発火災の爆発音と救急車や消防車のけたたましいサイレンを聴いています。

そのため、それらが今でもトラウマのため

『大きな声を出す人・モノ』が苦手です。

またある時は、病気で眼科病棟に入院したことがあります。入院先は眼科病棟なので部屋にテレビは当然ありませんし、(あったとしてもあまり見えていないので)退院後の自宅療養時もしばらくはラジオから情報を得ていました。
そのため、視覚に代わって聴覚が他の人と比較すると発達していったのだということが考えれます。リハビリ的には人間は病気や事故でどこかしらの働きがうまく機能しなくなると他の神経回路がそれをカバーするかのようにつながるようになっています。

そう考えると

人間の体ってすごい

です。

そのためなのか?

ある意味、悪く言えば
『聴覚過敏』の傾向

良く言えば
『曲を聴いて耳コピできる』
という
『特異体質』でもあります。

そのため、私の地雷原は

『大きな音』
『大きな声』

そして

できないことに対する

自分自身への

『くやしさ』
『悲しさ』

他の人への

「どうして分かってくれないんだ‼」

という意味での

『くやしさ』
『悲しさ』


が入り乱れている状態でした。

よって、今思えば普段の生活でもこのようなシチュエーションに苦痛を感じていました。

しかし、職業柄これこれらの感情と向き合う事を避けて通ることが難しいのも現状です。

最も正確にいうならば、

自分の中で
「これに耐えられてこそプロなんだからしょうがないだろう」

とか

「自分が選んだ仕事だからしょうがないだろう」

という

「すべき思考」

「根性論」に縛られていました。

そのことが自身のこころを縛る根本原因だったのかもしれません。
医療や福祉・教育現場でクライエントをサポートする人自身が自分自身の育ってきた価値観による心理的バイアスが時々顔を出している時には、利用者さんの「自己決定」や「自立」を阻む形といつもとなり合わせでもあります。

よって、対人援助職は

『私の敵は私です』

中島みゆき『ファイト』より

という部分と向き合う難儀な職種だと私は思います。

今を思えば、この事を心のどこかに気に留めていた時は

逆に信頼関係のマイルがたまっていたと思います。

































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