見出し画像

推しバンドと25年ネチネチ②

ネチネチと推しバンドを推し続けたお話の続きです。

中学生になり不登校になるもJanneDaArcのライブにもう一度行きたい!!と思い、インディーズのCDを買うためにお手伝いに精を出し、深夜番組を録画しては何度も見て、雑誌で見かけたら嬉しくて飛び跳ねる程心の中はJanne Da Arcでいっぱい。
Janne Da Arcのライブ連れてってやるから学校に行けと言われればしぶしぶ行く日々が続き、嫌な事があればMDに入れていた当時のインディーズアルバムの曲たちが支えてくれていました。
勿論ほかのV系バンドや当時流行りのJ-POPも何かと聞きはしていましが、戻ってくるのはJanne Da Arc。
そしてメジャーデビュー前の新大阪メルパルクホールのライブ行き、初めて見た枚方ブロウダウンよりもっともっと広い場所でドヤ感全開で会場にいる人の頭を吹っ飛ばしていく彼らに、ただただ魅了されるだけのバンギャが出来上がりました。

メジャーデビュー後受験生だった私はますますJanne Da Arcの曲に力を貰い何とか高校へ進学。
念願のバイトが出来るようになり、学校へは単位最低限だけ通ってあとはバイトに行ってライブやCDに使うお金を稼ぐ青春が始まりました。
そうなると友達も学校外の友達が増え、一緒に遠征、一緒にバンドを組む、上手な夜遊びの仕方を覚え、怖い事を上手くかわす事も知り、たまにババを引いて痛い目を見るなど…そこにあったのはいつもJanne Da Arcの曲とライブ。
流行りの曲しか聞かない学校の子や親達から何を言われても好きだからほっといてくれ!!の一点張り。好きな事をしたいからやる事はやって文句言われないようにするぞの精神はここからきたような気がします。
大事な入試の前々日に遠征し、それが親にバレて帰ってきた新幹線の駅の改札でとっ掴まって殴られ怒鳴られ散々だったのもよい思い出です。受かったからね。
初めての全通を叶えたのもこの頃でした。

大学を経て社会人になり、一人暮らしを始めたらもう何も咎めるものもない為散々好きなようにライブへ。
働いてお金があるって最高!!バンバン行ける!!!と思っていた矢先、さいたまスーパーアリーナのライブを最後に活動休止をしてしまったJanne Da Arc。

各メンバーのスキルアップを、などうんだらかんだら流した割にはいつまでもバンドの活動はストップしたまま。
今までの曲を反芻して時が止まったような気持ちでいても、私自身の時間は流れていて気付けば結婚→第1子出産→離婚→シングルマザー→再婚→第2子出産と人生のターニングポイントを沢山迎え、色々な意味で1人ではない身体になっていました。

それでもずっと、ずっと待っていた2019年のエイプリルフール。
悪過ぎる冗談だと怒ってしまいたかったけど、ただの真実とし突きつけられたのが「10年以上待ってさよならのない解散」だったのです。
ゲロを吐き、大泣きをし、これはもう死ぬしかないのではという程落ち込んだのは、多分生きてきた中でこの日が最高記録だろうなと思います。

続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?