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推しバンドと25年ネチネチ①

お久しぶりです。
本当に何かない限り全然noteを更新しない筆無精でお馴染みきゃべです。
相変わらず見てくださっている方はありがとうございます。

年が明けまして2023年。
いつもと変わりなく冬休みの子供達に振り回され、夜は旦那とこたつの酔いどれ虫となり、ゆるゆるとした年末年始を過ごした後心を引っぱたき回して仕事初めをこなして迎える明日。
いよいよ不定期で行っておりました主催イベントの番外編として「継承祭~Back to the Nightmare 番外編」を梅田Zeelaさんで行わせて戴く事になりました。

開催決定から今日まで出演バンドさんや梅田Zeelaの担当さんには本当に色々とお世話になり、本番を前に何処に足を向けて寝たらええんや状態です。
本当にありがとうございます。

そして今回。
この主催イベントとしては初めて自身もバンドマンとして出させて戴く運びとなりました。
当初BTNを始めた際は「自分は主催だけで絶対バンドマンとしては出ない」と心に決めていたんで
すが、これだけはもう自分で自分が見たい理想を追い求めてやるしかないというコピーしたいバンドがあったので一度だけ信念曲げて2足のわらじを履こうも思い立ったのです。

そのバンドがこそが、Janne Da Arc。
1996年結成、1999年にメジャーデビュー、そして2007年に事実上の活動休止をを迎えた後はメンバーそれぞれがソロで活動をし、再度バンドとしての活動はないまま2019年に解散した稼働期間としては意外と短いバンドのJanne Da Arc。
私は未だに彼等の残した楽曲に魅了され続け、25年もネチネチと愛を垂れ流しておる訳です。


初めて彼等のライブを見たのは中学になる少し前の小学6年生の時。
その日父と母は旅行で不在で、大学生だった姉は出掛けたいものの私を置いては行けず、やむを得なく私に化粧を施しあり物でそれっぽい服を着せ、歳を誤魔化せ!酒は断れ!私から離れるな!!と道中きつく何度も言い聞かせながらはライハウスへ私を同行させました。
当時姉がXやBOOWY、LUNASEAなどにハマっていた為、そういうライブに連れていかれるという事は言葉で理解してもどういうものかは全く分からずただ黙ってついて行くほかありませんでした。
何本も電車を乗り継ぎ、着いたところは「枚方ブロウダウン」というライブハウス。姉は着いて早々友達と思しき人達とワーキャー盛り上がり、私は離れるなと言っていた姉に置いていかれホール後方でウーロン茶を飲みながらただただ知らない場所にビクビクするだけ。

すると何バンド目かは忘れたけど、他のバンドとは全然違う音と声の人達が出てきました。
バンドの音なんて欠片も分からない当時の私が「この人らだけなんかすごい、かっこいい、曲が好き」となった人達。
それが現行メンバーになって間もない頃のJanne Da Arcでした。

ライブが終わって余韻がすごかったものの、神戸の片田舎住まいだった当時は終電も早い為そそと帰宅することに。
電車の中でもJanne Da Arcのことが頭からはなれず、ずっとドキドキしている私の横で酒でベロベロの姉。
質問責めをして怒鳴り散らされ、地元の駅でゲロを吐いていた姉の背中をさすってる間も頭はJanne Da Arcでいっぱいだった私でしたが、これから始まる沼への1歩を踏み出したとは微塵も思ってはいませんでした。

続く

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