第三章(2)【sidebar】 いざ隠れ家

更新履歴
[2019/01/20]
・初回掲載
今回は普段に増してオリジナル設定が多いです。原作と相違があるかもしれませんが、ご了承ください。

メルロマルク秘密特務隊、通称『影』。元は国王の身辺警護を行う組織が、王命を受けて諜報活動などにも携わるようになり、国の暗部に深く交わった結果誕生した、云わば隠密である。
王族の内紛、三勇教の壊滅と四勇教の擁立、新しい女王の即位など、様々な事変が起きたこの一年あまり、メルロマルクの『影』はその度に大きく組織の形を変え、現在は三つの部隊に再編成されている。
メルティ女王配下の影は『懐剣(クリス)』、大公ルージュの配下『猛毒(ヴェノム)』、そして最近になってミレリア元女王の元に再組織された『御簾(ブラインド)』。
構成員であるエージェント達は本名を秘匿し、部隊名と通し番号(序列順)で呼び合う。各部隊の隊長は、番号でなく『頭(リーダー)』と称される。また、主の護衛を専らにする『守(ガード)』、退役した影達による予備役『古釘(リザーブ)』などの役割も序列外とされる。
影は着任時に瞳と耳に魔法が施される。それによって、自らの主のいる方角と大凡の距離がわかる他、仲間の影同士の位置把握、さらには遠話(遠距離での情報伝達)が可能になる。
ルージュ配下の影の内、序列上位の四名はシルトヴェルト、フォーブレイ、シルトフリーデン、ゼルトブルの各支部長として現地に駐留し、諜報活動を十数年にわたって統括してきた。

シルトフリーデン支部長ヴェノム・スリーは、十年程前までルージュ付『守』の一人だった。他者を圧倒する卓越した智謀の持ち主であり、英知の賢王の誉れ高き杖の勇者ルージュに仕えることは、彼の誇りであった。
主である杖の勇者はシルトヴェルトに対する苛烈な復讐心はあったものの、味方や身内に対しては限りなく寛容な懐の深い人物だった。あの日、たった一人の子息である王子が毒殺されるまでは。
責をとって辞任した先代に代わって着任した新しい『猛毒の頭』によって、王族の護衛は一新された。彼もルージュ護衛の任を解かれ、フォーブレイに飛ばされた。さらに四年後にはシルトフリーデンへ。副支部長への昇格という栄転扱いではあったが、長女マルティ王女のフォーブレイ留学に合わせての異動である事は明白だった。
後に判った事だが、新任の『頭』は三勇教と通じており、息のかかった者で国元とフォーブレイを固め、それ以外を他国へと追いやっていた。
それからさらに五年の月日が流れ、訪れる激動の時。
世界を破滅へ導く『波』の発生、四聖勇者の召喚、三勇教の壊滅、女王暗殺と転生者タクト率いるフォーブレイ軍との戦争勃発、そして女神メディアと転生者たちとの最終決戦。
その度に影の組織構成は目まぐるしく変わる。
ヴェノム・スリーとなっていた彼は、シルトフリーデン支部長として日々を送る傍らで、当時のメルロマルク女王やヴェノム・ワンと結託して、影の中に蔓延る三勇教勢力を駆逐すると同時に『猛毒の頭』を謀殺した。その後、組織は著しく弱体化したものの戦争の荒波を乗り越え、今に至る。

女神が滅んで三日が経過し、シルトフリーデンに押し寄せた転生者率いる軍勢はシルトフリーデン軍や自警団、他各国の影等々の協力によって全て捕縛され、戦争は終結した。
しかし混乱は収まっていない。女神によって融合した二つの世界は、まるでパッチワークのように重なり合い、突如現出した森や山によって街道が分断されたり、忽然とわき出した川の水が流れ込んで町全体が水に浸かるなど、各地で被害が出ていた。メルロマルクの影達の詰所や潜伏場所が幾つも融合した世界に呑まれ、連絡が取れなくなっていた。
それでも世界は復興に向けて歩み出す。寸断された情報網の再構築を行い、シルトフリーデン周辺の被害状況の把握に努めていたヴェノム・スリーの元に、本国から至急報が届く。
『可及的速やかにメルロマルク城に出頭されたし』
大公ルージュからの召喚だった。
ヴェノム・スリーはすぐさま副支部長に後事の引継ぎを行うと、部下一名を連れて、翌朝には出立した。早馬とフィロリアルを乗り継ぎ、時には徒歩で山道を駆け抜け、走り続けること三日、メルロマルク城下に辿り着いた時には既に日が沈みかけていた。
城詰めの影に、到着した事と明日登城する旨の伝言を頼み、城下町の影達が使う番屋に入る。荷解きをしつつ長旅の疲れを癒していたところ、伝令の影が令状を携えて戻ってきた。小さく畳まれたそれは、三つ折を三つ折にしてさらに二つに小さく折られており、開くと「即刻出頭せよ」と『猛毒の頭』の署名付で書かれている。
急ぎ影の正装である黒装束に着替え、城内に向かうヴェノム・スリー。
影専用の通用門から城内に入り、大きく様変わりした中庭を抜けて、主の居所を目指す。十年ぶりのキープ(天守)の中は昔とさして変わらず、質素な趣だ。勝手知ったるルージュの居室を十数歩ほど通り過ぎて立ち止まり、何も無い通路の壁を二回、三回、三回と軽く叩く。少しの後、壁がスライドして隙間が開いた。滑り込むように中に入るヴェノム・スリー。この隠し部屋の存在を知る者は僅か。中には今しがた扉を開けた眼帯をした老人、そして長らく直に会うことの無かった彼の主がいた。
「久しいな、ジョエル。否、今はヴェノム・スリーじゃったな。息災か?」
親しく声をかけるルージュ。十年ぶりに見えた主の髪はすっかり白くなり、顔の皺は深くなっていたが、以前と同じ深い知性と風格を感じさせる佇まいは、かつての敬服をヴェノム・スリー=ジョエルの心の内に呼び起こすのに十分だった。近年伝え聞く『大公は耄碌した』という様子は微塵もない。
ジョエルは黒い頭巾を外しながら、主の下まで歩み寄って跪いた。
「大公殿下もご健勝の由、大慶に存じます」
「堅苦しい挨拶は抜きじゃ。シルトフリーデンでの活躍も聞き及んでおる。
お主の長きに渡る忠勤に報いておらぬ、我の怠惰を許せ」
「大殿のそのお言葉だけで」
ジョエルは頭を垂れたまま、昔の呼び方でルージュに答えた。それを聞き、満足気にニヤリと笑ったルージュは椅子に座り直すと、小さな円卓の向かい側の席をジョエルに勧める。
「こうして膝を詰めて直に語らうのも十年ぶりか。つのる話もあるが、喫緊の問題があってな、お主の力を借りたい」
「如何なご用命であろうと、微力を尽くします」
座りながら神妙な面持ちでジョエルは答えた。それに頷き、ルージュは隣に座ったキャプテン・ヴェノムを促す。『猛毒の頭』は円卓の上の地図に薄紙を重ねて置き、書き込み始めた。
「既に知っていると思うが、各地で向こうの世界との融合が起こり、混沌とした状況だ。メルロマルクだけで大凡二割の国土が失われている。
恐らく他の国も同様か、それ以上の被害が出ているだろう」
「シルトフリーデンでも土地の面積で四割ほどが融合しております。首都と沿岸部は比較的被害が小さいのが幸いでしたが…
ここに来る道中も、幾つもの国を通過して参りましたが、酷いものです。
街道沿いの都市国家の幾つかも、丸ごと消え去っていました」
猛毒の頭と同様に、ジョエルも融合を確認した地域を書き込む。隻眼の老人は顎ひげをさすりつつ頷く。
「そこでな、世界の代行者様は、この融合した世界を二つの大陸に切り離すことにした。
我々の立場から見れば、国土は元の世界に戻り、海の向こうに新たな大陸が出現することになる」
地図に被せた薄紙を持ち上げ、地図の隣に置いた。紙に適当な丸を書き、『新大陸』と書き込む。
「そのようなことが…」
ジョエルは唖然としてその後の言葉を継げず、彼の主の方を見た。説明の間、ジョエルの酒を注いでいたルージュは、銀杯を彼の前に置いて答える。
「可能、なのだそうじゃ。
融合によって向こうの世界になったってしまったように見える場所も、未だ元の状態が消失せずに存在しておるらしい。時間が停止している、と申しておったかな? 何にせよ、我々には与り知らぬ領域の話じゃがの」
「今回、私をお呼び出しされた理由は、世界が元に戻った後の対応についてでしょうか? 混乱を収め国土の復旧に努めよと?」
「ふ、その程度でお主を態々呼び出さぬわ。任せたいのは、別のことよ」
やや訝しげなジョエルの問いを、ルージュは苦笑いと共に否定した。手元の銀杯を机に置き、紙に書かれた新大陸を指で突きながら説明する。
「今、メルロマルクと融合している向こうの世界は、テアオワンという小国の郊外じゃ。向こうの世界の勇者グラス殿と知己があってな、融合の前よりかの国とは友好関係にあったのじゃが、別の大陸に分かれると何かと疎遠になろう。故にパイプを残す準備をしなくてはならぬ、というのが一つ」
酒をなめる様に嗜んでいた猛毒の頭が、ルージュの後を継ぐ。
「今、各地で融合している向こうの世界のことは、未だ良く解っておらぬ。テアオワンは小国故、得られる情報は限られておる上にバイアスもかかっておる。かの地で俯瞰的な視点から調べられる者が必要なのだ。他国での情報収集と経験に長けた者が、な」
「心苦しいが、お主以上に頼れる者がおらぬ。引き受けてくれぬか」
ジョエルに妻子は無い。影の勤めに任地の移動はつきもの故に、そうした事から遠ざけ、任務一筋に生きてきた。三十路も半ばを過ぎた今となっては、家族は不要と考えている。シルトフリーデン支部のことは、副支部長に任せられる。遠い世界での任に着くのに、何の問題も無い。何より主から自分に寄せられた信頼の重さが、彼の心を大きく震わせていた。
思考と感情を整理しながら、ジョエルはゆっくりと酒を飲み干す。そして机に杯を置いて居住まいを正し、こちらを見つめる主に視線を合わせた。
「向こうの世界に骨を埋める覚悟で取り組むことを、お誓い致します」
「や、それは困るぞ? お主には、俺に代わって『猛毒の頭』を継いで貰わねばならぬ。長くとも半年以内に後任を決める故、それまでのことよ」
慌てて左手の掌を前に突き出しながら、ヴェノム・リーダーが口を挟んだ。ジョエルはかつて直属の上司だった隻眼の老人に視線を向け、尋ねる。
「v1(ヴェノム・ワン)が継ぐのでは?」
「あの野郎、『歳なので、もう引退する』とか抜かしておっての。『古釘』から『頭』に復帰させられた俺を前に、よくも言いおったものよ…
知っての通りv2は行方知れず、よしんば生きておったとしても、これ以上の昇格をしない条件でv2になった男じゃからのう。
組織も若返りをせんといかんし、お主なればとv1も認めておる」
「半年以内というのはそこの爺の希望じゃがの、ワシとしても、まぁ最大で二年と思っておる。別の大陸となると、こちらと連絡を密にとは行くまい。よって、相応の権限を与える予定じゃ」
「先ずは手勢として五名、連れて行ってよい。人選は任せる。
本当ならばその三倍は与えたいところだが、今は組織も人手不足での。
すまぬ」
猛毒の頭は名簿を差出しながら言った。この中から選べという意味だろう。それを受け取り、名前を確認しつつ、ジョエルはふと尋ねる。
「出立は何時になりますか?」
「明日の昼頃、グラス殿とその仲間約三十名をテアオワンに送り届けるために、舟の勇者が空に浮かぶ船を出す。夕刻には街に着く予定じゃ」
「世界の代行者様方も同行される。全員を届けた後は、船の眷属器の勇者と共にこちらに戻られる予定だが。
向こうに駐在する人員は外交官が一名、その補佐が二名。
そして、これはあまり期待は出来ぬが… テアオワンにはv9を筆頭に七名の影が先行して常駐していたのだが、世界の融合以降、連絡が取れておらん。存命であれば、彼らも配下としてよい」
急な話だ。ジョエルは話を聞きながら、名簿に四つ丸を書き込み、猛毒の頭に返した。
「四名しか選んでないぞ」
「後一名は、支部から連れてきたv41を入れたいと思います」
ジョエルの言葉にルージュは眉を寄せる。
「四十番台をか? 少々心許ないのでは無いか?」
「いや、良い人選でしょう。
この者達には私から指示しておく。お主はv41に伝えよ。明日の午前中には城の中庭に来てくれ」
猛毒の頭の言葉を受け、ジョエルは席を辞した。時間は余り無い。
荷解きした事を後悔しながら、ヴェノム・スリーは風のような速さで城下の番屋へと戻った。

ジョエルらが船の勇者の『空飛ぶ船』でテアオワンに渡った翌日、融合していた世界は、二つの大陸に分かたれた。その奇跡は、大陸の西側に位置するテアオワンの時間で宵の口に一瞬にして行われ、その過程を認識したものは世界でも数えるほどしか存在しなかった。お互いの世界から異世界の町並みや景色が消滅し、枯れていた川には水が流れ、失われていたかつての景観が蘇った。世界が融合する前の状態にほぼ元通りに戻ったことに人々は驚き、喜んだ。
その裏でメルロマルクの影達は、事前にルージュと世界の代行者=盾の勇者に言い含められていた通り、各地で以下のようにふれて回った。
『かつて融合した異世界は、海の向こうへと分かたれた。これらの御業は、世界の守護者、星霊の意思である』
大陸分割から一週間ほど経った頃には、遠方に大陸が存在することが船乗り達によって確認され、噂が事実だったと人口に膾炙することとなる。
そして十日後には、お互いの大陸との間に船が行き来し始めた。

大陸の中央、霊峰カミガミノの中腹に位置する城塞都市テルハリの隊商宿。石造りのその二階にある客室に、ヴェノム・スリーとヴェノム・フォーティワンの姿があった。
テルハリは、南にカラ・ユルク朝ジルコンサの首都ジェリコ、北の山脈を超えるとケインの交易都市アスラ、西にテアオワンをはじめとした衛星都市群、そして東に霊峰カミガミノという街道の交わる場所で、かつては崇四教の門前町としても栄えた場所だ。
百年ほど前にカラ・ユルク朝から独立したものの、三年前に再び併合され、現在ではカラ・ユルク朝の軍事的侵攻における前線都市となっている。
こちらの大陸に渡ってすぐに、ジョエルはテアオワンに先行して入っていた影の生存者五名と連れて来た影五名を再編した。テアオワンに暫定の本部を設置、足に大怪我を負っているヴェノム・ナインをその本部長に任じ、配下二名を付けて情報整理を任せた。一方で、残りの影を二つに分け、諜報班としてテアオワンの同盟連合の一国である西の港町アスーリャと大陸の北東部ケイン地方へと向かわせている。活発になってきた大陸間の船の往来状況を監視し、他国の交易実態を調べるのが主たる目的だ。
そしてジョエルは、ヴェノム・フォーティワンと共に別行動を取っていた。テアオワンと交戦中の大国、カラ・ユルク朝ジルコンサへの潜入である。
カラ・ユルク朝は、大陸南西部ジルコンサ地方のほぼ全域を支配しており、女神消滅以降の大混乱の最中、統制を維持できている唯一の大国でもある。首都ジェリコで二週間ほど諜報を行っていたが、戦時下にもかかわらず治安は極めて良く、経済的にも安定しているのが実感された。戦火による荒廃が著しいテアオワンとは大きな隔たりがある。
三日前に本部の伝達役から、『テアオワンがメルロマルクに特使を送った』との情報を受けたジョエルは、大公ルージュから何らかの指示があることを予期して、このテアオワンに程近い北部の街テルハリに移動していた。

「了解だ。通信終了」
ジョエルは遠話を終えて、伝言の要点を書き出したメモを眺めた。それを横から覗き込んだ小太りの男=ヴェノム・フォーティワンは、呆然と立ち尽している。メモには符丁や暗号を使って、以下のように書かれていた。

◇聖武器の勇者達が、こちらの大陸のマオウを称する者に招待された
 ・招待状は二通、メルロマルク王室と世界の代行者宛に届いた
◇マオウとは、こちらの大陸の魔物たちの王と推測される
 ・招待状はメルロマルクの言葉と文字、勇者文字が使われている
 ・勇者文字の手書き故に、勇者または転生者との関係が予想される
◇聖武器の勇者と眷属器の勇者(一部を除く)は招待を受け、昨日出立
 ・送り迎えはマオウが用意したため、航路と道筋は不明
 ・こちらの世界の眷属器の勇者らは、現地到着後にポータルで合流予定
 ・女王と大殿はそれぞれ『守』を一名帯同
◇到着予定は明後日、会談(非公式)は三日後にマオウの隠れ家で行われる
◇v3は次の情報をまとめ上げ、会談までに大公または女王に届けること
 ・マオウおよび魔物の国に関する情報
 ・こちらの大陸の勢力図、国家とその力関係に関する情報
 ・こちらの大陸の聖武器の勇者、および転生者に関する情報
◇v25とc7は今夜合流できる見込み

ヴェノム・スリーは中腰の姿勢で固まっている部下の肩を軽く押し、椅子に腰掛けさせた。自身の椅子もそちらに向け、膝の上で指を組む。
「v41、『アーミット』をやるぞ」
『アーミット』とはアレイ・ミッタイラングの略称。
複数の影が伝達情報を共有して目的地に向かい、協力して危険地域を突破しつつ、いざという時は分散してでも情報を届ける方法である。
その単語で我に返ったヴェノム・フォーティワンは、正面に座わるジョエルに対して大きく何度も頷いた。それを確認して、ジョエルは話し始める。
「今夜合流するc7を合わせた三名で、『アーミット』を実行する。v25には中継役として、ここに残ってもらう。我々にもしもの事があった際は、テアオワンの本部に飛んでもらう必要があるからな。
届け先は大殿、または女王。場所はマオウの隠れ家で、詳細な位置は不明。恐らく明後日の昼過ぎには大殿たちがマオウの隠れ家に到着し、正確な場所が判るはずだ。しかし、会談が始まるのはその翌日午前中だから、それから動き出したのでは時間的猶予は一日より短い。
なので、ある程度マオウの隠れ家の場所を予測し、予め接近しておきたい。で、この世界でマオウと言えば、あれだろう、そこの山…」
「霊峰カミガミノですね。その頂にはかつて崇四教の総本山があり、今では魔物たちに占拠されているとか。そして、魔物たちを総べる『マオウ』の城がそこにあるというのが、今までの調査で分かっています」
「しかも、砦では無く居城として使用しているらしいな。となると、隠れ家と呼ばれる場所もそう離れてはおるまい、と思いたいところだが」
「隠れ家というからには、城のすぐ近くには無いでしょう。かといって余り離れていても不都合がありましょうから… 一般論で考えれば、徒歩で二日以内の範囲というところでしょうか?」
「何れにしても時間がない。早急に隠れ家の場所の目星をつけ、c7と合流次第ここを出立せにゃならん。…きついオーダーだな。
この国カラ・ユルク朝はもう二年以上『マオウ』と戦っているんだ。魔物の領域内の地理に詳しいものも要るかもしれない。兎に角、腹ごしらえと情報収集だな」
そう言ってメモを懐にしまい、ジョエルは立ち上がった。

あてがわれた二階の部屋から、広い一階の食堂に降りる。
ジョエルが朝食をオーダーしている間に、ヴェノム・フォーティワンは食堂の入口に近いテーブルに陣取り、周囲を伺った。朝食には遅めの時間のためか、食堂内に人は多くない。しかし、一部の集団の喧騒が食堂全体に鳴り響いていた。冒険者と思しき八名ほどの集団が朝から酒を飲み、騒いでいる。
「五月蠅いな」
食事を持ってきたジョエルが、向こうも見ずに小さく呟く。串焼き肉と薄いパンが盛られた皿とスープの入ったカップ二つをテーブルに置いた。
「馴染みのある言語ですよね」
ヴェノム・フォーティワンは、テーブルの向かい側に座るジョエルに小声で返しつつ、肉を串から外して薄いパンに挟み上品に食べ始める。店内に響く声がシルトフリーデン訛りのシルト語であることを言ったのだろう。高価な装備を身に纏い、恐らく相応に腕も立つのかもしれないが、言動がどうにも粗暴でチンピラ臭い。龍刻の砂時計を開放して以降、この手の輩が急増していることは、シルトフリーデンにいた頃から実感していた。
「元冒険者だろう? 今じゃ無法者の集まり、いや雇われ強盗団だな」
ジョエルはつまらなそうに言い捨て、豪快に串焼きに齧り付く。その様子は傍目には商人の護衛をする粗野なボディガードといった趣だ。
食事を平らげながら二人は食堂内の客に注意を払い、何人かに声もかけてみたが、土地勘がありそうな地元の人間はいそうになかった。
客への聞き込みを諦め、食堂を出る二人。が、思いついたようにヴェノム・フォーティワンが足を止めて、厨房を覗き込む。宿主が食材の下ごしらえをしていた。
「ご主人、ちょっといいですか?」
ヴェノム・フォーティワンが南方語(ジルコンサの標準語)で話しかけた。この言語能力の高さが、ジョエルが彼を重用している理由の一つだ。宿主は包丁の手を止めると、愛想笑いを浮かべながら近づいて来る。前掛けで手を拭く仕草が揉み手をしているようにも見えた。ジョエルらは一週間分の宿代に色を付けて前金一括で支払っており、上客と見られているのだろう。
「何でしょう? カレンターノさん」
カレンターノとはヴェノム・フォーティワンの偽名。彼らはカラ・ユルク朝での潜入調査にあたり、ドラグ・ウルという国の行商人とその用心棒に成りすましている。ドラグ・ウルはテアオワンとテルハリの間にある山岳の小国で、どちらの陣営にも属していない中立国だ。ゆえにテアオワン連合と交戦状態にあるカラ・ユルク朝の領内でも、この国の商人ギルド会員証があれば比較的自由に行き来することが出来た。またドラク・ウルでは戦禍を逃れて来る人を広く受け入れているため、雑多な人種が集まっており、多少外観や言葉がおかしくても怪しまれないというメリットもあった。
「カミガミノに登ってみたいのですが、案内できそうな人はいますか?」
宿主の手が止まり、訝しげで気づかわし気な表情で窺ってくる。
「旦那さん、今あそこがどんな状態かご存じないんですかい?
魔物の巣、いや魔王の城ですよ。止めといた方がいい。
この国の軍隊や勇者がもう何度も追い払おうとしてるのにできないんだ」
「いやいや、それは承知しています。でも、かつて崇四教の総本山があった場所でしょう? 今でも近くにお参りしている人とかいませんかね? 軍人や冒険者でも構いません。あの辺りの地理に詳しい人はいませんか?」
「崇四教も廃れたからねぇ… 参拝客も見なくなって久しいなぁ」
宿主は腕を組み、暫し考え込む。そして、思いついたように顔を上げた。
「そういやバハシュがいたな。軍に食料や物資を届けている商人なんですが、彼なら何か伝があるかも知れません」
「どこに行けば会えますか?」
「今朝方にウチの宿に着いたんで、今なら中庭で馬車の手入れをしていると思いますよ? 二頭立てで横に金貨と宝石が描かれた黒い馬車です」
「ありがとう」
ヴェノム・フォーティワンは礼の銀貨を置いて、中庭に向かった。ジョエルも黙って付き従う。
目当ての馬車はすぐに見つかった。痩せた男が馬に餌をやっている。
「バハシュという商人を探しているのですが?」
「…俺がバハシュだが?」
「ああ、良かった。私の名はカレンターノ。
宿主から貴方のことを聞きましてね。頼みがあるのですが」
ヴェノム・フォーティワンが近付こうとした時、バハシュの陰から滲み出るように人影が現れ、彼を守るように二人の前に立ちはだかった。大柄なその姿は目の前にいるのに輪郭がぼやけ、実体がつかめない。
ジョエルの直感が警鐘を鳴らす。後腰の小剣に手を当て、前に出ようとしたところをヴェノム・フォーティワンの右手が制した。相手の死角になる背中で『止まれ』と『動くな』のハンドシグナルを繰り返している。
そして、南方語で改めて「下がれ、トーレ」と命じた。
偽名で呼ばれたジョエルは剣の柄から手を離して、数歩ゆっくりと下がる。
「ズィルダバール」
向こうの商人も、自らの前に立つ人影に声をかけた。
影はまるで霧のようにかき消え、いつの間にか後ろに控えている。
バハシュは切れ長の目をヴェノム・フォーティーワンに向けた。
「頼みとは何かな?」
「カミガミノに行きたいのです。案内していただけないでしょうか?
もしくは、詳しい人を紹介してくれるんでもいいのですが」
バハシュは目をさらに細めた。
「…目的は?」
「今は、魔王の領域に数名で入る必要がある、としか申し上げられません。案内人には詳しく説明します」
商人の男は視線を下に向け、右足のつま先を上げ下げしながら考えている。
「ここで話す内容じゃなさそうだ。場所を変えよう」
バハシュはそう言って、二人を荷馬車に乗るように促した。

荷馬車は街の大通りに出てしばらく走った後、通りに面した大きな屋敷の門をくぐり、中に入っていく。かなり大きな邸宅だが装飾の類は少なく、商人の居所というには古ぼけた印象だ。
バハシュは中庭に馬車を停めると、二人に降りるように言った。やってきた二人の使用人の一人に客間に通すように言付けると、自分はもう一人の使用人と共に反対の通路に去っていった。
二人が案内された客間は、四人も入れば満員という狭さだった。四方を囲むように掛けられた紋織物のカーテンは、装飾だけでなく遮音の意味もあるのだろう。まさに密談用の部屋という趣で窓は無く、低い天井の四隅に置かれた魔法の照明の黄色い光が、部屋の中を柔らかく照らす。椅子は無く、高級そうな毛足の長い絨毯の上に大きなクッションが置かれていて、そこに座るらしい。部屋の中央に、膝よりも低い高さの四角い卓が置かれていた。
「お待たセシまシた」
部屋の入口のカーテンを開けて入ってきた人物と言葉に驚愕する二人。
イブン・アル=ヌール・アキール。ここカラ・ユルク朝ジルコンサの実質的なナンバー2である大宰相。人呼んで裏切りのヴェズラザム。前線で軍の指揮を執っている国王に代わり、政務全般を取り仕切っている男だ。ジョエルらが首都で諜報していた際に、何度もその姿を目にしている。
そして彼が発した言語は、ぎこちないもののメルロマルク語だった。即ち、彼らの身元を知った上で接触してきたということ。
『いつからだ? どこで足がついた?』
余りに予想外の事態に、ジョエルの身体は緊張し、思考は高速回転する。
「驚かセてシまい、申シ訳ありまセん。こちらも先程ご来訪を知ったばかりで準備ができておりませんでシたもので」
急ぎ足で来たためか額に汗を浮かべながら入ってきた男は、従者の持つ茶器一式を奪い取り、追い払うように退出させる。
「おっと、自己紹介が未だでシたね、失礼。
私はイブン・アキール。ご存知でシょうが、この国の宰相を務めサせていただいておりまス。
マオウの隠れ家の場所、心当たりがありまス故、協力サセていただけまセんでシょうか?」
若き宰相は目の前に座る商人には目もくれず、後ろに立つ護衛の男に話しかける。それもまたジョエルらの正体に気付いている証左だ。
暫し立ち尽くしていたジョエルは、根負けしたかのように前に進み出でた。ヴェノム・フォーティーワンが横に退いた席にどっかりと座りこむ。
『さて何が出てくるやら』
背中で冷たい汗が即座に蒸発していくのを覚えた。

「で、これがその親書か」
大男は机の上に置かれた紐で閉じられた巻物を手に取った。紐の結び目には大宰相を示す緋色の蝋印が施されている。日が沈み、窓際に灯されたランプのオイルに配合された虫除けの独特の芳香が、宿の室内を満たしていた。
「ああ、これを女王か大殿、『メルロマルクの枢機にあずかる方』に届けるのが条件って訳だ」
影の黒装束に身を包んだジョエルは、装備一式を確認し終えると、彼から手渡された親書を懐に入れた。
大男=ヴェノム・トウェンティファイブはテアオワン本部付けの影で、主に情報伝達役だ。主に先んじて、テアオワンの特使と共にこちらに渡ってきたメルティ女王付の影『クリス・セブン』を連れてきた。ジョエルとは訓練時代からの同期で、かつて共にルージュ王の『守』を務めたこともある。公の場を除いて、敬語を使わない仲だ。大柄なジョエルよりもさらに一回り大きく、その体躯故に穏業を苦手としているのと、指導や指揮といった上に立つ行動が嫌いなために序列は低めだが、経験豊富な頼れる存在だった。 
「しかし、こちらの情報が筒抜けだったとはな」
「テアオワンとドラグ・ウルに関しては、筒抜けと言って過言でない状況だな。我々の情報もその二国経由で掴んでいたらしい。この国に潜入した後の俺達の挙動は捉えてられなかった、と言っていた。
まさかそちらから接触してくれるとは思わなかった、と感謝までされたよ。阿諛かもしれんがな」
「まあ、経緯はどうあれ、結果オーライだ。
条件付とは言え、カラ・ユルク朝の協力を得られたのは大きいな。上手く行き過ぎて罠じゃないかと思えるが」
「親書の内容は確認済みだ。それに、今のメルロマルクと表立って敵対する利点は、どの国にも無いよ。
ともあれ、正確な場所が判ったわけではない以上、厳しいミッションなのに変わりは無い。
――おい、そろそろ準備はいいか?」
ジョエルは衝立をノックする。ラタン編みの向こうの人影が、ビクッとしたのが判る。
「はっはいっ も、もう少しです」
「あんな格好で連れて来るから、時間がかかるんだ」
「こっちの大陸にはラビット族なんていないから、奴隷の姿でいるのが一番自然だろ?」
「亜人をそんな風に扱って、『懐剣の頭』から『結構な趣味ですね』と嫌味を言われるのは俺なんだが…」
「言わせておけよ。それに嫌味を言われるのは爺さんだろ?」
メルロマルクの影、特に『猛毒』の古参者は、長らくシルトヴェルトとやりあった経緯からか、獣人や亜人に関して含むところがある。ジョエル自身、亜人を奴隷扱いすることに抵抗がある訳では無い。
もっとも、カラ・ユルク朝において奴隷は財産であり、奴隷主は管理の義務があるのと同時に、奴隷に教育を施し市民権を与え解放する事は主人の名望に繋がる社会の仕組みがある。かつてのメルロマルクのような侮蔑的な扱いは許されていない。鎖で繋ぐのも、何らかの罰としてギリギリというところだ。
そんなやり取りをしていたジョエルにヴェノム・フォーティワンからの遠話が入る。
『v3、馬が来ます。六頭。恐らく迎えでしょう』
『わかった、直ぐに降りる。出迎えて、中庭に誘導しておいてくれ』
『了解』
「お、お待たせしました」
折り良く、衝立の向こうから黒装束の女性が現れた。黒いフェイスマスクの横から黒い毛に覆われたウサギの耳が見えている。亜人の年齢を見極めるのは難しいが、髪や毛の色艶、そして所作などから未だ若いことが伺える。
クリス・セブン。魔王が勇者達を招待した情報をジョエルらに伝え、そしてこの大陸の情勢を把握し、それを女王に届ける責務も担っている。ラビット族の亜人でありながら影という目立つ存在であり、足が速く各地を伝令役として飛び回っており、ジョエルも面識があった。元は冒険者という変わった出自で、複数属性の魔法の使い手でもある。
「よし、では行くか。
v25、留守を頼む。この部屋は一週間先まで前払いしてあるから、拠点として使ってくれ。そうそう、ここの食堂の飯は美味いぞ」
「承知した。魔物の領域にも美味い食い物があるといいな」
ジョエルはヴェノム・トウェンティファイブに命じた後、クリス・セブンを連れて部屋を出て、中庭に向かった。
月明かりと松明に照らされた薄暗い隊商宿の中庭に、六頭の馬と三人の人影が見えた。一人はヴェノム・フォーティワン。後の二人はフード付きの外套に身を包み、人相は伺えない。
小走りに近づくジョエルらに気付いたヴェノム・フォーティワンが振り向き、クリス・セブンに聞く。
「c7、馬は乗れますか?」
「はい、大丈夫…だと思います」
それを受け、外套の人物に南方語で伝えるヴェノム・フォーティワン。短いやり取りの後、ジョエル達にそれを通訳した。
「明日の明け方まで、馬で山登りです。暗い山道を駆けることになるので気をつけて。その先は徒歩で森を北に進みます」
「了解だ。出発しよう」
ジョエル達は大型の馬に跨った。操らずとも、先導する馬に付き従うように動き出す馬たち。外套の人物が先頭を行き、続いてジョエル達三人、そして殿にやはり外套の人物。五頭の馬が一列の竿になって走り出し、夜の街中、目抜き通りを駆け抜ける。
馬の脚は速く、直ぐに街の端、東門に到達した。しかし、馬群は速度を緩めない。よく見れば、門が僅かに開いている。先導者は速度を落とさずに門をすり抜け、一行はそれに続く。門の向こう側はかがり火が焚かれ、荷馬車が連なって山道を進んでいた。兵員を乗せた馬車の他にも、武器や防具、野営用設備の他、攻城兵器と思しき重機を積んだものも含まれている。その隊列はまるで山肌をのたうつよう炎の蛇のように山頂に向けて伸びている。その数およそ三百、兵力に換算して三千。ゆっくりと進むその大軍の脇を猛烈な勢いで追い越していく馬列。
カラ・ユルク朝の軍事行動に自身さらにはメルロマルクが巻き込まれていくような不安が、ジョエルの心中で渦巻いた。

――聞き慣れぬ鳥の囀り――
粗末な小屋の中で、ヴェノム・スリーは目を覚ました。
日が昇ってかなり経つはずだが、山影ゆえか辺りは薄暗く、ひんやりとした空気が立ち込めている。
顔の上に乗せていた編み笠を取り、室内を見回す。敷き藁の上に蓆をかけただけの粗末な寝台でクリス・セブンが身を丸めて横になっている。入口の戸の隙間から、ヴェノム・フォーティワンが外の様子を伺っている。緩めていたブーツの靴紐を絞め直して、ジョエルは立ち上がり、近づいた。
「どうだ、様子は」
「変わりありません。滝の横の岩場に二つ、樹上に一つです」
同じ様に戸の隙間から滝の方を凝視するが、姿を確認出来ない。探知スキルでなければ見つけられない相当な隠形の使い手だ。
「交代しよう。起こすまで休め」
「はい」
クリス・セブンを起こさぬよう静かに部屋の中を進み、背嚢を枕に横になるヴェノム・フォーティワン。
ジョエルは彼の主の位置を探る。――未だ北方の遠い場所だ。
勇者一行がマオウの隠れ家に入るのは、予定では昼過ぎ。クリス・セブンにメルティ女王の位置を確かめさせ、大殿のそれと一致すればそこが目的地となる。それが確定するまでジョエルは出立するつもりは無い。
『彼らにしてみれば、苛立たしいだろうが、な』
姿の見えない監視者たちの方を見ながら、編み笠を手の内で弄ぶ。別れ際に案内役から手渡されたそれは、水につけると葦舟に変わる魔法が付与された恐らく高価なものだ。未だ正式な国交も条約も結んでいない他国の諜報員にそれを貸し出すカラ・ユルク朝の焦りと本気が窺えた。ジョエルは昨日会ったカラ・ユルク朝大宰相との会話を反芻する。
『――先ずカラ・ユルク朝とシて、貴国メルロマルクと敵対する意図が無い事を明言シます。貴国の友好国であるテアオワンとは残念ながら交戦状態ではありまスが、現在休戦に向けて調整中でス。
休戦が成った暁には、是非とも我が国と貴国との友好条約を結びたいと考えておりまス。これが我が国の国王の望みでス』
そう言ってイブン・アキールが懐から取り出した親書は、メルロマルク語で書かれいた。内容に相違が無いことを確認した後、目の前でそれを巻き、紐で結わえて結び目に蝋印をしたイブンが、それをジョエルに手渡そうとして手が止まる。その表情と眼が一転厳しいものになっていた。
『シかシながら、此度のマオウ招聘に応じてのご来訪。ここでマオウと誼みを通ずる程度ならば兎も角、魔物との盟を結ぶようなことがあれば、我が国とシて看過いたシかねる。ソの場合、この話は無かった事に』
元の柔和な顔に戻り、その可能性は無いでしょうが、と南方語で呟いた後に、若き宰相は親書を手渡した。
『趣旨は承り申した。されど、我らにはマオウの隠れ家なる場所の検討さえ付きませぬ。会談が始まるまでに主の下に届けるのは至難かと』
親書を受け取りつつ発した言葉に頷きながらイブンは立ち上がった。
『マオウが何を目的に勇者様方を呼び出シたのか? 真意は測りかねまスが、人間を歓待スる以上、場所は絞り込まれまス』
後ろのカーテンをめくり、そこに掛けられた木版を取り外し、卓の上に置く。それはこの大陸の地図だった。
『マオウは人間でス。いえ、「元」人間と言うべきでシょうか? 魔物たちの多くは生活様式が隔たりスぎており、慣れ親シんだスタイルに近シい亜人を集めて居所や隠れ家を持っているようでス。ソの一つがここ』
彼の指は大陸中央カミガミノから流れ出でる二つの川、その一方を辿る。
『ジルコンサとケイン、ソしてカミガミノの領域が重なり合う森の奥深くに滝壺があり、ソこから川となって魔物の領域へと流れていまス。半年ほど前、ソの滝壺の周囲で漁をシていた住民二人が、鉄砲水で流サれまシた。櫂を失った小舟にシがみついた若い兄弟は一晩中流サれ、気付くと川岸に乗り上げた舟の横で寝かサれていたソうでス』
指はさらに大陸の北東ラゴント方面に滑り、止まった。
『ソこは霧が立ち込めていて、ソの向こうに巨大な建物がボンヤリと見えたソうです。ガラスが沢山使われ、見たこともない造形だったとか。傍らには見慣れぬ服を纏った亜人の娘が二人、彼らを介抱シてくれていたソうでス。黒服の男が半壊シていた小舟を直シてくれて、彼らに流暢な北方語で何処から来たのか問い掛け、気が付くと小舟と共に滝壺のソばに戻サれていた、ということがありまシた。夢かとも思ったのですが、小舟には今までには無かった真新シい櫂が付けられていまシた。ソれは魔物の領域でシか採れない艶黒檀で出来ていまシた』
思いかえり、ジョエルは外を見た。小屋の脇に置かれた小舟は、大人が四人も乗れば窮屈そうな大きさだった。その船縁から突き出した櫂らしき木の棒は、確かに濡れたような艶を持った漆黒だ。
『他にも冒険者や猟師、迷った旅人など何人かの目撃情報がありまス。残念ながら我が国の諜報員が行っても、魔物に追い返されてしまい辿り着けないのでスが… でスが、あなた方なら、マオウに招待された国の方なら妨害は無いのでは、期待したいのでス』
大宰相のメルロマルク語は、発音に癖はあるものの流暢だった。船乗りたちが使うピジン語塗れのそれとは違い、外交の場で使われるような単語や表現を正しく操っていた。我々との接触を前にそれなりの準備をしてきたはず。
それが、マオウとの接近を機に緊急で対策を要すことになった、という所か。
『ここから予想される場所近辺までの距離と時間はどの程度でしょうか?』
『陸路であれば、四日から五日ほどかかってシまうでシょう。でスが最初にお話シシた二人の時は、鉄砲水に流サれたとはいえ、滝壺から半日で流れ着いていまス。ここから滝壺の場所までは、夜を徹シて駆ければ早朝には着くでシょう。川下りについても、準備シてきた事がありまス。夕刻過ぎまでにお泊りの宿に迎えを遣シまスので、ソれまでに出立のご準備を――』
そして正に夜を徹して駆け、さらに徒歩で森を抜けて、今ここにいる訳だが、果たして本当にこの先にあるのがマオウの隠れ家なのか、確証は無い。そもそもジョエルらの目的は女王もしくは大公への情報伝達であり、隠れ家云々はどうでもよい部分だ。カラ・ユルク朝からすればマオウとの会見に先んじてメルロマルクに接触し、釘を刺しておきたいという意向があるだろうが、ジョエルにしてみれば如何に万難を排して彼の主に接触するかが最重要課題だ。
外の様子を見ながら思考を巡らせていたヴェノム・スリーは、ふと視界の隅に動きを感じた。薄暗い部屋の中を見れば、クリス・セブンが音も無く起き上がろうとしている。こちらの視線に気付き、若干乱れた装束を調えなおしてから、しなやかな動きで近づいてきた。
「休息は取れたか?」
「はい、十分です」
ここまでの道中、クリス・セブンには何度か魔法を使わせている。これから魔物の領域でアーミットを行う前に、完全回復しておく必要があった。
気が付けば、今にも日が顔を出さんばかりに明るくなっている。太陽の方角的にそろそろ昼過ぎか。その時、ジョエルの脳裏を何かが擦ったような感覚がした。彼の主がポータルで移動する時の感覚だ。確認すれば、位置が若干近くなっている。だが
『未だ大分遠いな』
到底、明日明後日で到達できる距離ではない。ここがマオウの隠れ家だとしたら、会談はおろか最終日でも辿り着けないだろう。
しかし、ジョエルにはこれが目的地では無いという予感があった。隠れ家と呼ばれる場所に直接飛ぶとは思えない。追跡を避けるために、二回か三回に分けてジャンプするだろうと予測していた。
しかし状況が動いた以上、こちらも準備する必要がある。
「c7、v41を起こせ。アーミット前に腹ごしらえをするぞ」
クリス・セブンは無言で頷き、ヴェノム・フォーティワンの元に歩み寄って、声をかけた。ジョエルは部屋の隅にある石釜に敷き藁の一部をむしって放り込み、火を起こした。
「ありゃ、火なんか焚いて大丈夫なんですか?」
「この先、温かい飯なんて食えんだろう。暫く川遊びになりそうだからな、内側から暖めてやらんと」
起きてきたヴェノム・フォーティワンに火を任せ、水を汲みに行く。この後に携行する茶の分も含めて鍋とケトルに多めに入れ、小屋に戻った。室内にはスープのいい匂いが立ち込めている。
硬パンを煮たスープとドライフルーツという粗末な食事だが、一晩中走り回った後の空腹には格別に染み渡った。ハチミツを入れた茶を飲みながら、余った分を各自の水筒に入れる。
また眼の裏を擦られるような感覚。今度はかなり近い。
「ここなら、一日でいけるか?」
「さて、見たところ川の流れは穏やかで助かりますが、速度は出なさそうですなぁ。何事も無ければ明日の夕刻というところではないですかね」
「魔法で舟の速度を上げる事は出来ますが?」
「視界の利かない夜間はそうもいくまい。それに魔物の領域内を進むんだ。極力、魔法は温存しておきたいところだな。そこは臨機応変に行こう」
「行き当たりばったりですね」
「言い直すな、v41」
片付けながら、荷物をまとめる三人。
「あ、女王が動きました。…東に徒歩で二日というところでしょうか」
「ふむ、恐らく同じ場所だな。合流されたか」
「ここが目的地、マオウの隠れ家ってことですね」
「女王に懐剣は就いているか?」
「あ、はい。予定通りc1が同行したようです」
「よし、では先刻決めたとおりだ。c7は遠話でc1に情報を伝達するのを最優先。俺たちの倍の伝達距離があるお前の遠話が頼りだ。よって、今回のアーミットはc7の生存を優先する。いいな?」
「は、はい」
「親書もc7に預かってもらいますか?」
「いや、もし親書を奪われた場合、我が国の信用問題になりかねない。一番生存する率が高い俺が持つ」
一見矛盾しているようなリーダーの言葉に黙って頷く二人。
『さて、どうなることか』
ジョエルらは立ち上がり、小屋を後にした。これから何が待ち受けているのか、知る由も無い。しかし目的が明確である以上、迷いは無かった。

多くの人々の思いが、今一所に集まろうとしている。

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