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Ghost words – 幽霊のように漂う実在しない言葉たち

こんにちは。スイスラボの言語学者、Yamayoyam です。

食欲の秋がやってきました!美味しいものを食べるのに欠かせないのは美味しい飲み物。みなさん、ビールはお好きですか?苦味があるので、好き嫌いが分かれるかもしれません。私も若いころはビールがあまり好きではありませんでした。ところが、10年ほど前にスウェーデンに移住して、すごく苦いけどホップの香りが爽やかなビールをいくつか飲んで、すっかりビールの虜になりました。IPAと呼ばれる系譜のビールだったようです。当時スウェーデンで飲んでいたのは、Åbro、Sleepy Bulldog Pale Ale、Oppigårds Indian Tribute、輸入モノだけどBishop's finger、Abbot's arm、Punk IPA などなど。どれもホップ強めなスッキリ目のビールたちです。

今私が住んでいるスイスドイツ語圏でもビールは人気で、さまざまなビールが売られています。こちらに来てお気に入りになったビールのひとつは、 Valaisanne Pale Ale。スイスはヴァリス州で作られている IPA です。IPA はIndian Pale Ale の略。Valaisanne Pale Ale は、さしずめ VPA か SPA(Swiss Pale Ale)といったところでしょうか?

そして、面白いビールを先日スーパーで見つけました。売上一缶あたり5ラッペン(5円弱ですが)を森林保護のために寄付するというコンセプトも素晴らしいし、ホップの香るスッキリした味も素晴らしいのですが、何よりも素晴らしいのは、その名前 Uszit「ウースツィート」。スイスドイツ語なのです!標準ドイツ語で対応する語は Auszeit。文字通り「時間外」という意味なのですが、もうちょっと具体的には仕事時間とか試合時間の合間や後の「ブレイクタイムや余暇」といった意味です。

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最近にわか方言ウォッチャーな私としては、とうとうスイスドイツ語のビールに出会えた!とホクホクしていたのですが、家庭内フィールドワークを敢行したところ、「ぼくたちそういう言い方しない・・・ Pause machen とか・・・、う~ん、Pause(パウゼ) て言うかな。」というガッカリなお返事が。どうやら Uszit は、標準ドイツ語の Auszeit を元にスイスドイツ語だったらこんな形になるはず、というノリで作られたエセスイスドイツ語なようなのです。もしかしたらビール会社の誰かの冗談から始まったかも知れないし、ごく一部の話者の間ではすでに広がっているのかもしれません。詳細は不明ですが、 Idiotikon というスイスドイツ語辞典にも収録されておらず、母語話者にもその存在を否定された実在しない言葉、Uszit・・・。

話は少しずれてしまいますが、実在しない亡霊のような言葉を、言語学者は「ghost word」と呼ぶことがあります。要注意なヤツです。語源辞書や先行文献に紛れ込んで、いかにもどっかで使われたことがあるかのようなフリをしていますが、実際の文献記録では一度も使われたことのない言葉。二次資料ばかり当たっているとうっかりかどわかされてしまいます。※

こういう本家本元のゴーストワードが漂ってしまうにはそれぞれにさまざまな経緯があるにはあるのですが、たいていの場合、誤解とか間違った引用が孫引きに孫引きを重ねられて、様々な文献中で跋扈し始めるようです。

というわけで取って付けた話題で恐縮ですが、バルト語を勉強していますし、リトアニア語からゴーストワードをひとつ。Kodas 「とさか、冠羽」。↓この、アタマの上にサワサワ生えているヤツです。

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(画像は Wikipedia より拝借してきました。これ、オカメインコなんだそうです)

18世紀に Philip Ruhig という改革派の牧師兼哲学者・文献学者が、リトアニア語・ドイツ語辞書(Littauisch-Deutschen und Deutsch-Littauischen Lexicon. [J. H. Hartung, Königsberg 1747])を出版しました。この辞書は後期古リトアニア語を伝える資料としてしばしば重宝されて参照されます。私も参照したことがあります。ところが、この辞書にもゴーストワードが紛れ混んでいると言われています。要注意。

Kodas 「とさか」も、Ruhig の辞書で最初の出現が確認され、その後様々な辞書に引用されました。ところが20世紀になって、リトアニアじゅうの単語のアクセントを調べ上げた Kažimieras Būga という言語学者にそんな単語は存在しないと言われてしまいます。Lietuvių kalbos žodynas という国立リトアニア語学研究所編の辞書にもそういうわけで載っていません。※※
実際は kuodas「とさか、冠羽、シニョン」というよく似た形の単語が正しいようです。そもそもベラルーシ語から借りてきてリトアニア語仕様にされた単語(借用語といいます)なので、音の当て方に借用当初はバリエーションがあった、ということなのかもしれません。でもkodas のほうは定着せずに幽霊になってしまった。

ひるがえって Uszit は幽霊というよりも、スイスドイツ語にとってはまさに今生まれている最中の新しい言葉なのかもしれません。もしこのビールが売れに売れたら、ビールの名前の Uszit もスイス中に広がって、いつか普通に使われる日が来るかも!?このまま廃れてビール缶にしか載っていない幽霊への道を辿るか、いつか Idiotikon に登録されるか、Uszit の行く末を見守っていきたいと思います。とりあえずはちょくちょく Uszit を購入して売上に貢献します。森林保護にもなるしね!

今日も小咄にお付き合いくださりありがとうございました。

スイスラボの言語学者
Yamayoyam

※ワタクシのような三流歴史言語学者は、ついつい辞書などの二次資料に頼りがち。反省・・・。
※※一応2件ヒットしますが、いずれも「コード」とか「軸距」という意味の別の単語たちです。

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