言語学者は語学が得意なのか?問題
こんにちは。
お久しぶりになりましたが、
スイスラボの言語学者 Yamayoyamです。
言語学をやっていると言うと、よく「何か国語喋れるの?」と聞かれます。
何か国語も堪能な人をポリグロットと言ったりしますけれど、
ポリグロットな言語学者の方や、ポリグロットほどでなくとも語学が得意な言語学者はもちろんたくさんいらっしゃいます。
ところが、Yamayoyamは言語学徒ですが、マガジン名「言語学者だからって外国語が得意なわけじゃない。」にもある通り、あまり語学が得意なほうではありません。
エピソード記憶はちょっと得意かもしれないけれど、
毎日継続して単語を憶え続けるのが、苦手です。
単語帳とか単語カードを使った学習が長続きしないのです。
辞書を引きながら、「ああ、この単語4回は調べたことあるわ!」
というのだけ鮮明に思い出すけれど、
肝心の意味はちっとも思い出せないことが何度あったことか!!
だけど、単語をある程度憶えないと、
何か読んでいても、辞書を見ている時間の方が長かったり、
ドラマを見ていても、聞き取りがままならなかったり、
不都合が多いです。
単語を憶えるの、基本ですものね。
スイスに移住したのを機に、本格的にドイツ語学校に通ってかなりシゴかれたんですけど、それを機に偏頭痛持ちになったくらい、語学習得が得意ではありません。
ちなみにそのドイツ語学校、B2のテストに合格して自己満足したきり(C2とかじゃないのにね)、通学を終了したんですけど、それっきりアウラを伴うひどい偏頭痛発作は起きていません。
言語学徒としてどうなの?というエピソードを恥を忍んで打ち明けました。
そもそもな話になりますが、
そんなテイタラクでなんでわざわざ言語学なんて志したの?
と当然思われるわけです。
ちょっと逆説的なのですが、語学が苦手で苦労していたので、
言語学に興味を持ったんです。
なんで外国語ってこんなに覚えるのが大変なんだろう?
言葉の仕組みが分かるようになれば、もっとサクサク覚える方法も分かるようにならないかな?
印欧語歴史言語学の授業で祖語というのを習ったけど、祖語の語形とそこから派生した娘言語へ至る音韻変化を全部覚えたら、一気にいくつか関連言語をマスターできちゃうんじゃない?
などなど、当時言語学についてほとんど何も知らなかったYamayoyamはそんなことを思っていました。
今思うと「そんなに単純なわけないじゃん・・・」と諭してあげたくなるような、しょうもない疑問ばかりですけど、これがきっかけで歴史言語学に興味を持ち始めました。
ただ、実際ちょっとだけ歴史言語学が語学学習の役に立ったことはあります。
例えば、歴史言語学の研究作業のひとつに、ことばの語源を調べるというのがあります。
音対応やら語形成の仕組みの言語間での対応を調べるには、「同源語を同定して、適切な比較対象であることを確認する」作業が必要です。
そんな作業をしていると、
リトアニア語 malti「挽く」とドイツ語 mallen「挽く」が同源語だとか、
リトアニア語 žengti「跨ぐ」とドイツ語の過去分詞 gegangen「行った」がどうやら同源だとか、
リトアニア語 vesti「導く;(男性が)結婚する」と英語の wedding 「結婚」には同じ動詞語根が含まれているとか
記憶にひかっかるわけです。
実はリトアニア語 malti「挽く」とドイツ語 mallen「挽く」は、ヒッタイト語にまで同源語があるとても古い語根を持つ言葉です。
印欧祖語には「molōタイプ」と呼ばれるユニークな活用をする動詞として再建されます。
そんな動詞が今でも日常的に使われているのはほとんど奇跡なんじゃないかと思います。
日常生活の中でもコーヒー豆を挽くときに「Kaffeebohnen mallen」と言っているのを聞いて、そうだそうだ、malti と mallen は同源語で molōタイプに遡り、再建形は*melh₂- でヒッタイト語では現在形が malli、mallanzi で・・・ と思い出すことができます。
このお陰でやたらリトアニア語の malti とドイツ語の mallen が記憶に定着しました。
多分一生忘れないと思う。
こんな感じで、歴史言語学の授業で習った言葉の歴史ストーリーに単語を埋め込んで記憶に留めておくことは、確かに可能なことがあります。
ただ、
ドイツ語で「苦情」を意味する Beschwerde や「応募」の bewerben の子音の並びの記憶はごっちゃになって怪しいのに、mallen だけはバッチリ!とか
リトアニア語で mokyti 「教える」の現在形に、mokia という興味深い方言形があるのは知っているのになぜか再帰形 mokytis「勉強する」の活用があやしげ
という妙な状況になるので、実際の外国語学習の場面でどれほど役に立つかは怪しいと言わざるをえません。
もう一つ例をご紹介すると・・・
先日「ゲルマン語の第二次子音推移」について記事をふたつ書きました。
そのうちの「『第二次子音推移を探せ』ごっこ」
で打ち明けましたけれど、電車やトラムで第二次子音推移が起きたドイツ語の単語と起きてないスウェーデン語やリトアニア語の単語の組み合わせを探すゲームをしていました。
こういう言語学ゲーム(?)を通して記憶が強化された単語もあります。が、いかんせん単語のバリエーションが基礎語彙に偏ってしまうのが、やっぱり短所でしょうか。
短所を置いといて勝手なことを言っていいなら、楽しくはありました!
まとめますと・・・
印欧語歴史言語学を勉強したら印欧系の言語学習がサクサク進むかも!
という安易な期待を、遠い昔 Yamayoyam は持っていました。
当然現実はそんなに甘くありませんでした。
でも、歴史・比較言語学の知識が多少は印欧系外国語学習に役立つことも、あるかないかといえば、たまにはあるかも、というお話でした。
その知識を仕入れるのに外国語のスキルがそもそも必要という現実もありますけど・・・。それは置いといて。
このように、言語学の知識を外国語の単語(や活用タイプも)を覚えたりに直接役立てるのには限界があるんですけれども、単調になりがちな単語の暗記をちょっと楽しくすることはできるかもしれません。
このテーマについて、またちょくちょく思うことを書いていけたらと思います。
今回はまずは導入でした。
それでは、また。
Yamayoyam
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