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映画"Whitney Houston" 〜歌姫再考

映画「ホイットニーヒューストン〜I Wanna Dance With Somebody」を見てきました。

 個人的には知っているシーンがほとんどでしたが、こうして名場面ダイジェストのように映画になっているのは、彼女の歌の再確認が出来て良かったです。ホイットニー役の女優も頑張っていて素敵でしたが、エンドロールに出てくる本人を見ると思わず「可愛い〜〜!!」と思っちゃって、帰宅してからはオリジナル映像をYouTubeで検索ばかりしてます。

 なにせ2019年に日本で公開されたドキュメンタリー映画「ホイットニー〜Always Love You」が酷かったですからねぇ。それはこちらにも記しましたが、映画を見終わった後に全く歌を聞き直したく無くなっちゃう映画でしたからね。アーティストの「影」ばかりにスポットを当てたスクープ特集〜ワイドショーでしかない映画でしたから。

そんな、酷い比較対象があったからかもしれないですが、この映画の方は、影にも触れつつも、基本は彼女の歌の素晴らしさにスポットを当てたものでした。賛否はあるかもしれませんが、歌のシーンはどれも当てぶりで、歌そのものはホイットニー自身のものが使われていたようですが、あの爆発力を表現するにはそれが良かったような気もします。

 彼女の歌の素晴らしさを知らない人に伝わる映画になってくれればいいなと思いますね。「 #ボヘミアンラプソディー 」がQueen~ #フレディマーキュリー に再びスポットを当てたように。そういう意味では、「ボヘミアンラプソディー」同様、時間軸が違う映画構成、エンディングになっていたことは、まぁ良しとしましょう。こうしたスター回顧映画は、そのアーティストを知ってる人には再確認、知らない人には知るきっかけになればいいんですからね。好きになった後、掘っていく中で更なる魅力や、果てはキャリアの順番を調べればいいですから。

あと、余計なことを加えるならば、ピーターバラカンさん的な「英語のカタカナ表記を修正させる圧力」がなくて本当に良かったと思ってます。この映画のタイトルが「ウィッニー」なんて記されてたらドン引きしましたからね(笑)。

というところで長い余談。俺にとってのホイットニーを振り返ってみようと思います。

 俺が最初に認識したのはやはり"Saving All My Love For You"1985だろうか。当時ベストヒットUSAなどでチャートを追っかけていた高校生の耳に、Anita Bakerなどとともに実にアーバンに心地よく響いた。Anitaは高校生から見るとオバサンだったけど、ホイットニーは22歳ぐらいの若くて美しいモデルのような人だったので、当然興味も湧く。そして知ったソロデビューシングル"You Give Good Love~放題:そよ風の贈りもの"に更にやられた。

「なんて心地よい声なんだ!」

 が、、、個人的にはその2曲を最後にホイットニーはチェックこそすれどのめり込むことはなかった。その理由を思い返してみると、その後のバラードの歌はもちろん素晴らしいんだけれど、素晴らしさよりも「圧力」の方を感じてしまったからだろうか。そしてその距離感にとどめを刺したのは2枚目のアルバムジャケット。これを当時の俺は「ダサい!」と思ってしまったのだ。

この、ど直球なひねりのないジャケットに引いてしまった。そしてよりド派手アッパーとド派手バラードの連発で聞いてて疲れてしまった。そんな中唯一俺が「これはいい!」と思ったのはアルバム収録で、シングル"So Emotional"の裏面に入っていた、The Isley Brothersのカバー"For The Love Of You"だった。これは今でもお気に入りで、DJでよくかける曲。


 でも一方で可愛いエピソードはおぼろげだけど覚えている。 #湯川れい子 さんのラジオにゲストでホイットニーが出ているのを聞いたのだ。そしてなんかの会話の流れで「そんなあなたに悩みはあるの」という質問に「そうね、胸が小さいことね」と答えて二人で笑っていたシーンだ。

 そこからの彼女のキャリアは俺が避けようにも避けられないぐらい目に、耳に入ってくるし、音楽現場でも女性シンガーがカバーをしたがったりするので、演奏を聞き取るために聴き込むハメになる(笑)。付き合う女性は大抵映画「ボディーガード」が好きだったしね。

 もちろん折々に「この曲は好き」なんてのはあった。"I Have Nothing"なんかは俺も好きな曲だ。それが誰もが指摘するように、#BobbyBrown と結婚したあたりから雲行きが変わってきたように俺も思っていた。今までは積極的に聞こうとしなくても耳に入ってくるし、耳にすると「これは売れるよなぁーー」という完成度と歌のパワーを感じていたのが、1999年、当時既にホイットニーを圧倒するスターになっていた #MariahCarey とデュエット曲を出した時に「ついにホイットニーも後塵の影響力を借りようとする存在になってしまったか」と思ってしまったのだ。

 そのデュエット曲"When You Believe"は今きくといいし、他の #RodneyJerkins プロデュース曲なんてのもよくできていて、いい着地点に思うし、実際それらは売れた。No.1でこそないけれど。でもリアルタイムな俺の耳からすると
「これってホイットニーじゃ無くてもいいじゃん」
と思ったのも確かだ。

 そして実際にどんどんと影響力を落としていって、ご存知のように残念な召され方をしてしまうわけだ。しかもただ一人の娘まで数年後に22歳で召されてしまうという結末。そして生きているのはプロデューサーな #CliveDavis 、そして母と兄弟とBobby Brown。ひどい家族なことも有名な話。夫や兄弟はもちろん、父母ですらもホイットニーを金ヅルのようにしか扱っていなかったわけだからね。

 そんな酷い環境の中、どうして彼女のような澄んだ、伸びる美しい声の歌姫が誕生したんだろうという疑問が残る。BLUES&SOULマガジンにも記されていたが、「彼女の歌の何がなぜそんなに多くの人の心を捉えたのか?」という疑問だ。

 まずは歌とは関係ないが、今でこそ赤裸々になっているが、**中毒のせいもあるんだろうが、生涯モデルのような細い体型を維持したことも大きいように思う。黒人に限らず、シンガーは体型が変わっていくもの、 #JanetJackson もその都度太ったり頑張って痩せてみたりを繰り返してきたように。

 あと、彼女の声は歪みが少ない。他の黒人シンガーと比べても歪みが少ない。だからこそ伸びる声がキラキラと響くように聞こえる。そのキラキラが俺のように「圧力」に感じる人がいるとしても、間違いなく遠くまで届くキラキラした声であることには違いない。その「歪みの少なさ」と「ゴスペル上がりの黒人ならではの歌スキル」の同居が、これまでにないインパクトを示したのではないか?と。ところが晩年歪んでいったことで、既に記したように「ホイットニーじゃなくていいじゃん」という響きになっていってしまう。普通のソウルシンガーになっていってしまったのだ。

 あとは抽象的な結果論だけれど、彼女は巫女のような存在だったんだなぁと思い返す。クリエイターではない。周囲に蔓延る闇と毒を見ながらもそれれを治させようとするのではなく、それを浄化するような声を持ち、その声と美貌を武器に人々を浄化していくように生きてきたんだなぁと思う。毒の沼からだからこそ現れた巫女。ただ、その類まれな浄化の力も、毒の量と、その毒を浴びる時間には抗えなかったんだなぁと。だから1999年のアルバムあたりからは、曲は悪く無くても、パワーはどんどん衰えていくように感じるのだ。

 あと一つ、色々とYouTubeなどを見直していて思ったことがある。彼女のライブはちょっとメロディを崩しすぎているところがあって面白くない。崩すんだったら #ArethaFranklin ももちろん崩す人なんだけれど、彼女は面白い。その違いはなんだろう?そうだ、彼女は曲を書く人じゃなかった。アレサは書ける人でもある。マライヤももちろん書く人。書く人書ける人は、崩すところと崩さないところが、例え即興だとしても整っていたりするが、ホイットニーのライブにおける"You Give Good Love"とかは俺の聴きたい部分が全部崩されていて、曲の肝が聞けないのだ。ゴスペルの崩しともなんか違う。だからだろう、自由に構成できるワンマンライブの映像は個人的につまらないことが多い。

 が、一方でグラミー賞だったり #AmericanMusicAward だったり、スーパーボールの国歌斉唱のように、時間が決められている中での構成力はどれも見事なのだ。束縛があって初めて輝ける人だった側面もあるのかもしれない。もしくは仕切ってくれる人がいないとダメな人だったとも言えるかもしれない。そういう意味ではプロデューサーのClive Davisは素晴らしい仕切り役だったのかもしれない。(少なくとも映画ではそのように描かれている。)

 1985年から96年ぐらいまでの彼女の歌声は素晴らしい。でもやはり個人的には最初のアルバム2枚の歌声が大好きだ。少し抑制しつつ後半弾けるところもほんの少し荒削りなところが愛らしい。俺は完成してしまう前が好きだからね。では最後にアイズレーのカバーでも聴きながらお別れしましょう。

PS:あ、前回のブログで紹介したアイズレーのアルバムに入ってるのがオリジナルですw



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