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アスリート菌という名の腸内細菌

▌NHK「ヒューマニエンスQ(クエスト)」より

 先日、NHKの医科学番組「ヒューマニエンスQ(クエスト)」で、2週にわたり腸内細菌の最新動向が特集されました。御覧になった方も多いと思います。その2週目の放送で、マラソンをはじめとする長距離走のパフォーマンスを向上させる腸内細菌が見つかったとの報告があり、心がザワつきました。今回はその辺を少しだけ掘り下げてみたいと思います。

 これは、2019年にネイチャー・メディシン【nature medicine】誌で発表されたハーバード大学とジョスリン糖尿病センターの共同研究による報告が情報元です(Abstract:https://www.nature.com/articles/s41591-019-0485-4)。

 この報告によると、2015年のボストンマラソンに参加したランナー(成績上位者)15名と座位時間の長い非ランナー対照者10名に対し、レース前後それぞれ1週間の糞便を採取して腸内細菌叢の解析をおこなったところ、ランナーの腸内には、非ランナー対照者よりベイロネラ【Veillonella】属菌が有意に多く、レース後も増えたというのです。

 さらに、エリートランナー1名のベイロネラ属菌からベイロネラ・アティピカ【Veillonella atypica】株を単離し、それをマウスの腸内に移植すると、トレッドミルでの走行時間が13%増加したということがわかりました(比較対照群にはブルガリカス菌【Lb. Bulgaricus】を移植)。


▌この研究からみえてくるもの

 この研究から、ベイロネラ・アティピカという菌種は、運動により産生された乳酸を腸内で代謝してプロピオン酸(短鎖脂肪酸【SCFAs】の一種、炭素数3)に変換し、そのプロピオン酸が肝臓でグルコースを新たにつくることで、運動耐容能が改善される可能性がみえてきました。

 このことから、一部ではベイロネラ・アティピカを「アスリート菌」とも呼んでいるようです。

 当該菌種で運動能力が改善される原因を深く掘り下げるため、さらにウルトラマラソンの選手など一流アスリート87名のコホート研究において、ショットガンメタゲノム解析にて腸内細菌叢の全遺伝子を解明した結果、運動後に乳酸をプロピオン酸に変換する酵素が増加していることが明らかになりました。

 つまり、パフォーマンス向上の直接的な原因は、乳酸の除去ではなくプロピオン酸の生成にあると結論付けられたのです。

ベイロネラ属菌によるパフォーマンス向上の作用機序
(上記論文付図より改変)

 乳酸という解糖系の副産物は、一昔前は疲労物質として悪者扱いされていましたが、運動の過程で再利用されることがわかり、さらに近年のこうした研究で、腸内細菌による新たな変換経路が発見されたわけです。

 この研究の意義は、運動能を増進させる腸内細菌種としてベイロネラ・アティピカを特定しただけでなく、乳酸からプロピオン酸に変換されるという作用機序まで示唆したことにあります。つまり、これは運動生理学の分野にとどまらず、肥満や糖尿病とも関連する可能性のある重要な発端研究なのです。

 ただ、一つ危惧されるのは、ドーピングの問題です。この研究が進み、薬剤やサプリメントがつくられるようになったとしたら、それを利用するアスリートは必ず出てきます。どこまでを良しとするのか、新たな論争(腸内細菌ドーピング問題)が起きるのは間違いないでしょう。

 最も健全な方法は、普段の食事からシンバイオティクス(プロバイオティクスとプレバイオティクスの併用)によりベイロネラ・アティピカを腸内に定住させ、増やすことです。どのような食材を多く摂ればこの菌種が増えるのか、それを解明する研究成果が望まれます。

 しかし、それよりむしろ、私はトレーニング方法に秘密が隠されているように感じます。一流のランナーは、乳酸がたくさん産生されるようなハードワーク(インターバルトレーニングなど)を日々こなしているからこそ、体にそういう耐性ができて、この研究のような採取データが得られたのではないでしょうか。

 同じトレーニングをしても、そうした腸内細菌がつくられるか否かで、成績の良し悪しが分かれてしまうというようなことも考えられます。その境界線上には何があるのか?民族性も含めた遺伝なのか、食生活なのか、トレーニング方法なのか、果たして。妄想は尽きませんね。


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