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池長孟の足跡

神戸市文書館の企画展「生粋の神戸人間 池長孟の足跡」を見に行きました。先日、神戸市立博物館へ行った時に案内があり、ちょうど朝ドラの「らんまん」に池長氏をモデルにした永守氏が出ていましたし、どういう人だったのか興味がありました。

神戸市文書館

大阪方面から行くには、阪急六甲駅から市バスに乗り「熊内5丁目」の停留所でおります。バス停の目の前にある建物が神戸市文書館です。

神戸市文書館 入口

建物全体は直方体のような四角い建物ですが、写真をご覧になれば分かるように飾りが凝っていて可愛らしく、アールデコ調の瀟洒な建物です。この建物は池長氏がご自分で収集した南蛮美術のコレクションを展示する「池長美術館」として建築されたものです。鉄筋コンクリート造3階建て、昭和13年5月に竣工したものだそうです。

企画展の看板

展示は建物の1階部分を使って行われていました。展示の資料は神戸市立博物館のものなので撮影は禁止、建物や内装などの撮影はOKでした。

タイル絵画「ポセイドン」

展示は池長氏の人生を辿りながら、関連資料(建物の図面や写真など)を見ていく流れになっていて、牧野富太郎博士への支援は池長氏の人生の中では比較的最初の方であったことが分かります。博士の植物標本を収蔵するために兵庫小学校の旧講堂を買い取り、会下山に「池長植物研究所」として移築したそうです。それが大正7年のことです(池長氏27歳)。
「池長美術館」の建設を始めたのが昭和11年6月からのことで、竣工が13年。ここに有名な「聖フランシスコ・ザビエル像」を含む南蛮美術コレクションを収蔵し、阪神大水害や空襲をギリギリのところで免れて美術作品を後世に伝えることができました。

いただいた冊子
展示されていた資料が全部写真で掲載

池長美術館は、戦後になって財産税などの対象となり過酷な課税に苦しめられることになり、やむを得なく昭和26年に4,500点のコレクションとともに美術館を神戸市に委譲することになりました。池長美術館は昭和26年から40年までは「市立神戸美術館」、その後「市立南蛮美術館」として公開され昭和57年の神戸市立博物館の開館により、美術館から博物館へコレクションを移して新たな歩みを始めたということです。
池長氏は私財を投げ打ってでも資料や作品を後世に引き継ぐべきという信念を持っていたそうで、その池長氏が守り抜いた美術品の数々を長く保存し、先へと繋いでいってほしいと思います。

池長氏の生涯を知る企画展は10月15日まで行われています。

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