帰って来た橋本治展
今日から遠征です。
まずは横浜市にある神奈川近代文学館へ。こちらでは「帰って来た橋本治展」を6月2日まで開催していて、実は20代前半から橋本治ファンだった私、見に来てしまいました。
今日は飛行機で上京しまして(計画性に欠けるためスーパーバリューで安い航空券を買ったんですよね、橋本治展を知ったのは航空券を買ったあとだった)、羽田からはリムジンバスで移動、横浜人形の家の前で降りました。リムジンバス、速いですね、羽田からは30分くらいで到着です。そこから港の見える丘公園を縦断して、神奈川近代文学館へ。「丘」って結構小高いんですね。息が切れました。
橋本治って小説家ではありましたが、彼が最初に注目されたのは東大の駒場祭ポスター「とめてくれるなおっかさん」ですね。東大では歌舞伎を専攻し、並行してイラストレーターもやっていました。歌舞伎研究会にも所属し、「仮名手本忠臣蔵」の松の間を上演、高師直を演じたそうです。松の廊下の装置も手がけたとか。
29歳のときに「桃尻娘」で小説現代新人賞佳作、作家デビューを果たします。その後、少女漫画評論「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」などの評論も多く手がけました。また、編み物でも有名で、それで本を出してるんですよね。今日の展示でセーターの実物や型紙をいくつか見て、橋本治という人は幅広くいろんなことをやっていたけれど、そのどれもが丁寧に手を抜くことなく仕上げていて、なるほどそういう人であったのだと納得したのでした。須和野チビ猫のセーターは本当に素敵でした。
久生十蘭を敬愛していたり、江戸時代が好きだったり、古典文学を愛していたり、私自身と共通する部分もあるけど、しかしその「好き」の掘り下げ方はハンパないし、そこからの広がり方も果てしなくて、私が見ていた何百倍もの理路整然と繋がり合う世界があったんだ、と感じました。
双調平家物語の原稿の山と積まれた束とか、それを書くための考察までが書かれた年表とか、人が一生をかけて成し遂げるような仕事をいくつもやっている、それも色々な分野で。
何もかもがすごくて、アホみたいに「すごい、すごい」と語彙の少ない人みたいになって見て歩きました。
神奈川近代文学館を出たあとは電車で移動し、皇居三の丸尚蔵館へ。
「皇室のみやび」第4期を見ました。若冲のアレが目当てでしたが、今回面白かったのは重文の「萬国絵図屏風」です。いわゆる南蛮屏風で、左隻には世界地図も描かれて、こういうものも持ってるのか、知らなかったなーと写真を撮りまくりました。南蛮美術大好物なので。
明日は3館見て回って帰る予定です。
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