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全体の印象から個まで決めつけてはアカン。

本日の京都新聞朝刊に「祝! 第150回ゴミコロリ」の様子が掲載された。

「まちごみ許さぬ」なんて気合いは皆無。

ゴミがないと困るというまったくもって非エコな活動なのだ。けれどお金に換算できない仕事がもっともっと市民権を得られればいいなと思う。そしてコロリ隊ってカワイイ。

写真・右の櫻本ブルーが身に付けているのは、宮下忠也さんが150回記念に贈ってくれた豪華プロテクターだ。

こんなのを光速で作れてしまう宮下さんを僕は心底尊敬し、「次、生まれ変わったら宮下さんみたいに。。。」と本気で思っている。

左足かかと痛で歩行困難だった僕は車椅子。

文中の理事長がこの人(……人じゃないな)だとは、まさか誰も思うまい。

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ところで先の京都市長選における、現市長陣営による目を疑い、吐き気をもよおすヘイト広告掲載により、僕は心の底から京都新聞に失望した。本当にあれを載せるのか??? そんな新聞社なのか??? と。

これまで何度もスウィングのことも取り上げてもらったが、「もう関係ない」と背を向けた(なんてエラそうなんだ)。

しかしこの記事を書いてくれた大西記者の登場によって、僕のその無残に傷ついた心は救われた。

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京都教育大学附属小中学校・特別支援学級廃止案問題(長い)の取材ではじめて会ったときには、ギラギラの敵対心を身に纏いながら話をした。しかし大西氏が書いた記事、そしてその後も問題を根気よく追い続け、最大公約数を狙いがちな新聞紙上において「理想」を堂々と記事にするその姿勢に、僕は手放しで感動した。ありがとう、と思った。

組織がアカンからといって、そこで働く個人個人までアカンことにしたらアカン。

全体の印象から個まで決めつけてはアカン。

その発想は大嫌いな「連帯責任」にも似ている。

反対に個の印象から全体を決めつけるのも非常に危うい。

たとえば素晴らしいアートを生み出す障害者がいたら、障害者=芸術的天才みたいになってしまう短絡的大雑把思考だ。

「犬好きに悪い人はいない」みたいなアレもアレだよね。

ともあれ完璧な世界などない。完璧な組織もなく、また完璧な個人もいない。

しかしどんな場所であっても、理想を目指して闘う人はいるものだ。

僕は闘う人が好きだ。

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