見出し画像

知らない曲は詩のように

それは時が流れても苦い思い出。
 娘の小学校の『卒業を祝う会』。保護者達が舞台に上がり、子供たちへ歌をプレゼントする企画。その曲は当時流行の曲で、聞こえない私は全く知らないものだった。役員のお母さんから、その曲に手話をつけてみんなの前に出て歌って欲しいと言われたのだ。ええ?聞こえないからって、手話が堪能なわけじゃないのよ。知っている曲にして欲しいとお願いしたが、もう決まった事だからと受 け入れてもらえなかった。

娘の1/2成人式では、子どもたちから親への感謝の歌が披露された。その時すでに私の耳は何も分からなくなっていて、先生方の配慮なのか娘を含めた数人が手話で歌ってくれて、知っている曲だったので確かに感動して私は涙を流したけれど…。その恩返しなのだと言う。

幼いころから音楽はいつも身近にあって音楽会ではピアノの伴奏を引き受けたし、コンサートにも良く出かけた。聴力が落ちはじめても、音を求めて好きな曲を聴き続けていた。

祝う会の課題曲は、譜面を見ても掴みにくかった。手話通訳士や手話講習会に通うママにお願いして、練習と本番のサポートをお願いした。本来なら教室いっぱいに鳴り響くピアノの伴奏も聴こえないので、指揮者のママに合図をお願いする。目の前で手話通訳士が大きくリズムをとりながら、手話で歌う。でも、聴力が一気に落ちたばかりの私には苦しすぎた。
これはメロディーではなく詩だ。
私には歌じゃない。良い詩ではあるけれど、リズムが取りにくくイメージが掴めない。それに手話に興味なんてない仕方なく参加している保護者もいた。
孤独だった。
練習に参加出来ないママへ、私の姿がLINE動画で転送されていく。許可もなしに。

もう、開き直ろう。当日スポットライトを浴びながら、長い詩を2番まで手話で表す。
役員のお母さんは、保護者全員が手話で歌う感動的なイベントにしたかったらしい。けれど実際に手話表現したのは、数人だった。
虚しかった。手話通訳士の女性が私の背中を撫でてくれた。私をよく知るママ友も。心底疲れた。

わずかでも音を拾えたら、少しは違ったのだろう。そして学校という空間、母親同士という独特の世界でなかったら…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?