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過ぎた前髪は決して戻らない

2019年一投目。
少し文調を変えて投稿してみようと思う。

既に約15/365日が終わろうとしている。
ところが、私は今年どんな風に過ごそうかと決めきれていない。
いや、単純に決断しきれていない。

幼少期から好奇心旺盛で、知りたがり。
なんでもなぜ?なぜ?と聞きたくなる。
それなのに、様子を伺う人見知り。
それでいて、末っ子気質で負けず嫌い。
さらには、厳格な父親の元で育ったが故に血も涙もない性格に育った。
一言でいうと、ベースは厄介だ。
そこら辺の同性とは、何か違う。
大学生くらいからそう言われてきた。
(もっと前から言われていることに気づいていなかっただけかもしれない)

最初の転機は、高校生でクラブの部長になったこと。
厳しすぎる私の指導と方針に、一学年全員が退部届を出した。
初めて他人は自分と同じではないということを痛感した。
それから、ただひたすらに頑張っても結果にならないこともあるということも学んだ。

次の転機は、大学1年のちょうど今の時期。従兄弟が成人になった時。
父が他界した。
当時は気づかなかったが、ここで私は最大の味方を失った。
人が一人死んでも、変わらぬ明日はやってくることを知った。

次の転機は、その半年後の大学2年の秋。
憧れていた英国に短期留学した。
春に必須科目の英語クラスのレベルを上げたことで、ほぼバイリンガルな環境での授業に当時の私は相当な焦りを感じた。
翌年の成人式の晴れ着に興味はないから、代わりに短期留学にお金を使わせてほしいと、母親に懇願した。
初めてアジアから出た。それも単身で。
行きの飛行機では不安で、消灯の中で静かに泣いた。
現地生活の半分はホストファミリーと過ごし、残りは寮で過ごした。
そこで、日本の内向的な性格は損であることを知った。
帰国後は、人が変わったように誰かの目を気にすることをやめた。

次の転機は、学部4年の時。
やってみたい研究分野の現状を知るために、国際学会のボランティアに参加した。
ボランティアの中で日本人は私だけだった。
米国に行くのも初めてだった。
父親が生きていたら銃社会の国に行くことを反対していたので、絶対に許されない経験だった。
せっかくだから、理系の国際的な最高学府であるMITも訪問した。
正確には、学会でMITの教授を見つけて直談判し、学会に参加している学生を探すよう言われた。
MITの学生のつながりはなかったが、参加していたCMUの先生の好意で学生とつなげてもらって実現した。
そこで、私が興味を持った分野は、夢がある分野だなと思った。
大きなお金にはなりにくいが、夢があると思った。

あの時、迷わずに渡米するという選択もあった。そういう声もあった。
実績のない私に、何度か幸運の神様の前髪は現れた。
それなのに、何かしらの言い訳をつけては踏み切れなかった。
これまでの人生で、一番後悔している。
後悔している。本当に。
どんなに不安でも、お金がなくても、踏み出すべきだった。
泣きながらでも、飛行機に乗るべきだった。
その後読んだ「LEAN IN」に"女性は男性よりも、一歩踏みとどまる性質がある"といった表現を読んで、まさにそうだったと反省した。
いや、それを読んで当時の自分を正当化させたかっただけかもしれない。
過去に戻れるなら、当時に戻りたい。
あの時、友達が「あと一歩で繋がりそうだね。勿体無い」みたいなことを言ってた。本当にそうだ。

その後、私は就職した。
生活する安定したお金が必要だった。
実際のところ、当時逃した"前髪"に変わる機会を再現できなかった。
入社して複数のプロジェクトを経験した。
今も、隣や周りの優秀な人たちと仕事して、毎日自信を失って帰る。
毎日、向いていないと思いながら出社する。
時には、自分の人間性を問いながら帰る時もある。
言い方を変えれば、優秀な人たちに恵まれて、私は刺激を受ける毎日を過ごしている。

入社後も、死ぬまでにやりたいことのきかっけを見つけては掻い摘んできたが、まだ結果を出していない。
そろそろ結果を出さないと、私、このまま生きていくのか。
このままだと、死ぬ時、きっと今より後悔することいっぱいあるなと強く感じている。
今年は節目の年だけれど、運気が良くないと四方八方からお言葉をいただく。だから余計にどうするか考えあぐねている。
でも、考えていても仕方ないと思うこともある。
比較的長く休みがとれたお正月、ドリュー・ヒューストンのMIT卒業スピーチを聞きながらランニングしていた。
彼の言葉を引用するなら、準備している場合じゃない。実践しないと。
つまり、良くも悪くも結果を出さないと。
そうして初めてスタートラインだ。

先日は、辛い・悩んでいると嘆く私に、世間はもっと厳しいんだと優しく一喝してくれる上司もいた。
でも、言ってくれるだけ良い上司だ。
生前、父がよく言っていた。
"言われているうちが華だ"と。
言われない = 興味がない ってことだ。
まずは、結果を出さないと次もない。
結果を出すための機会は、自分で動いて自分で作り出して自分で掴みに行かないといけない。
その上司にも言われた。
"キミの動きはまだ足りない"
わかっちゃいるけれど、最近、そんなエネルギーあったっけ、なんて思ったりもする。
時折、絶大な味方が必要だ、と心が折れて、自分に甘くなることもある。

今朝、吉田沙保里が亡き父に言われて強くなったという言葉を聞いた。
"どんな人も、勝ったり負けたりして強くなる"
忘れていたし、父親が他界してからそんなことを言ってくれる人がいなかったことに気づいた。
世間は甘くない。
それでも、こうやって生きていきたいと、学生の頃から決めていた最終形態には寄せていきたいと思う。
もちろん、その時々で現れる"前髪"を掴みながら。

最近、"前髪"を見ていない。
でも、次に"前髪"が見えた時は、必ず掴もうと決めている。

ここまで書いて、何も次につながっていないことに気づいた。
今年何をするか、3軸で考えようと思っている。
今、そんなところ。

swimmy999

文章にあった絵を書いてくださる方、募集していたり。していなかったり。