つけまつける。

おはよう。

人間てさ、単純な生き物なんだなあなんて思うことがあるもので。

幼少期から、"モテる"という気持ちが一般的な人より薄かった私は、どうにもこうにも自分の見せ方(魅せ方)、みたいなものには無頓着だったように思える。(それでも、私のことを好意的に思ってくれていた異性には、感謝の念しかない。有り難や。有り難や…)

大学入学したての頃も、特におしゃれに気を配っていたわけでもなく、はたまた幼少期に習っていたバレエの舞台化粧が気持ち悪すぎて、顔に何かを塗るという行為が無理だった私は、同じ学科の女の子に「あなたの服をコーディネイトしたい」なんて言われたこともあった。今なら彼女が遠回しに、もっと似合う服あるよって言ってくれていたってことをキャッチできる。

その子とは別の友人だが、大学生の頃、学科の友人で仲良かった女の子の一人が、お洒落に勤む子だった。人数の割合として、男子学科にいた私たち。それもそこそこ人数を許容する学科だったので、狭い部屋に生徒がぎうぎうに押し込まれることもあった。なので、彼女の服装を見て「おーい、そんな服装でその距離感でそんな話し方されたら、勘違いしちゃう男性もおるでしょ?」なんて思うこともあったり。

そんな彼女とお茶してる時に、ふと聞いてみた。
「もし、あなたが私だったら、どこをいじる?」って。

その子は、うーんって斜め上空を少し仰いでから、こう言った。
「つけまをつけるかな。」

なるほど。
それを聞いて、何を思ったか、翌日には人生で初めて自分のまつげに人工の毛を装飾しにいった。
まあ、朝、日によっては中途半端に開いた目に頑張って施したマスカラが、日常のあれやこれやで落ちるのを直すのも面倒だったし、朝のダマ取りも面倒極まりない。(し、取れない!いや、正確には性格的にその作業が向いてなかった。)CMやパッケージのようにマスカラをつけたところで、長くなった気もしないので、マスカラのありがたみがわからなかったから、マスカラから卒業できるのかと思うと躊躇しなかった。

とにかく「自然に」というオーダーを忠実に受け入れてくれたお店のセンスで、見事に綺麗な人工のまつげが私に定着したものだ。
そういう時、私には到底できないような技術を目の当たりにした時、決まって私はその人に興味を抱く。気づいた時には質問している。
「これ、1本あたり、何秒くらいでつけているんですか?」と。

人間、なんて単純なんだ。

つけまをして失ったのは、洗顔のCMでよく見るバッシャア!と勢いよく水を顔に叩きつけて盛大に顔を洗える爽快感。
私につけまを勧めたその友人にも予め忠告されていた。
「つけますると、ガシャガシャ顔は洗えないよ。こうやって目の周りは丁寧になぞるように顔を洗うの。」
そういいながら、彼女は綺麗な(これまた人工の爪がついた)手で、丁寧に目の周りをなぞってみせた。
だから、アイメイクが落としにくくて目の周りに雑菌が残るなんて言われているから、つけま替え時にはお手入れしてもらうようにもしているもので。

女って大変よね。

つけまと言えばさ、目の上にアゲハ蝶がのってるんじゃないかってくらいに豪華なつけまをつけている人がいるよね。特に、つけまが流行った時は、むしろそっちの方が需要があったんじゃないかっていうくらい、人工のアゲハ蝶を乗せている人がいっぱいいたよね。

ある日、大学時代の友人が撮影したそのワンカットが印象的だった。
彼は、駅の切符売り場で切符を買おうとしたか、電子マネーにチャージしようとしたんだろうね。
さ、お金を入れようかなって、券売機と対峙したら、なんとおつりの受け口に、ご臨終したアゲハ蝶が!あ、違う。ばっさばっさのつけまが!
おつりの受け口に忘れられた、華麗なつけまを写真に収めた彼のセンスも良い。
あのアゲハ蝶は、今どこに行ったのかな。

今日もいってらっしゃい
そして、おかえりなさい

文章にあった絵を書いてくださる方、募集していたり。していなかったり。