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丹波ー京都を歩く旅-DAY1


真夏の時期に思いついた今回の旅、暑さが過ぎてからと思っているうちに11月になってしまいました11月6日当日、天気は昼過ぎから雨の予報。

11月だというのに25度以上の夏日の続くなか、少しなま暖かい強風に雨の早まりも考慮して夜明け前からの出発となりました。

最初の一時間は真っ暗な旅の始まり。

早速まずはコンビニで朝食と休憩です。

歩行時代なのにコンビニかよって感じですが、やっぱりコンビニエンスにはかないません。


休憩終えて外に出ると夜明けも近し。


夜は明けたけど曇天の街道を進みます。

全旅程を三日で歩かないといけないので村道には入らず幹線道路を歩きます。

とはいえ、それほど大きくズレもせず歩行時代の街道でもあった道を歩けているんじゃないかと思うのですが、それを確かめる余裕も知恵もなく一生懸命歩きます。

というのも、背後(北)から雨雲が迫っているようで、雨との追いかけっこになっているのでした。

通勤時間となり車の通行量が増えます。

画像が伝わりにくいけど、断続的に通勤の自動車が行き交います。

歩道があまりないので歩いていてもちょっぴり緊張します。

比較的交通量の少ない旧道に入りました。

ひたすら真っ直ぐ道が続きます。


通学の高校生の自転車に追い越されたり。

いちばん最寄りの駅(と言っても10数キロ離れているけれど)の古い街並みに入りました。遊歩道の川沿い。


トイレ休憩を兼ねてちょっと駅に寄り道。

駅で降りたらしい男性が自転車を組み立ててます。
これから自転車の旅でしょうか?



二度目の休憩を終えて再び歩き出します線路沿い。

先ほどまでの幹線道路の緊張感から解放されてのんびり歩きます。

二両編成の在来線が通過。

再び幹線道路に合流。

江戸時代は柏原藩の城下町で当市の中心地であったこのあたりは電車時代までが往年で、ロードサイドの発展した現代は高速道路のインター近くのバイパスに街の中心的位置を譲ったように見えます。


柏原藩のお膝元に位置する柏原駅は木造の可愛らしい駅舎。


藩政時代の名残のような鐘楼。

元柏原藩の城下町を過ぎるとお隣の丹波篠山市との市境となる峠道に向かいます。


再びコンビニで休憩。

しようと思ったらイートインスペースがないので食糧だけ調達して先に進みます。


峠道に近づいてきました。

歩道に転がるどんぐり。


峠といっても今はトンネルがあるので坂道程度の峠です。


脇道が出てきました。

旅程も半分以上来れたし、遠回りにもならないようなので脇道に入ります。


本当はこんな道ばかり歩きたいんだけどっていう道が出てきました。


古い石の道標を発見。

寄り道のつもりのこの道こそが歩行時代の街道だと知れました。

ようやく今回の旅が本格的に始動した気がします道標の発見。



後日確認するとこの道標は明治に設置されたもののようす。

トンネルができたよりも少し先でしょうか?



歩行時代の街道を思い浮かべながら峠に向かう道を進みます。




農村の家というより人の行き交う街道沿いらしい立派な造りの家が古めかしくもひっそり並んでいます。


きれいな焚火場。

ずっとここで切り枝や落ち葉や草を焚いてきたような時間の流れを感じます。

そんな農村らしい風情も残ってます。



なんでしょうかこの実は。

食べられませんでした汗。



さらに進むすすむ。

幹線道路と交差して横切ります。

明らかに個人宅なんですが、休んでいけと言わんばかりのベンチがあるのでこちらでお昼と休憩を。


季節外れにバラも最後の花を咲かせてます。


ゆっくりのんびりしたいところでしたが、お昼を終えたあたりで雨がパラついてきました。

峠にかかるあたり、雨は降りやすいのでしょうがとにかく先を急ぎます。

休憩もそこそこに再び峠に向かって出発。


と、サバイバルゲームの看板が。今はもうやってないのかな。

サバイバルゲームができるくらいの山の中ということですね。


しばらく進むと今度は瀟洒な旅館が現れました。

当地特産の大栗は最盛期を過ぎましたが、名残の栗が幟(のぼり)のもとに。



さて街道はいよいよ峠らしくなってきました。


そして雨が本降りになってきました。

背中を追っかけられていた雨雲にとうとう呑み込まれたような感じ。


傘がなくてもよいつもりでしたが本降りとなるとちょっと厳しいです。


と、そこへうってつけの高架下に辿り着いて雨宿り。


ここで雨用の靴に履き替えて、この高架の上を走る幹線道路に出ます。


この道をさらに進めば歩行時代の街道である鐘ケ坂峠に向かうはずです。

その道のりは厳しくて今回の旅では割愛しました。

丹波から京に向かう多くの人がこの峠を通ったはずで要衝です。

丹波・京都間、比較的平坦な道のりだと思いますがこの峠は難所なのでは。



今回はトンネルの上を走る幹線道路に上がります。


そこはもう峠のトンネル。


しばし天気を忘れてトンネルを進みます。


途中ではこの旅はじめてのグラフィティに遭遇。

 

プリミティブなスタイルです。


そして市境のサイン。

全長1kmほどのトンネルの向こうは小雨の丹波篠山市。


旅行後調べてみると、このトンネルはこの峠に作られた三つ目のトンネルで、一つ目の「明治のトンネル」は自動車道路のトンネルとして日本最古、たんにトンネルとしても5番目という歴史があるそうです。二つ目は昭和に開通、平成に三つ目。三トンネルすべてが現存するのは全国でも珍しいそうです。


こちらの記事が詳しく説明されていて面白いです↓


新しくなるたびに低標高に造られていく三トンネル。
その三つのトンネルの頭上を越えていくのがここ鐘ケ坂峠。
厳しそうです。

その峠には浮世絵師・安藤広重も描いた「鬼の架け橋」なる巨岩などあるようす。

近日歩く予定です。



さて、歩行旅行は丹波篠山市に入りました。

小雨が降ったり止んだりで気にならず歩ける程度。よかった。

トンネルからそのまま幹線道路を歩いていましたが右手に村が見えてきました。

そこに古い街道があるに違いありません。

脇道からその村道に入りました。

峠のほうを振り返ると、古い街道はまっすぐ山に延びています。



そっそくこの街道を進みます。


幹線道路と違って、歩きながらゆっくり見るのにちょうど良い景色が目に入ってきます。

家々を抜ける歩行時代の街道では人の暮らしも見えてきます。





道祖神。

「荒岩」とは何でしょうか?



「三界萬霊」と読めます。

「三界」ってなんだろうと改めて調べてみると、とても深くてとてもここでは要約できませんが、ざっくり翻訳すれば「全世界」もっといえば「自分の思いつく限りの全世界」くらい全世界という感じでしょうか。

そこへ”萬=よろず”の霊なので、それはもうたくさんの御霊(みたま)です。



こちらは近辺の地図。



また少し雨が勢い増したので神社で一休み。

イチョウがきれいです。

画像は割愛ですが、このイチョウは二本が寄り添って伸びており、夫婦銀杏と呼ばれているようです。

境内には樹齢千年を越えるもみの木もあって歴史を感じます。

さて再び出発。


しばらく行くと洒落た佇まいのうどん屋さん。


こちらは古道具屋さん。

車も通らない小さな村道なのに感じの良いお店が出てくるのにも少し慣れてきました。


さらに進みます。


井戸発見。


蜂蜜発見。


どことなく都会的に整った外見の民家。

看板などは見当たりませんが人目を引く佇まい。



こちらは木工をやられていると思うんですがやはり看板は見当たりません。

とっても田舎な村道はさらに続きます。


なぜか薪が積み上げるられています。
なんだろう?


ここはどうやらカフェかなにかのようで、先ほどの薪はおそらく実用的な薪であると同時にパーキングの柵の役割を果たしているようす。

けれど今日はお休みでした。

そのお隣。
何でしょうか?

古くて良い造りの民家が多く残っていて、それを改築してある家がよく見かけられます。


また雨が強くなってきましたが、畑の焚き火の煙が雨の中を立ち昇っています。

 

のろしのような焚き火の煙が上がるのを眺めながら雨宿り。


そしてまた小雨になると歩き始めます。

山の天気、雨の降り方も予測がつきません。


と、かつての文人の家が保存されています。

幹線道路から外れた細い二車線道路からさらに村道に入り直しつつ進みます。


と、村の公民館の玄関脇のベンチに放置傘発見。

や、放置されてるように見えて実は誰かが使用する現役傘でしょうか?

区別のつかぬままベンチで休憩後、とりあえず確認、広げてみるとけっこうの破れ傘でした。

これならかえって遠慮なく拝借できます。

さて、傘を手に入れてこれで心置きなく歩けます。


村道めいた古い街道は続きます。




当地特産の小豆畑。


眼下を見渡すと小豆畑が見えます。


見たことのない屋根瓦オーナメント。



道標を発見!

「左 京いせ」とあります。
右は読めません。。

「いせ」とは「お伊勢さん=伊勢神宮」でしょう。
お伊勢参りが流行った物見遊山の時代を想起させます。



幹線道路に合流します。



なだらかな山々に沿って小さな峠街道。

村から村への外れには道祖神。



再び村道に入ります。


ここへ来てようやく気づいたのですが、この街道はマップによると「篠山街道」と名付けられています。

どこからかいつの間にかこの「篠山街道」を歩いていたようです。

ついに歩行時代の街道名を発見しました。


そしてこの街道はほとんど幹線道路と被ることなく亀岡まで続くようす。


そう知れた瞬間この農道のような細い一本道が輝かしく思えてきます。


四つ辻のある小さな街(村)。


道標を発見。

「右 なりあい・○○山(読めない)」
「左 たじま」


「すく(真っ直ぐ) 京いせ」


「すく きよ水 大阪   左 京いせ」


左側なんて読むんでしょう?


この四つ辻をどれほどの人が往来したのでしょうか?



「京いせ」を目指して”すく”を行きます。


幹線道路に合流して


また分かれて


車道を横切り進みます。


こういう感じの丘によく出くわしますが、この辺りには古墳もあったりします。

↓これが古墳かは分かりません。


民家風郵便局を発見。




大きな交差点に出るとその隅に道標発見。

「右 古市  左 篠山」


「右 篠山   左 柏原」


こちらは地元の高校。



さて、いよいよ今日の宿泊地のある篠山市街が近づいてきました。

丹波篠山といえば黒豆です。



「山の芋・栗・松茸・黒豆」


こちらは木工クラフトのお店ですが、旅の途中にあった木工をやっているらしいお宅にこちらの車が止まっていました。


小売商店の電気屋さん。希少な気がします。


ぶれてしまいましたが、皇室御用達のようです。


「丹波ささやま ぼたんなべ」



焼き栗屋さんなんですが、もう売り切れのようです。

栗のシーズンもおしまいのようす。

「篠山標柱 
 追入 ?里三拾丁四拾九間七分  
 古市 二里二拾二丁二拾間壱分
 福住 三里七丁拾三間八分」

一里=36丁=3.9km
一丁=60間=109m
一間=1.82m

「分」は尺でしょうか?

どちらにしても測量が細かくてすごいですね。

道中見かけた碑に伊能忠敬の名前がありましたが。






日暮れ前、今日の宿に到着です。

こちらゲストハウスです。


昔でいえばユースホステルですね。

掘り炬燵の「掘り」がある和室リビングで他の旅人さんと歓談するなどありました。

無人のゲストハウスでAnB的でした。

私は鄙びた安宿の方が好きですが、これからこういったゲストハウスが増えれば旅がしやすくなることでしょう。


女子大生さんとドミトリーの二段ベッドの下で、寝返りも憚られる夜だったけど、明日もまた夜明け前に出発します。


今日の歩行距離はマップ的には31kmですが、篠山街道がそれとはずれたりもしたのでもう少し歩いたかもしれません。

反対に、遠回りになるため割愛せざるを得なかった部分もありました。

現在に至るまでに通れなかった山や川や色々を飛び越えられるようになって旅の最短距離もどんどん縮まったのでしょう。

このさき未来はどうなるのでしょうか。


また明日。


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