散歩日記10/25
さて今日は散歩日記拡大版です。
この散歩日記は私の住む市内の里山を歩き巡るものなんですが、私の住む村は市の北端で南の方は車で30分以上。遠い。
そこで今日は半日かけて一気に遠くの村々を巡ることに。
そんな散歩日記「拡大版」の最初は、母の実家のある村になりました。
車を停めた道の駅から近かったからなんですが私も土地勘があるので合理的でもありました。
公民館前のドウダンツツジが紅葉しています。
旅館ように大きな造りの家。
こちらの塀も立派で都会だったら豪邸?
と思ったら2軒に分かれていました。
村によって、塀が生垣だったり色々あるんですが、この村の塀は立派です。
でもすぐに田園風景。
というか、ひこばえに穂がついています。
近年は気候の変動などで稲の二毛作が研究されているそうで、このひこばえを活用するんだとか。
今年は夏が長かったので、特にひこばえも伸びたかもしれません。
実家の墓にやってきました。
墓守の伯父が通えなくなったので、今はなんとなく私が手入れを担当しないといけないなと思っています。
それにしても霧が濃い。今はもう7時半を過ぎました。
道端にアート。霧の中にシュールに映えます。
最寄りの神社↑
この看板の上の土地には昔、神楽の社があって秋などに奉納の神楽があったそう。
小さな頃にその社はありましたが、今は露と消えました。
細長いシュロ。これなら庭にあってもいい?個人的感想。
みかん。
そして霧の中の朝日。
この瞬間前まで手前の畑に朝摘みの農家さんが見えたのに撮り逃してしまいました。。悔しい。。
その畑の隣には溜池。
この溜池の向こうに母の実家があります。
池をまわって実家跡地へ。
今はお寺の駐車場になってしまっています。
自分ちがなくなるというのは決して珍しい経験じゃなくて、むしろそういう人の方が多いかもしれませんね。
案外、人の世って若い頃に思っていたよりもうんと儚くてあっという間に消え去っていくんだなあとこの頃は思います。
で、その実家跡の向かいには新興の家。
いえ、もしかしたら昔から宅地ではあったかもだけど、古い家を建て替えるよりも隣接する土地に新築する方が合理的なんでしょう、そういうのをよく見かけるので、こちらも↑そうかもしれません。
一方で古い家々。
これらの家々は建て替えられるんでしょうか?それとも。。未来を想像すると気になって仕方ありません。
未来を想像するし、過去も想像する。
歩きながら山を見て↓、私は母の従姉妹のお話を思い出しました。
母の従姉妹は子供の頃、母を訪ねて山を越えてやってきていたというのです。
と、田んぼの畦に看板。
坂の名前が道標に刻まれています。
名前のつく坂なのだから面白いものが見られるかもしれない。
坂へ向かってゴー。
溜池が現れました。
母の実家の近くの溜池は新池と呼ばれていたようで、こちらは古池です。
けれど古池の先には段々の土地が二、三あるだけで行き止まってしまいました。
坂道は溜池までの道のようです。。
なんだか残念だけど、寺の方へ続く分かれ道に向かってみます。
なんとも長閑な村道。
この道じゃなかったとしても母たちが通った頃の記憶にトリップできそうです。
歩いているうちに私は母たちが通ったという峠道を追体験したくなってきました。
今日は奇しくもたっぷり拡大版、急遽散歩は峠越え拡大版に決定です。
こちらでも朝摘み農家さん。
農家さんに峠道のこと尋ねればよかった、と通り過ぎてから後悔していると、登山口の看板が!(なんと母の実家の目の前でした。灯台下暗し。)
嬉々として道を上がります。
こちらのお稲荷さんの方にしか道がないんだけど。。
あれ?普通に祠だけ。。
と、右の方に登山道がありました。
早速の獣道。
しばらくいくと、ご丁寧なゆるい看板に力が抜けます。
ここはゆっくり、ゆるやかコースで。
急な道とはすぐに合流して大差もなく、気持ちもゆるゆるとなったところで獣除けの柵。
山道にはどこでも付き物の柵、けれどこの先の道のりはゆるくはなかった。。
さっきの長閑な感じは一転、険しい獣道に。。
ふと、電車の音が聞こえます。
静かな山中に遠くから響く音。
一瞬、遥かな気持ちになりますが、現実は厳しい厳しい坂道。
綱が張ってありますが、これを頼りにしないと登れないほどの坂。。
いつまで続くともわからない獣道を進み続け、ようやく何やら看板が。
疲れて写真のピントも合わせられませんが「東出丸跡」とあります。
まだ頂上じゃないのか。。
道はさらにさらに続きます。
母たちは子供の頃これを往復してたの?
気楽にスタートした峠越えでしたがこれはなかなかハードです。
汗をかきかき、再びコース選択の看板。
先ほどの可愛らしさはどこにも見当たりません。
いかめしい感じで息も詰まりそうになりながら、それほどラクにも思えない字面の「らくらくコース」へ。
もう頂上は近いはずだけど、道は一向に終わらない。
再び獣除けの柵が出てきましたが撮影する元気もなくさらに進みます。
もはや道は鬱蒼として雑草にまみれ、これでは熊とかち合うなどしたらとても逃げ切れはしません。
深い雑草の茂みをかき分けるように、熊遭遇の恐怖を感じながら「本当に頂上はあるのか?」という思いも湧き上がる中。。
ようやく視界がひらけていきます。
雲海が見えます!
獣道を抜けるとそこはしっかり刈り込み除草の終わった城跡が出現です。
こんな道とも言えない道を上がってきたのでした。。↓
打って変わって天空の世界です。
四方ぐるりと雲海に包まれまています。
「丹波霧」という当地の名物は今がちょうどシーズンなのです。
偶然にも名物の雲海を拝めることとなりました峠の道。
登った甲斐あったね。
あっという間に雲海も晴れ渡ってきて貴重なタイミングでこの景色に出会えたことに感謝。
こちらに見える池が母の実家のそばの池。
で、こちらが母の従兄弟の住んでいた反対側の村。
その村に降りていきます。
ここ黒井城跡のお膝元である方が正式な登口のようすで、階段もしっかり。
それにしても眺めの良い山城だったんですね。
まさに一望できる視界。
紅葉のはじまった木々を見ながら下山も、やっぱり急な坂道続き。
他にも数人の方に出会いましたが、簡単に登れる場所ではないですね。
その昔、戦国時代に築かれた山城は物資を運ぶのにも大変な所だったと思います。
城というと県庁みたいな政治の中心のイメージがありますが、こういった山城はもっとずっと戦略的な意味が強かったのかな。
戦争を中心に考えれば良い城かもしれませんが、戦争がなければ険しく辺鄙な山でしかない。
そんなことを思いがなら、おなじみ獣除けの柵を四度目通過。
ということで今朝私が登った道は「国指定重要文化財」でした。
時間を巻き戻すように正面入口に立つ。
一般の表の道でない裏道を進むことはよくありますが、今回もまさにそんなハラハラドキドキの裏道トリップでした。
降りた先には小学校。
きれいな整ったグランド。
百葉箱も懐かしくきれい。
て、小学校のわりに鉄棒高くない?
多くない??
孔雀。
学校の畑かな。コスモスやススキも手入れされてます。
ススキは荒地に巣食う雑草のイメージですが、利用価値もあるそうで、こちらも何かに使う予定でしょうか?ススキを縄ってあります。
こちらは狂い咲きの桜とそんな狂い咲きが似合う空。
振り返ると頂上の城跡。
車道まで降りてきました。
とはいえ脇の景色はこんな。
長閑でもあるけど、車道はやっぱり歩いていても落ち着きません。
脇道を発見。車道から逃れます。
間も無く車を停めた道の駅も近いところで、古い石碑を発見。
右は京都・大阪
左は福知山・宮津・舞鶴
と言われても右の道?がない。。
仕方ないので畑の畦道を右として。。
踏切渡って。。
しばらく進むとゴールの道の駅に到着です。
京都、大阪方面はさらに直進するようです。
この道の駅は高速道路のSA代わりにもなっているのでいつも大盛況。
時間的にはお昼前でまだ早いけど、峠越えはきつかったので今日はここまでとします。
雲海の見れたスペシャルな拡大版となりました。
また次回。
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