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カワラヒワの亡骸の追想

先日マムシの咬傷で入院、五日目にようやく退院できたが、

手の腫れは引かず、斜視の方も未回復で、
結局、安静にする他なく、制作は休んでいる。

(昨日までの5枚の絵はストック分で、咬傷前に描いていたもの。)


ということで、今日は安静にしているあいだに書いた文章のみで。



昨日投稿した、カワラヒワの死骸をスケッチしたときに感じたことを、

はっきり言葉にしたいと頭をひねったことを、少し整理したい。


言葉にしたいと思った始まりはたぶん、スケッチに題をつけるとき、「亡骸」という言葉を浮かべたときだ。

カワラヒワの死骸に対して、それを「亡骸」と呼んだとき、その”亡き骸”からは、なにか消えたり、”亡”くなったりしたという気があまりしなかった。


都合で、スケッチは時間を空けて、次の日となった。

するとその間、発見当初から集(たか)っていた蟻が、地面に面した死骸の頭部の半分を平らげてしまっていた。

それを見て、そのときはじめて「無くなった」と少し感じた気がする。


ASH TO ASH、色即是空、

「引き寄せて 結べば柴の 庵にて 解くれば元の 野原なりけり」(慈円)

という唄のように、

風みたいに消えてなくなるきざし。


人は死ぬとすぐに火葬される。

それでも火葬までの幾ばくか、最期の別れに拝顔するが、単なる有機体として身体が分解されていくさまを観察することはない。

しかし、もしもそれをじっくり何日もかけて観察する機会があるとしたら、いったいどんな感じだろうか。


死とはある意味、

魂、意識とかいう”主体”の不在をあらわしている。

自発的にはもう活動できないのだ。

しかしそこで、

”他者から見られる対象”としての身体が、

”客体”として残るように思う。

それも塵に分解される束の間のことなんだが。


マムシ咬傷の入院中、病棟の書架にあった大江健三郎の『日常の冒険家』(1964刊)を読んでいた。

日常という抑圧的な摂理の中を、自然と闘う登山家のように人間的に生き、破滅していく人間のストーリーだが、

その文中に、画家ゴッホの詩が登場する。


『死者を死せんと思うなかれ 生者あらん限り 死者は生きん 死者は生きん』


人は死んでも誰かが憶えている限り心の中に生きているという話だ。

亡骸が依然として十全に存在する(ように感じた)ことと、どこか、それほど違わないように思える。


亡骸は「眼差すことで”生”を得る」のかもしれない。


誰かがその死骸を見つめている限り、その死骸はまだ、生のようなものを持っている



実際、眼差す(観察する)ことが、何かを”生かす”のは明白で、

たとえば、花を育てるのならば、毎日観察して、萎れていれば水をやるだろうし、様子がおかしいかどうかの判断もその観察によってくる。

花に対して、人に対して、道具に対して、同様ではないだろうか。

それらは観察されることで、結果、生かされているようにも見える。


詳らかに見れば、わからないこともわかるように。

見られる物に、光を当てる行為みたいな。

見ることによって世界を知る。とか。


けれど「目に見えるものだけが現実」だと偏重する。


「だから"闇"があるのかもしれない」と考えてみる。

闇に光を当て、克服しなければならない面もあるが、

同時に、決してなくならない闇=無知をきちんと畏れなければならない。

夏の強い日差しが作る草むらの影の中にマムシがいて、それが”死”なんていうと軽いが、見えないものを侮った結果の咬傷ではある。




亡骸は眼差されることで再生されたと考えてみる。

観念的な死から生への再生として。

それで少し、気持ちのもやもやは解消しそうだ。


死者は生者の記憶に生きん。

生者の記憶の中で死者はメッセージとなって残るのだろう。

人が描き唄うことが場合によって残っていくように、死者のメッセージも実際、残っていく。




「皆お互いたくさん描くなり唄うなりすれば生も愛も増えて、文化ってそんなもんだし、観念的な宇宙から見えば、それこそが生命の瞬き」


マムシの咬傷で制作もできず、安静中のなか、Twitterでメモがわりに呟いたこの言葉にコメントがついた。


「土方巽は、『生者は死者と手をつないで踊っている』というようなことを言っていた」と。


それは、コメントの主が経験した、(今は亡き舞踏BUTOH創出者)土方巽との縁が自分を生かしてくれた経験を思い出して送ってくれたものだった。


少し自分流の言い換えになるが、

「生者は死者のメッセージとともに生きている」

と言い換えてみる。

連綿と過去からつながるメッセージのたくさんの交信が見えてくるようだ。

星の瞬きのよう。



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