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「A UN」日記
最近、頭の整理が必要みたいで、今日もまた日記風です。
「A UN」というのは毎日描いている油彩スケッチのシリーズ。
これからどのように進展しようか先日も頭を悩ませていることを書きましたが、とにかく題材である外に出掛けよう。
昨年までは家周辺を歩くだけでも刺激的でしたが、さすがに最近飽き気味。
そこで少し足を伸ばそうと思い、車でお出掛け。
向かうは、スケッチ散歩などで家から少し遠出して歩いたことのある限界あたり。
そこから先に歩こうとゆうのです。
生まれ故郷とはいえ、その土地のほとんどは歩いたことはありません。
そういう意味では土地の知見も広がります。
考えてみれば、外=里山はさまざまな生き物がいて暮らしています。動物、草木。
そんなものの姿から、外を歩くと自然と力をもらえます。
それは母も同じことで、二人揃ってドライブといえば、あたりの里山・村をぐるりと周遊することだったりします。
季節の花を確認し、人家の庭を愛でているうちに生きる活力も湧いてくるように思います。
絵についてもこの里山風景を描くのなら、その草木や生き物の営みをそのまま写すだけで十分にも思えます。それらの営みの連環を絵で見て意識し確認するのは里山めぐりと同じこと。
そう思って昨年は油彩スケッチを進めましたが、今年はそれをもっっと普遍的に抽象化したい欲が湧きました。
昨年は母や同年代の人たちに届くよう意識していたものを、今年はもっと幅広くできないかと思ったのです。
けれどそれがうまくいきません。母のケアから離れ制作に没頭するならあるいは進展すると思いますが、それでは本末転倒なのでした。
車を停めたところから歩いて先に進みます。
天気良く、爽やかな里山歩きでした。
そこで私が楽しむものはやはり、一つひとつの事象、たとえば山の形や鳥の声、花の所在や咲き具合。
それらは決して単体で成立するのではなく因果関係があります。
山も鳥も花も人も、唐突にそこには居られません。
水辺の鳥は川にいて、日陰の山際に咲く花は日向の真ん中には咲きません。
虫がいるからツバメが飛び交い、その虫は花の蜜を追うのです。
そんなこんなを絵で描くのは楽しいもの。ただありのままを描くだけで、自然と絵にはその”ありのまま”に備わった因果関係が描けるのですから。(それだけで描けるわけじゃないけれど)
けれど、その図示的な絵、具象的な絵でないものも描いてみたい。というよりもどこまでその具象を簡略化できるのかを考えていると、少し散歩からも遠のいてしまいました。
久しぶりの遠出散歩。
少し休もうかと思い始めた頃、ふと振り返ると遠くの田んぼの畦道に地蔵が見えました。
![](https://assets.st-note.com/img/1684203236676-MqFE6SfRHo.jpg?width=800)
あそこで休もう。
けれど、少し近づいてみると、それは地蔵ではないようです。
![](https://assets.st-note.com/img/1684203249616-RXIlGvGKau.jpg?width=800)
何はともあれ気持ち良さそうな場所だから行ってみよう。
結果、地蔵ではなかったけれど、”地蔵的”石碑でした。
![](https://assets.st-note.com/img/1684203277854-lE1gopmsaN.jpg?width=800)
碑は「大天光之宮」と読めます。
確かに陽当たりの良さそうな、というかお陽様に感謝したくなるような場所だと思いました。
山際は削られて高速道路が走っていましたが、それもない昔の頃はほんとうに山際の田んぼだったことでしょう。
朝陽はその山の向こうからやってくるので、陽の昇るのが待ち遠しかったかもしれません。
石碑は西に向くように、あたりの田んぼを見守るように立っていました。
ふとその、陽が待ち遠しかったかもしれない昔の風景を想像してみました。
山は田んぼに隣接、けれど今のように杉林でなかった頃。
川沿いの道にはガードレールもなかったし電柱もなかった頃。
けれど、現実の今はそうではありません。
諸行無常に移り変わる景色。
今を生きる人間にとってはやっぱりこの風景こそがリアルなんでしょう。
それはもちろん母にとっても。
まもなく90歳にもなろう母にとっての憧憬は未だ昭和的な里山・村、つまり母の生活環境そのものです。
そこにこそ憧憬があり、関心があり、生活があるのでしょう。
「A UN」は制作ベースには”ケア”を念頭に置いています。
実際の介護と制作を重ね合わせてしまうことで両立をしようとする意図もあります。
けれど欲張ってさらに自分の描きたい方向性を考え、結果、考えあぐねかけていたのですが、頭が晴れる思いがしました。
やはり母の世界の見え方に添おう。
その結果とり漏らすものがどんなものなのか、それを考えることをやめよう。
世界は移ろい、同じ景色はなく、けれどその移ろう現実の中で人は生きているのだ。
そこに止まることは見える世界を狭めるかもしれないけれど、移ろう現実の中から他の世界に通じる道もある気がする。
風景をただありのまま描き写すことで自然と物事の因果関係を描き写すことができるように。
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