シャンプー

気分で替えて後悔したシャンプーをきょう使い切った。
いつものじゃなくて、私がまだ若くて恋をしていたときに、好きだった人が好んでいたシャンプー。
いつも使っているトリートメントと匂い的に相性が悪くて、使いはじめてすぐは捨てるかどうかかなり迷ったけど生来の貧乏性が勝って今日使い切るまで毎日使い続けていた。
使ってみれば案外カラーとの相性が良くて、前はすぐに金髪化していたのに今回のシャンプーとコンディショナーだとそういうことがない。ちゃんと潤いも維持されていたし何ら困ったことはなかった。

替えて後悔してすぐに買い直し戸棚にしまっておいたいつものシャンプーとトリートメントを浴室に設置しながら、恋しい誰かに染まり、恋しい誰かに媚びて生きる生き方について、やめたいのにやめられない、いつまでも幼稚な愛情不足を口元に溜め込んでいる自分の現状を思った。自分が思う通りの好意的関心を得たいから、無理していつものではない選択をする。

人が私に気を遣ってしてくれた言動はたとえそれが当人にとって無理していることや大変なことで私が「そんなことしなくていいのに」と思うようなことでも、その人なりの誠意でその人が私との関係を大切にしてくれようとしてなされる言動なのだから、ただ否定するのではなくて感謝して受け取りながらやんわりとその人が苦しくなってまで私に気を遣わないでいられるように少しずつずらしていければいいなと思う。こちらを思ってしてくれていることが普通のことだと思っちゃダメだし慣れてもダメだし、何かの感情を向けられることの心地よさに負けてはいけないのだ。

いつもあんな感じのあの人が私のためにやってくれたたくさんのことは感謝してもし尽くせないほどで、それはかなり無理させていたことかもしれなくて、でも私は無神経で当たり前のように受け取っていて、なんならもっともっととせがんで暴れてぶつけてしまった。ずっとずっと後悔している。

自分の気遣いはほとんどの場合、うまくない。気遣いじゃなくて媚びで無理で自己犠牲で、自分のことしか考えていないことがたぶんみんなにばれている。「愛って思ったよりべちゃっとしていないんだよ、もっと遠いものだよ」ってどの口が言ってるんだろうね。ありがとうのつもりで、何かお返しがしたくて、でもどうやったら相手が喜んでくれるかわからない。私が自己犠牲で媚びている間私が見ていたのは相手じゃなくて私自身のことだったから。

今夜からもう、いつものシャンプーなんだ。
誰に伝わるでもなく、誰が気づくでもなく、ただきっと匂いだけは少しだけ変わっている。私がやり直したいあの時、まだ笑えていたあの時の匂いが、私の髪に戻って来る。シャンプーを使い切ってはじめてわかった。私が戻りたかった場所は、若い頃の片思いではなかった。

思い出に生きていたい時もあるし、知ってる範囲の自分に似合いそうな色しか身につけたくない、変わりたくない気持ちがいつまでもあるけれど、ピンクのマシェリが好きだと言ったあの青年のことは今どうしてるかも知らないし積極的に知ろうという意欲もない。いつもと違う色のファンデーション下地を買っていたことに塗ってから気づいて、それでも案外良い感じであることに新鮮な驚きを感じている。自分なんかには似合うわけがないと思っていた物事ばかりが、手に入れるのに色々と理由をつけて慎重になっていた物事ばかりが、ほんとうは私にフィットしている。
それでもきっといままでも私の伏線はかなりわかりやすい形で回収されているし、ふわふわしているように見えて、私の潜在意識が最適な方向に導いているのだろう。

だから戻りたいなんてきっと通用しない。今がどんどん進んでいきながら、苦しくて泣きそうになりながら、それでも後から見た時に「この時が伏線だったのね」と回収できる日が、

たぶんまた笑える日が、

どうか。

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