見出し画像

私は双極性障害Ⅱ型サバイバーです。

ここ数日、色んな事を考えさせられる機会がありました。
学校でのグループワークを発端に多くの自己開示の機会があったり、過去に置いてきてあまり見ないようにしてきた宿題に直面化していくようなタイミングとなりました。

そこで私もここで自己開示をして自分の事を振り返りたいと思います。
そしてサバイバーとなった今だからこそ感じている気持ちを少しでもお伝え出来たらと思います。

この記事の中で、私の心に響いてくれた記事を3本紹介しています。これらの記事もよろしかったらご覧いただけたら、私の拙い文章で伝え切れない部分が補完されるかな、と思っています。

私のケース。

振り返れば幼い頃から気分障害の要素は多々見られました。
鬱を疑い出したのは、長女の出産後です。
当時、鬱は3ヶ月落ち込みが続いたら受診を、と言われていたような記憶があるのですが(私の思い込み、記憶違いかもしれません)、それを信じていました。
私の落ち込みは大抵1〜2ヶ月程度続き、それを何度も繰り返すようなものでした。
もともと日常生活能力が低かった私は、ワンオペ育児を続けるうちに、「ちゃんと出来ていない事」に追い詰められていきました。

暗黒の30代でした。
お葬式が何回あったかな?引っ越し何回したかな?義父の問題行動で何度頭を下げたかな?
娘の入院通院もあった。骨肉の争いも目撃した。そして次女は8ヶ月で死産となった。まだたった5歳だった長女の悲しみに寄り添いたくて涙を我慢した。

そんなに大きくない私のコップの容量はとっくの昔に満杯で。
ついに壊れてしまいました。

今、私が伝えたいこと。

当時、私がよく使っていた例えですが、嵐の中、大荒れの海原に小舟を浮かべて、木の葉のように波に揉まれ翻弄され、何度も浮き沈みし、その度にゴッソリと私のエネルギーは削られて、チャージする間もなくどんどん削られて。そんな状態でした。

あの嵐から、どうやって生還出来たのか。
具体的な事は正直よくわからないんです。
鬱病の治療から投薬が始まり、どの薬もはまらず迷走し、気分安定薬のリーマス&デパケンコンビにいくつかの薬を組み合わせた処方に落ち着きました。
トータルの服薬期間は約10年。
あの頃。ただただ苦しかった。記憶すら曖昧なんです。深く思い出そうとする事を心が拒否しているのかもしれません。

そんな中、双極性障害Ⅱ型サバイバーの私に出来る事を考えさせてくれた記事に出会いました。

当時、同じ病気を抱える人達のコミュニティに何とか繋がろうとしていました。
私を含め苦しんでいる人達。励まし合い、癒やし合う中でも、お互いがお互いを巻き込み傷口を広げるような事もありました。
そんな中で寛解後のイメージを持つ事は、非常に難しかった。
永遠とこの苦しい状況を繰り返すとしか思えなかったんです。

双極性障害は、再発の可能性が高い疾患です。
再発防止のため、維持療法として服薬を続けるのが治療のセオリーと聞いていました。

服薬を止めた今でも、再発の事は日常的に意識の表層に浮かんできます。
あれだけ身近だった病的な希死念慮は、実感として思い出せないくらいに消えています。
が、逆に楽しい時に「これは軽躁が出てるんじゃないよね?」って思ってしまいます。(軽躁でやらかした事も色々ありました)
テンションが上がり過ぎたり、疲れ過ぎたり、落ち込んだり。頑張り過ぎたり。
そういう事が全くないなんてありません。
ただ、行き過ぎてしまう前にバランス取ってこうぜって思えているうちは大丈夫かな?と思っています。

もし。
あの頃の私が、私のような生還者がいる事を知っていたら、どうだったかな、と思いを巡らしてみました。

希望が欲しかった私は励まされたかもしれない。

負のループに嵌っている時だったら、「私は違う」って受け入れられなかったかもしれない。
私には無理、と思ったかもしれない。
ズルいって腹立たしく思ったかもしれない。
私はこんな状態なのにあなただけなんで?って。

あの、纏わり付いて離してくれない闇を知っています。
だから、今苦しんでいる人達にどう声を掛けたらいいのか、正解は分かりません。

だから、私のような人間がいる、という事だけ。
それだけを伝えたいのです。

自分で自分に貼るレッテルは必要なくなったようです。

もう一つ、こちらの記事も紹介したいです。

先程も少し触れたんですが、私にも双極性障害以外の「何か」の要素、恐らく障害に分類されるような特性があります。

どうしても「ちゃんと出来ない事」があります。
家事は、もともと苦手でしたが、サバイバーとなり気がつけばもっと出来なくなったような気がしてます。
料理とか、スーパーで買い物するとか、いまだに苦手です。(嫌いじゃないんですよ。段取りが悪くてやたら時間が掛かるんです。スーパーに行くのは心理的に負担がありなかなか行けない事もあります)
外で頑張れても家にいると動けない。
家もハッキリ言って散らかってます。整理整頓出来ません。
その他も色々と、生活上だったり対人的なものの中に色んな「苦手」はあるんです。

だけど、そこもまるまるっと「私」だし、まぁいっか!と思えるようになったんだと思うんです。
そしたら、俄然生きやすくなった。

だから、他のレッテルはもう必要ないのかな〜と思うんです。
ありのままの自分で、平均的ではなく私なりに、日常生活を送れるように、生きやすくなるように、それだけでいいのかな。

そんな事を考えていたら、新たにこんな記事にたどり着きました。引き寄せって絶対ありますね。

最近は、当時知らなかったHSPの考え方に触れて「ほほう」と思ったりもするんですが、自己理解を深める手段として使うに留められるんです。
「呼び名にとらわれない。個性に目を向けていく」
そこに原因を求めなくても、私は私だと受け止められるようになれたのかな。

齢四十五にして(笑)

40代の今が1番楽しい。

今、素直にそう思っています。
毎日が楽しい。
喜んだり悲しんだり、時に腹を立てたり。
そんな感情をひとつひとつ噛み締めては生き延びて良かったと心から思っています。

寛解後も実は困難続きだったんですよ。
再発に怯えて恐る恐る手探りで進んできました。

それでも「今が人生の中で1番楽しい」って思えている事が、私の価値です。

このまま、50歳になっても、60歳になってもそう思っていられたら、それこそ最高ですよね。


こんな人間がいます。ここにいます。
それだけ知ってもらえたら、と思い記事にしました。
最後まで読んでくださった方に心から感謝します。
ありがとうございました。


9月19日追記
次女の死産は妊娠8ヶ月の時でした。何故か10ヶ月と記載していましたので本日訂正いたしました。
来月の今日が娘の誕生日(=出産日=命日)なのですが、月命日に当たる今日気がつけたのは、娘からの「おーい!間違ってるぞー」ってサインだったのかな。
今度ちゃんと訂正記事を書くね。ごめんね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?