なにがあっても

苦しいフェーズに入りました。登山に例えるなら、はじめは元気でどんどん登っていけたのに、だんだんと息が上がったり疲れが出てきたりして、周りにずんずん追い抜かされて焦りばかりが募る感じです。このまま登り続けても、ほんとに頂上まで行けるのだろうか。むしろ下っているような気さえする。

なにかに取り組むということは、そういうことなのかもしれません。真剣にやればこそ楽しいばかりではない。初めてなのに上手にできるというひとが現れれば、「わたしはこんなにやってるのに上手くならない」と落ち込んだり、凄い方に教わることができるだけでただ嬉しかったはずなのに、「彼女はわたしの年にはこんな仕事をしていたのか」と考えたり(これって師匠と自分を比べているってこと? なんておこがましい)。「わたしごときがなにをやったところで、ものにはならないのかもしれない」と思う。

朝ドラのスズメも苦しそうでした。ネタバレになりますが、好きだったマンガを仕事にしたのに、描けなくなって苦しい。友だちは成功しているのに。そのうえ好きだったひとは他のひとと結婚してしまい、ひとりぼっち。そんなスズメを導いたのは、師匠のことばでしたね。

なにがあってもすべてあの時のときめきからはじまっていることを忘れるものか

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好きなことを続けられるというのは、それだけで才能なのかもしれない。もしかしたら、上手くできるというよりも、だいじなこと。「青春ぜんぶ懸けたって強くなれない? 懸けてから言いなさい」との『ちはやふる』原田先生のことばも思い出す。わたしは、まだ青春のほんの少ししか懸けていない。

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