【講演】日本語版の著者になる〜「名訳が生まれる背景~翻訳家・土屋政雄と編集者・山口晶が語る翻訳秘話~」

六月末日、日本出版クラブにて標記の対談が行われました。土屋先生のご講演を聞きに行くのは今回で三回めを数え(それもわずかここ一年のあいだに)、訳文の素晴らしさは言うまでもなく、その飾らないお人柄も窺い知ることができ、すっかりファンになってしまいました(パーティではサインもしていただけた〜!)。

今回は翻訳にフォーカスして、まずいかにして土屋先生が翻訳家になられたのかを詳しく話されました。山口さんが「小説にしたら面白くない」とお褒めに(?)なったとおり、留学、スカラシップ、スカウト、訳した本のヒット、福引で当たったフィンランド旅行、それをきっかけに出会ったイシグロ作品『日の名残り』の翻訳の依頼が直後にやってきた……などなど、なんともトントン拍子なわらしべ長者のようなお話でした。

次に翻訳のうえで大事になさっていることを三点。ひとつめはバイト数のことで、これは昨年九月のご講演でも詳しくお話しくださったことでした。原文と訳文のバイト数(つまり情報量と言っても差し支えないでしょうか)が一対一となるものが理想的ということです。ふたつめに、フォグカウントで原文の難易度を大まかに把握すること。カウントはこちらのサイトでもできるそうですが正確性は多少難ありのようです。最後に「自在性」ということ。最近、The Remains of the Dayを自分で訳したあと、土屋先生の既訳と比べているのですが、そうすると、いわゆる直訳からいかにアレンジを加えられているのかがわかります(こういう作業って楽しいのです)。そうした自在なアレンジを可能とする、あるいは必要としているのは、このように考えているからだそうです。

「翻訳者は、日本語版の著者である」

翻訳をするという行為は、翻訳者自身が原書をどのように理解したのか、ということしか書けません。この点は鴻巣先生がおっしゃっていた「世界を引き受ける」という点ともリンクしました。それはつまり「著者になる」というほどの覚悟を決めることなのですね。か、かっこいい。

最後にあがった会場からの「英文の読解力をあげるには」との質問への答えが、また印象的でした。「英文をたくさん読むこと」だそうです。量はいずれ質に転ずる、と。先に書いたとおりヒット作を次々と出されているのは、ツキがあることに間違いないでしょうが、当然ながら実力がなければツキも生かされません。土屋先生ご自身、子どもの頃、ご友人のお宅にあった本を片っ端からすべて読破されたとおっしゃいました。目には見えないけれど先生がこれまで積み上げてこられたものの大きさに、初めて『日の名残り』を読んだときのように、圧倒された思いがしました。

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