「科学とオカルト」で考える

つづき。
かくの如く、科学の守備範囲は限定的なわけだが、
じゃあ、とりこぼした領域は「何が」補完するのか?
と思う。
無常なのだから、法則性だとか体系だとか理論だとか
構築できないんだろうか。

なにか、世界と宇宙を貫く美しい何か、を求めるのは
大脳新皮質の見る夢でしかないのかな。
そこら辺を、まるっと「神の御業」に丸投げしてるのか。

元々は、人間の「不安と恐怖」から始まった。
そこをなだめ安心させよう、と信仰が発明されたけど、
それがまたおどろおどろしい、恐怖政治になってしまう。
そこから救い出そうとしたのがイエスだった。(たぶん)
しかし、またまた教会が巨大化・ヒエラルキー化して
恐怖政治になってしまう。
そこから救い出そうとしたのが、科学だった。
しかし、またまた科学が新たな恐怖を人々に刷り込んでいる。
コロナ騒動が、とてもわかりやすい。
いつまでやるんスか。
果てしないんスか。

池田清彦氏はこの本の中でも
「科学の未来は、問題をでっちあげて予算を得る、て方向に
向かうかも。資本主義と民主主義と科学の三すくみで。」
というような危惧に触れている。
予言は当たりつつある。

科学万能への信仰が、逆に恐怖感を増やしている。
問題は「信じたいキモチ」てことか。
あるいは「コントロールしたいキモチ」か。