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まだマジックで消耗してるの?

0.はじめに


あえてセンセーショナルなタイトルをつけましたが、当記事に特定の個人やその取り組み方を批判する意図は全くありません。
自分が普段からぼんやりと考えていたことを改めて言語化するために書いた自己満足100%のチラシの裏なので、こういう考え方もあるんだなくらいに読んでくれれば幸いです。
昔から自分のことを知ってくれている人にとっては矛盾するような内容もあるかもしれませんが、人は変化するという事で見逃して頂ければと思います。

1.僕と競技マジック

先日、チャンピオンズカップサイクル1の予選シーズンが終了した。(正確にはまだ台風で延期した宮崎の予選が残っているが)
予選に参加していた友人や周りのプレイヤー達を見ていると、精神面、金銭面、あるいはその両方で酷く消耗している人が多いように感じた。
自分はシーズンの開幕1発目、日本選手権サイドイベントの先行予選で優勝し運良く権利を獲得できていたので今シーズンは余裕を持って過ごせていたが、もうすぐ次シーズンの予選が始まるということもあり、他人事ではなくなってきた。
11月に名古屋で行われるチャンピオンズカップの結果次第では、今後の身の振り方を考えねばならない。

競技マジックがオンライン中心になってからSWDという人間を知ってくれた方は、僕のことを生粋のグラインダーだと思っているかもしれないが、決してそうではない。
元々田舎住みで出不精な自分は、流行病の影響で競技マジックがオンライン中心になる前は、年に数回グランプリや近隣の店舗で開催される大会に出る程度のプレイヤーだった。そんな状態でデッキを揃えても減価償却する前にセットがローテーションしてしまうか価値が暴落してしまうことが多く、いつしか紙のカードを全く買わなくなってしまった。
競技マジックに取り組む理由は人それぞれだが、マジックを通じてお金が増えるのが楽しい、というプレイヤーがいる以上は、マジックを通じてお金が減るのが苦しい、というプレイヤーもいることは理解頂きたい。

そんな僕がここ数年精力的に大会に参加できていたのは、夜型の生活をしても比較的支障がない仕事をしていたことや、大会がオンラインになったことでカード資産や地域格差といった問題が無くなりリソースを注ぎ込みやすくなったことが大きかった。
そんなバブルとも言える状態が終わり、テーブルトップに競技の比重が傾きつつある今、マジックと僕との付き合い方も変わってきた。
勿論僕にも地元のFNMやプレリリースなどに出て、それだけで楽しかった頃はあった。
しかしその時に感じていたモチベーションは自分にはもう無さそうだ、という話をしたいと思う。

2.生活スタイルの変化

自分語りが長くなり申し訳ないが、去年の7月に一身上の都合で前職を退職してから1年ほど無職生活を経験した。当初は無限にマジックができる!最高の生活だ!と喜んでいたのだが、次第にそうでもないことが分かってきた。
これまで仕事終わりに限られた時間をどう有効活用するかということばかり考えていた自分は、無職になり生活の全てを自由に使って良いとなった途端、マジックをサボり始めた。
後述するが、現代社会には娯楽が溢れていてコンテンツの洪水に溺れそうになることもしばしばだ。そんな中、どんなに好きなゲームであろうと一日中PCの前に座って対戦を繰り返し続ける生活は張り合いが無い。平日は特に予定も無いので好きな時間に食べ、好きな時間に寝て、好きな時間に起きる動物のような生活をしていた。これではまずいと思った。

それに加えて、金銭面の問題も出てくる。公式によるプロ制度が実質的に崩壊した現状、このゲーム一本で食べていくのはどう考えても無理がある。セーフティネットとしての収入がないと、打ち込めるものも打ち込めない。
仕事をしていた頃の生活水準を中々変えられなかったこともあり1年間で貯蓄は大幅に減り、社会復帰を余儀なくされた。

ということで9月からアルバイトを始めてそろそろ1ヶ月になるのだが、これが意外にも楽しかった。
世間体や収入面だけで仕事を選び、全く興味のない商材を扱っていた前職と比べ、自分の趣味に近い分野で好きなものに囲まれながらお金を稼ぎ、明るいうちに家に帰れるというのは精神衛生上良かった。主婦と学生が多く、同世代が少ない職場なので人間関係に悩むことも少なくはないが、家族以外と会話しない日が毎日続くよりはマシだった。
ただ、非正規雇用かつゼロからのスタートなので勿論収入は以前よりは減るし、朝型の生活に変わったことでオンライン大会に出る頻度は格段に下がった。
言ってしまえば、これが僕が最近マジックにコミットできていない最大の理由だ。
故に、ここから書く内容は全て労働社会に敗北した僕の言い訳だと思って欲しいのだが、短期間に無職生活と9時から18時までフルタイムで働く生活の両方を経験したことで、色々と思うこともあった。

3.リソースは有限である

大前提として、私たちが使えるリソースは有限である。
リソース、と一言で片付けてしまうとピンとこないかもしれないが、生活の中で時間をどれだけ使えるか、お金をどれだけ使えるか、思考や体力をどれだけ割けるか、と細分化していくと分かりやすいと思う。
フルタイムで働く社会人で金銭面では困っていないが時間が取れないというプレイヤーもいれば、定職に就いておらず時間は余っているが自由に使えるお金は少ないプレイヤーもいるように、それぞれが使えるリソースは異なる。
また、これだけ歴史のあるゲームだと加齢による問題も見逃せない。
体力の低下は勿論、進学や就職、果ては結婚や子育てに至るまで、生活スタイルの変化で使えるリソースが変化することもあるだろう。

その上で改めて感じたのは、競技マジックの世界に身を置くことは、とてつもなく過酷だということだ。
安くない参加費を払ったにも関わらず、たった2マッチプレイしただけでトーナメントから実質的に弾き出されることなんてザラにある。それがテーブルトップの大会なら会場に向かうまでの交通費や道中の食費、宿泊代なども馬鹿にならないし、目的とする勝利が得られなければそれらが毎週末に重くのしかかってくる。
精神的な負担も決して少なくはない。期間内に一定の結果を残さないといけないプレッシャーの中、事前の準備ではどうしようもない不運に見舞われることも多々ある。それが平日睡眠時間を削り練習に打ち込み、上司に頼み込み、溜まっている仕事を後回しにしてまで獲得した休日だとしたら尚更嫌になる。
そんな中で友人や周りのプレイヤーの勝利報告にハートを押す時、自分だけが取り残されているような感覚になることもある。焦りや不安を抱えながらプレイするゲームは端的に言って楽しくない。

4.SNSの功罪

TwitterをはじめとしたSNS上では勝者の栄光ばかりが加速度的に(大抵は、使用したデッキリストと共に)消費され、その下に積み上がった死屍累々には誰も目を向けない。それどころか、周りは抜けてるのに自分だけ…といった焦燥感ばかりが募っていく。勿論そういったマイナスな感情を原動力にして頑張れる人もいるが、少なくとも今の自分はそうではない。根本的に、受験や就職活動といった競争の原理にノレないままこの歳になってしまったというのもあると思う。僕にとってマジックは自己実現の手段であって、競争の道具ではないのだとようやく気付いた。

グラインダー間でよく交わされる台詞に「報われて良かったね」というものがある。リソースを惜しみなく投入したプレイヤーが結果を残した時、その努力が報われて良かったね、というものだ。かくいう自分も友人が勝利した際には特に考えず口にしてしまうことが多いのだが、果たして本当にそうだろうか?
今の僕は、できることなら睡眠は一日8時間取りたいし、自分にとって無駄だと思うお金は使いたくないし、休日は穏やかに過ごしたい。
そう考える人が大半だと思っていたのだが、グラインダー間ではリソースをつぎ込む事こそが勝利への近道で美学であるというような風潮も少なからずあり、生存者バイアスに近い何かを感じてしまう。
それに、突き詰めていけば世界選手権で優勝でもしない限り、予選を抜けた先にあるのはまた別の予選だ。そこで納得のいく結果を残せるかは分からないのに、何故そこまでリソースをつぎ込めるのだろう?と疑問に思ってしまうことも少なくない。

「なぜ、山に登るのか。そこに山があるからだ」と言ったのはイギリスの登山家ジョージ・マロリーだが、この「山」は「エベレスト」の誤訳で、本来は観念的な意味ではなく、エベレストの登頂という具体的な登山家としての目標を指していたらしい。
何が言いたいかというと「予選に出ること」はあくまで手段でしかないのに、いつの間にかそれが目的になってしまっている人が多いんじゃないかという話だ。
勿論モチベーションの置き方や目標設定は人それぞれ違って然るべきだが、何のために予選に出ているのかを見失っている人が多い気がしている。

5.世の中には娯楽が溢れている

それでも俺にはマジックしかないからマジックをやり続けるしかないんだ!という人は、その情熱が続く限りそのままでいて欲しい。プロゲーマーのときど氏も「論理は結局、情熱にかなわない」と著書で言っているように利害や損得を越えた情熱でしか得られない体験は必ずあるからだ。そして僕もそうやって、少しづつマジックというゲームを理解してきたから。

ただ、残念なことに、今の僕の生活においてマジックの優先度はかなり低い。
フルタイムで働いて通退勤や勤務中の休憩も含めた拘束時間が一日10時間くらいとして、最低6時間は睡眠時間が欲しい、食事や風呂など必要最低限の生命活動で2時間ほど持っていかれることを考えると、完全にフリーな時間は1日6時間くらいだろうか。
その6時間のうちに溜まっているコンテンツの中から優先順位をつけて消化していくわけだが、世の中にはマジック以外にも面白い娯楽が溢れている。

今年の初め、マジックに疲れた僕はとにかくマジックから距離を置く為、Nintendo Switchとポケモンダイヤモンドパールのリメイクを購入した。実に10年以上ぶりにコンシューマーゲームに触れたことになるのだが、これが非常に面白かった。世間では略称のBDSPをもじって“バグだらけスペシャル”と呼ばれクソゲー認定されている作品だが、元の作品に忠実なリメイクで思い出補正もありかなり楽しめた。
振り返って、中高生時代の時間の殆どをカードゲームに費やしてきたことに後悔こそないものの、もっと他にやるべきことはあったかもしれないと今更ながら考え始めた。
今思えば、自分は学生時代の記憶が殆どない。親の勧めで中高一貫校を受験し、慣れない自転車とバスの通学で頻繁に寝坊を繰り返し、住んでいる場所が違う同級生に全く馴染めず、徐々に不登校気味になっていった自分は当時流行っていた音楽もドラマも映画もすっぽり抜け落ちてしまっている。
自分は現在26歳だが、今までONE PIECEを読んだことがない、と言うと多くの人に驚かれる。話題を共有したり面白いものをオススメしてくれる友人がいなかったので、週刊誌や単行本を買うという習慣が無かったのだ。

その空白を埋めようとする反動からか、自分で言うのもなんだが、今の僕はマジックの他にも趣味が沢山ある。
映画鑑賞(劇場配信両方)、外食、サウナ通い、お笑い、ラジオ、ライブ鑑賞(オンライン含む)、またそれらに関連したYouTube動画の視聴etc…。
しかしこれらは全て元々好きになる素質はあったものの、大人になって余裕ができてから意識的に趣味として時間やお金を使うようになったもので、全てのリソースをカードゲームにつぎ込んでいた頃の自分では考えられなかったことだ。
ONE PIECEは一つの例だが、そういった時代性の強いコンテンツをリアルタイムで摂取できているかどうかは今後の人生に大きく関わってくると感じる。同世代との会話についていけないし、後追いで読んだり観たりしても彼らと同じ熱量でハマれるわけではない。
だからこそ僕は、せめて今の自分が好きになりそうなものくらいはリアルタイムで追っていきたいと思い、マジック以外の趣味にも惜しみなくリソースを使うことにした。

ただ、実を言うとこのスタンスは今も昔もあまり変わっていない。
アイドルの追っかけをやっていた時代、推しのライブとGPが被った時に迷わず前者を選んだ。
お笑いの大きな賞レースがTVで放送される時、その前後は何も手につかないのでPTQやそれに類するイベントは一切出ないことにした。
オンライン中心の2年間が異常事態だっただけで、本来あるべき姿に戻っただけなのだ。
つまり趣味の優先順位は簡単に変動して当然で、その結果としてマジックを一旦休止することになっても、全然いいんじゃないか?ということを言いたいのだ。(勿論検討した結果、マジックが優先順位の1位になってもいい)

マジックの負けはマジックでしか取り返せない、とはよく言ったものだが、今思えばそれも疑わしい。
美味しいご飯を食べる、良質なコンテンツを摂取する、軽い運動をして汗を流す、友人と深夜まで取り留めのない話をする、何でも良いが自分の機嫌を取る方法はいくらでもある。
趣味に熱中することは素晴らしいことだが、一つの趣味に固執してしまうとそれがダメになった時に何もない人間になってしまう。
1年前の僕がこんな記事を書いているなんて想像できなかったように、人の考え方は変わるものだ。趣味は分散させておく方が良いと感じる。

6.競技マジックは滅びない

ここまでネガティブなことばかり言ってきた気がするが、僕はマジック自体が嫌になったからマジックに対する付き合い方を変えようというのではない。前項で他のゲームの話が出たが、僕は未だにマジックが世界一面白いゲームだと信じている。
むしろマジックを信頼しているからこそ、そんなに焦らなくていいよ、という話をしたいのだ。

競技マジックは、そう簡単には滅びない。
自分自身そこまで多くのゲームを遊んできたわけではないが、ここまで大小様々な競技大会が常に開催されているTCGは他にない。
マジックの歴史は競技TCGの歴史と言っても過言ではない。細かいルールの変更や、制度の改革、テーブルトップからオンラインへ、少しづつ形は変わってきたものの、常にそこに在り続けた。

いつでも大会があるということは、いつでも目標を新たに設定し直せるということだ。つまりいつ休止しても、いつでも復帰できる。それが、競技マジックの一番の魅力だと思っている。

「大会が終わるとどうなる?」「知らんのか」「次の大会が始まる」

だからこそ、昨今の店舗予選&エリア予選に対するグラインダー達のモチベーションの高さにはギャップを感じざるを得なかった。
既にサイクル2の予選が発表されているように、何もこの予選を抜けられなかったといってマジックプレイヤーとしての人生が終わるわけではないのだ。(勿論、近いうちに生活スタイルが変わる事が確定している等、様々な理由でこの予選に懸けていた人達がいることも理解している)
全ての予選に参加しなければいけないなんてルールはどこにも無いし、いつだってマジックを休んでもいい。
僕の恩師がよく言っていた言葉を思い出す。
「カードゲームに休止はあっても引退はない」

7.終わりに

想像以上に取り留めのなく、自分の性格の悪い部分だけが出た記事になってしまい、公開したら一体どんな反響があるのか、今もビクビクしながらこれを書いている。
ただ誰も傷つけない文章なんてこの世界に存在しないし、良い創作は総じて人の心に消えない傷をつけてくれるものだと思っているので、たまにはこういう文章を書いてみるのもいいかと思った。
非常に手前味噌ではあるが、直近3年間でMOCS本戦に1回、プロツアー相当のイベントに4回出場できた僕ほどのプレイヤーが、金銭面や生活の都合でマジックにオールインできないのは自分でも勿体ないと感じる。
しかし1年間の無職生活を通じて、自分は自分が想像していたよりも、マジックに懸けていなかったんだな、と気づくこともできた。
マジックに心から熱中していた頃とは比べ物にならないかもしれないが、今は新しい仕事や趣味が楽しいし毎日が充実している。
前ほどはマジックにコミットできなくなるが、僕が帰ってきた時、競技の世界がまたこれまでのように僕を受け入れてくれることを信じたい。

最後に、僕の社会復帰のキッカケの一つになった映画系YouTuberさんが、好きな本の好きな一節として引用していた文が個人的に凄く刺さったので紹介させて頂き、筆を置きたいと思う。


あなたを想い続けることにはもう疲れた。
こんな際限のない落胆がまだこれから先も続くなら、 いい加減に逃げ出して、どこか日当たりの良い場所で独りぼんやりと過ごす事にしようか?
そうだ、今度こそたったひとりきりで。
どれほど真摯に慕情を捧げても、見る間にあなたはゆっくりとどこまでも遠ざかってゆき、 伸ばした指先は冷え切った蒼白の虚空にむなしく架かるばかりだ。
なのにあなたは未だに信じ難いほどに魅力的で、端正な貌は微笑さえ浮かべている様にみえる。
してみるとどうやらこんなにも事態を困難にしてしまったのはやはりこちらの責任なのか? 多分そうではない。
僕とあなたの間の線、僕からあなたへと向けた一本の矢印がいつの間にかどうしようもなく 疲れ切ってしまったのだ。
あなたが振り向いてくれないから辛いのではない。
あなたが振り向いてくれた時、ほんとうに二人が幸福になれるのかどうか、 もはや確信出来ないから辛いのだ。
もちろんあなたが僕に応えてくれるなんて、 万に一つもあり得ない事だろうけれど。
とにかく疲れた。
諦めることにさえ。
諦め続けることにはもう疲れた。
こんなむつかしい永久に進行系の失恋に囚われてしまって、 いったいこれからどうしたらよいというのか。  
■ 佐々木敦「映画的最前線 1988-1993」抜粋


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