産まれてくる子供について考えたこと
妊婦検診でNIPTというダウン症をはじめとする障がいについてあらかじめ検査できるものがある。それについて夫婦で話した。
妻は「もう体の一部になってしまっているから正直なところ冷静な判断はできない」と言ったのを聞いて、それを自覚できているだけでも十分冷静だよ、と思ったのだった。
これで、優れた命を選別できる
これで、生まれた後の苦労を軽減できる
選別をしたことで表面上は整った幸せそうな家族と、
障がいを持つ子どものいる家族。
前者は、子どもを自ら殺したというカルマを背負っている
後者は、本人と親の生きづらさ、経済面などあらゆる苦労を背負っている
後者の最悪のケースって何だろうか。
本人の人生が比較して多難なものになるとか、親が生活に疲れて離婚したりとか、お金がないとか、自分のやりたいことができないとか、差別されるとか、だろうか。
それらすべてを織り込んだうえで、子どもを殺す理由になるだろうか
それらすべての負の面を合わせても我が子を殺したカルマに勝るだろうか
・・・妻が子どもを代弁するような口調でこう言った。
「大丈夫だよ、ちゃんと元気に生まれてくるからね~」
私は泣いた。
恐ろしくて泣いた。
我が子をまるで商品を選別するかのように
状態の良しあしで選別しようとした。
自らの苦労と子の命を天秤にかけようとした。
それらは、私の知る愛とは大きくかけ離れたものだったし、
それらを失ってまで守りたいものはなかった。
結果、覚悟を決めてNIPTを受けないことにした。
(あくまで私の決断とそれに至った理由の覚書です。
別の選択をされた方々の意思は尊重します)
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