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沈殿物

夜中に酒を飲む。

いろいろな考え事がぐるぐるとめぐり、小さな星屑のような気付きや
グラスの底に沈殿していた澱のような出来事が舞い上がり思い出される。
果たして私は酒に酔って/依って頭が冴えているのか、鈍っているのか。

心がぱちぱちとスパークする。(both in a good way and a bad way.)

とにかくそれが自分にとって正しいかどうかはその感覚の有無でわかる。
そういった経験を積み重ねるのだ。
そういった瞬間のための日々の積み重ねならば時間と労力を厭わない。

しかしその見極めもできていない状態でがむしゃらに働いている人がいる。
そしてお役目を終えたときに「果たして私の人生とは何だったのだろう」と腑抜けのようになってしまう。
多少なりと自分自身でものを考え、実行してきた人間であればそうはならない。

旅とは人生の縮図である。

毎日毎分毎秒、自分自身が下した決断とその結果を引き受け続けるのだ。
そこの角をどちらに曲がるか、出会った人の誘いに乗るか否か。

ところが一転日常に戻ると一切の決定権を半ば放棄してしまっているような人間が多すぎる。
そしてそのような人間に限っていみじくも人の上に立ち、図々しくも人に指図するのだ。

これはもしかすると持たざる者のうめき声に聞こえるかもしれない。
また実際そうかもしれない。

しかし私から見た持たざる者とは世間に流布されている当たり前を疑いもせず、また「ほかのどの人間も等しくその原理で生きているはずだ」という思い上がりを押し付けていることにも気づけずに、のうのうと「私は人並み以上である」とのたまう輩のことである。そういった輩に指図されまたそれに従うことほど魂にとっての劇薬はあるまい。

そのような数々の思いが廻ったいつもの夜だった。

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