見出し画像

14歳に宿る狂気



1880年代、ある印象派展で発表された彫刻作品が話題を呼んでいた。
それは全長140cm程の、少女を象った蝋人形である。
背中で緩やかに腕を組み、そっと右足を踏み出している彼女。
髪の毛は低い位置でひとつにまとめられ、空を仰ぐように上げられた顎と細められた眼差し、つんと尖らせた薄い唇からは彼女の幼さが表現されているようだ。
ほっそりとした長い手足と華奢な体躯からはしなやかな筋肉の膨らみが見てとれるが、下手をすれば痩せすぎているようにも思える。

作家であるエドガー・ドガは確信していた。
この作品が拍手喝采で迎えられ、賞賛される瞬間を。

ドガはフランス出身の印象派画家である。
彼の作品で有名なのは、やはりバレエを主題とした作品群だろう。
名前でピンとこなくとも必ず一度は目にしたことがあるはずだ。
劇中の一瞬や練習のひとコマを写実的に切り取った彼の絵画は、その圧倒的なデッサン力と社会風刺溢れる構図で人気を博した。

試しに、彼の絵画において有名な解釈の一つを取り上げてみる。
ドガはバレリーナを主な題材として選んで描いているが、その淡く美しい色彩で描かれる少女の側には必ずと言っていいほど中年のスーツの男性が佇んでいる。
彼らは一体誰だろうか?
今でこそ花形であるバレリーナだが、当時は労働者階級の仕事とみなされていた。
表現で生活を立てていきたいが、いかんせん駆け出しの表現者は金がない。
いい舞台出たいがそれには練習が必要、しかし練習していたら働くこともままならない。
若く美しいが、しかしそれだけ。
未熟な彼女たちが満足に生活していく為には、パトロンに見出してもらわねばならなかったのだ。
ドガの絵画で描かれる男性にはパトロンという意味合いが付与されているのである。

ただただ美しい一瞬を切り抜くだけではない、ドガの社会への問題提起が見て取れる。
…と言いたいところだが、本人はそんな意識で描いてはいないのかも知れない。

ここで問題の彫刻作品へ話を戻そう。
エドガー・ドガ唯一の彫刻作品である、『14歳の踊り子』。
これ以降ドガは彫刻作品を発表したことはない。
何故ならば、彼はこの展覧会で大顰蹙を食らったからである。
確かに蜜蝋で象られた少女の表情は虚なようで、正直不気味さすら感じさせる。
批判の原因はその薄気味悪さだけではない。
パトロンが横行していた当時であっても、未成年の女児を裸にさせてポージングを取らせた事実が問題視されたのである。

とはいえ、観客達が感じた生理的な嫌悪感があながち間違いだったとは言えない。
今でこそ薄汚れて劣化した少女の衣装だが、当時は白いチュチュだったらしく、なんとドガの手作りである。
履かされているバレエシューズは本物の少女用を用いる徹底振りである。
蜜蝋で形成された髪の毛には本物の人毛が埋め込まれていた。(この事実は後々蝋が劣化したことによって露呈した。)

彼の性格を考えると、ドガは理想のバレリーナ像を形にしようとしただけなのだろう。
描くだけでは物足りない、触れて愛でることができる自分だけのバレリーナ。
彼が本当に惹かれていたのは少女の持つ可憐さや美しさだけでは決してない。
未だ幼さと未熟さが垣間見える少女が眩い舞台の上で妖精のように舞い踊る、それを舞台脇から品定めする男達の視線。
恐らくその関係性にある種の美学を見出し、歪んだ憧れを持っていたのではないだろうか。

その証拠にと言ってはなんだが、彼は生涯独身だった。
元々内向的で芸術家らしい感性を持つ彼には親しい友人が数人いたらしいが、女性関係はほとんど知られていない。
さらに、彼の晩年は暗いものとなる。
後半生の彼は視力を次第に失っていき、一層仕事に打ち込んでいくこととなるが、元々社交的ではなかった彼のアトリエに出入りするのは中年の家政婦のみであったという。
筆を握ることすら難しくなったドガは83歳で人生に幕を下ろすことになる。

敏感すぎる感性ゆえか、なかなか他人にその嗜好を理解されなかったドガ。
そんな彼の残した作品は後世に渡って人々に愛され続け、印象派の巨匠として評価されている。
晩年は暗くとも、その素晴らしい絵画は私達の胸を打ち続けるのだ__。
…と、まとめたいのは山々だが、そうは問屋が下さないのである。

ドガの死後、遺品の整理に訪れた親類はそのアトリエで驚くべきものを目の当たりにする。
薄暗いアトリエに並べられていたのは大量の少女の蜜蝋像。
ポージングや大きさも様々であり、中には世には出せない程大胆なポーズをとったものもあったという。
視力を失いながらも、彼が求めたのはやはり究極の少女。
今度は誰にも邪魔されない、自分だけの少女を黙々と追求していたのだろうか。
女性に触れることすら、声をかけることすらままならなかった彼の幻想は、幾年を重ねても衰えることはなかったのである。

ところで、歪んだ時代の産物を素晴らしい幻想へと昇華させた彼に、自らの汚れた欲望を憧れの女神に見破られてしまう恐怖はあったのだろうか。
恐らく、ないのではないか。
ないのであれば、従順にポージングしているふりをしつつ、彼を誘惑してしまうのも面白いかもしれない。
彼自身の無能さを、憧れた女神の眼前にて露呈させたくもある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?