コオロギの想い出

 最近、コオロギ食の是非が巷で議論されていると聞く。珍し物好きの私としては、一度食べてみたいとは思うが、朝食にコオロギのフレーク… なんていうのは真っ平だ。
 子供の頃、虫好きだった私はコオロギを飼ったことが何度もあるが、その中で忘れられない想い出が一つある。
 ある時、友達のナッキンとコオロギを捕まえに畑に行った。10月くらいだったと思う。何の畑だったかは覚えていないが、そこここに敷かれた藁屑をめくると面白いようにエンマコオロギがとれた。オスだ、メスだといいながら次々に手づかみでとって持参のビニール袋に入れていった。
 帰って適当な大きさのプラケ(当時は「水槽」と呼んでいた)を出してきて軽く掃除し、父親が刈った庭の芝生の刈りくずを大量に集めてきてプラケの底に厚さ10cmほど敷きつめた。そこにコオロギを数えながら入れていった。全部で30匹ほどいた。彼らは見知らぬ新居に興奮してしばらく暴れていたが、やがてみな、まだ青い芝の布団の中に潜って行った。私はキュウリとナスの欠片を母親からもらって餌として芝生に刺しておいた。
 数日すると芝は茶色く枯れて厚みが少し減り、プラケの横から見るとあちこちにコオロギの通り道ができていた。毎日キュウリとナスを変え、楽しく観察していたのだが、ある時、私は一つの疑念を得た。

少し数が少なくないか…?

 多くは枯芝の中に隠れているにしても、目に触れる数が減っているように思えた。おかしいなと思いながらもさらに数日様子を見た。やっぱりおかしい。明らかに少なっている。エンマコオロギの脚力がいくら強くても、パチンと閉められたプラケの蓋を弾き開けるられるはずはない。だが今日のプラケはしんと静まり返ってさえいる。私は意を決して枯芝を手で寄せてみた。そうして心の底からゾッとしたのだ。
 枯芝の寄せられたプラケの底には累々たるコオロギのバラバラ死体が転がっていたのである。

 しまった!

 その時、私は自分の初歩的なミスに気づいたのだ。コオロギは雑食性でタンパク質系のエサ、つまり煮干しや鰹節なども与えないと共食いをしてしまうのだ。私はそれをすることを忘れていた。
 心の中で謝りながら急いで台所から煮干しを持ってきた。だがその前に生存者の救助と数の確認、そして環境整備だ。私は注意深く枯芝を掻き分けてかろうじて2匹のオスのコオロギを救助した。30匹もいたのに、たったの2匹になっていた。私はその2匹を別のビニール袋に入れて(煮干をいっしょに入れることを忘れはしなかった)プラケを掃除し、再び刈り芝を入れて2匹を戻した。
 栄養のバランスのとれた2匹はもう死闘をする必要がなくなり、オス同士なので多少の諍いはあったにしても、比較的平和に暮らしていったのであった。夜になるとコロコロと良い声で鳴いたりして。
 それにしても済まないことをしたものだ。もし私が気づくのがあと一日遅かったら、その夜、きっと最終王者決定戦が行われていただろう。命とは、かくも軽く、そして重い。
 子供の私はそんなことを、言葉にもならない“何か”として、思い知ったのである。

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