書きながら潜在意識の対話を進めていくリアルな私の深部を共有

noteの使い方を検討中で、Facebookに書いた過去記事をコピペしていこうとしつつ、優先順位を低くしていたのだけれども、

これは急ぎ公開した方が良さそうだと直感の虫が言うので従うことにする。

以下は、Facebookに書きながら進めて行った、筋肉反応対話。

あえてまとめず、そのままコピペを。

必要などなたかの、何かのヒントになれば。。

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私は性別が女性だし、性自認も女性で、性対象は異性なのだけど、

女性が素晴らしい存在だと言われると、男女の区別に疑問を感じるのは何なんだろうと、そのこと自体をいつも疑問に思ってる。

こどもの頃から中性的だと言われてきた私が、女性であることの喜びを知らないと言われるのならそうなのだろう、でも、中性的な私がこどもの頃から男性の恋愛対象になって来れていた(要はモテてた)のは何だったんだろう。

幼稚園の頃から心は女の子だったはず。人を楽しませてくれる同じ組のヤマダゲン君が好きだった。男の子にはリスペクトを持っていた。

これは何か深いワークだなぁ。女性であることを潜在的に抑圧しているのかもしれない。筋肉反応を使って問う。

「女性であることの弱さは嫌悪すべきものだ」という信念を見つけた。

これは、ものすごく奥深い…

女性だからと言ってバカにされないようにと、大切な我が子に教育してきた母から受け継いだものなのだろう、母の性愛に関する信念も歪んでいた。

この信念を解除していけるか確認すると、反応が微妙。掘り下げて聴いていくと、「私であることに関わることなので、変えられない」という反応が出てくる。

変えたいか、変えたくないのかを聴いていると「変えたくない、と思っている方が楽」と出る。感情が関与しない領域。深い潜在意識との対話のみ。

まだ聴ける、と反応するので問いを続ける。「女の人が怖い」と出てきた。

女の人は、より良い遺伝子を得るために戦う。
つまり、男性に愛されるために戦うのだ。

その恐怖が、親子間でも既に存在していた。

私の芯にある原始的な恐怖に繋がった。

セッションはしたくない、という。
安易に解決されたくない。

問い続ける。

その怖い女の人である自分自身を、腹立たしく感じているようだった。

私の中にある、女性の汚さを受け入れられないようだった。

ここまで来て、スーッと通りがよくなった。あるところまではエネルギーが流れたのだろう。理解するだけで滞りは解決することがある。でも根本的なものは手放さないでおきたいらしい。

女性の汚さとは何だろう。

えげつない戦い、自分に注目させる小賢しさ、比較級の優越感、被・庇護欲、愛を受けるための競い合い。

すごい、こんなの初めて出てきた。

でも、確かに、女の人の嫌いなところだ。いろんなシチュエーションが浮かぶ。男女間に限らず、女性は、庇護されたいものへのポジション取りが激しい。

それを、少し離れた気持ちで悲しさと共に眺めながら、自分自身も肉体的な遺伝子として要素を持っていることに悲しみと怒りを感じていたらしい。

男性として生きていた頃の記憶もあるのかもしれない。

私は以前、男性だったらジゴロになっていただろうなと感じていた時があって、今世女性に生まれてよかったと思ったものだった。

自分の中でこじらせている男女性。

女性の汚い部分を認められたことで、だいぶ歩み寄れた感がある。

諦めて受け入れたら、素晴らしさが見えてくるかもしれない。

これらは全て、私の潜在意識の反応のお話。

顕在意識と乖離している、私の深い部分に蓄積している情報です。

私の意識としては、目の前にいる女性たちを嫌っている意識は全くありませんので、安心してください😌

リアルな潜在意識の対話を実況してしまったよ。

やー今日の哲学対話どうしよー。こんなの普通の人に説明するの難しいし、理解してもらうための言語を使うのもめんどくさいなぁ。。。

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