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憎しみのタネを友情の絆に

忘れもしない、中学三年のある日の休み時間、Fは私の頭とアゴを両手で挟んで、思いっきり力を入れてグーッと抑えつけた。最初は冗談だと思っていたが、本当に苦しくなったので、ギブアップのサインとして、彼の尻だかどこだか忘れたが、体の部分を軽くタップした。しかし、Fはやめないのだ。私のアゴの骨は砕けた。と思う。「と思う」と言うのは、やられた直後は気がつかなかったが、その日の夕食を食べていると、アゴの左側が外れるような感じがしたのだ。私はあまり物事を深刻に考える男ではなかったので、「そのうち治るだろう」と思っていた。しかし、アゴは食べるときに必ず使うので、ギプスで固定するわけにもいかないため、治らなかった。四十三歳の現在でも左アゴを意識する度にFを思い出す。
Fと出会ったのは中学に入学したときだ。彼の第一印象は「すげーデブ」だった。そして、性格が悪いので「友達が少なそうだな」と思った。実際、一年生の時はクラスの男子にいじめられていた。私はいじめずに仲良く過ごしていた。しかし、仲良く過ごしていても、Fは冗談の限度を知らないのだ。カンチョウといういたずらがある。両手を合わせ人差し指と中指を立て、友達の肛門を突くアレだ。私なら軽く痛くないように突くのだが、Fの場合、私が他の友達と立ち話をしているときに、後ろから不意に本気で突いて来るのだ。私が本当に痛くてうずくまると、Fはそれを見て笑うのだ。「力を抜いて肩幅に足を開いているときカンチョウは奥まで入ってキマル」バカな奴だ。きっと小学生の頃は、友達がいなくてこういう冗談の限度というものを学ばなかったのだろう、と私は思った。むしろそんなFを憐れんだ。
しかし、冒頭に書いたアゴについては未だに憎い。アゴに違和感を覚える度にあいつを思い出す。
Fは学業の成績が良い方で、私とだいたい同じくらいのレベルだった。同じ高校に進んだ。高校に入学するとFはまるで人が変わったように社交的になった。中学時代は女子と話すような男ではなかったのに、高校に入ったら色気づいた。私はなぜか、中学時代を引きずっていた。まあ、いろいろあったのだ。
Fと私は一年間受験浪人した。同じ予備校に通った。結局、Fがどこの大学に進んだかはわからないまま、成人式のときに再会した。どこの大学に行ったか訊くと、ある国立大学にも受かったのだが、そこにはTという同級生がいて後輩になるのは癪だから、他の私立大学にしたとのことだった。私はそれはいい判断だ、とか言ったと思う。そういう、同級生をライバル視したりするところが、Fと私は似ていたように思う。そういえば、私が中学一年のときに初めて書いた小説を読んで、深刻な顔をして私にこっそりと何かを告白するように「感動した」と言ったのはFだった。その小説の内容は、たしか中学生の少年が死んだ父の眠る墓に成績表を見せに行くシーンで終わるというものだった。当時の私の歪みをよく表していた。他の生徒にも評判が良かったが、Fほど共感してくれた人は他にいなかったように思う。彼は友達というか、良きライバルと言ったほうが良かったかもしれない。
アゴに関してはいまさらどうにもならないので、忘れることにしているが、アゴに違和感があるとどうしても思い出してしまう。はっきり言って憎い。憎いがどうにもならない。プラス思考で考えれば、こんなふうに憎む相手はFだけであるから、七十億人の中で彼と出会ったのは運命だったと思う。許すわけではないが、このアゴの件がなかったならばFの存在を忘れたかもしれない。彼を殺したいと思ったことはない。近い存在であればこそ憎いのだ。
人間は無関係な者を憎むことはない。憎むとは近い存在であるという証拠であり、この宇宙の奇跡かもしれない。憎いということはひとつの関係性であり、近さであって、ひとつの絆のありかたかもしれない。そんなふうに私は現在「憎む」ということをプラスに捉えている。

話は大きくなるが、国家間の関係も同じことが言える。
隣国とは大抵の国家間で領土問題がある。国境というものがあれば当然にそういった問題は起こる。これはお互いが隣国だからだ。争いの原因があるのはお互いが近い存在だからだ。この争いの原因を友好のために活用できないだろうか?領土問題については自国内だけで論じていては、自国からの視点しか持てない。お互いが話し合えば、争いにならないかもしれない。話し合うべきなのは国家の代表の大人ではなくて歴史を知らない子供たちだ。子供というのはすぐに友達になってしまう。話し合いの結果、友達を殺そうなどとは思わないだろう。

憎いのは近いからだ。近いならば友達になるチャンスは十分にある。

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