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八十二歳のおじいちゃん、奥穂高岳に登る

私は奥穂高から西穂高へ向かう途中にある岩山ジャンダルムに登るため、上高地の奥、横尾の山荘にいた。その相部屋の同室者に八十二歳のおじいちゃんが入って来た。部屋には私を含め四人のソロ登山者の男性がいた。中にいた七十代の男性は、「上には上がいる」と驚いていた。おじいちゃんは連れの男性、おそらくこの人も八十くらいと思われる、と二人組だった。おじいちゃんは翌日、涸沢経由、ザイテングラートという岩場を登り、穂高岳山荘に一泊し、翌日、奥穂高に登り、そこから吊り尾根という道を通って、紀美子平まで出る。そこから前穂高に登るかどうかは聞かなかったが、とにかく重太郎新道を降りて岳沢に泊る予定だと言った。ジャンダルム以外は私の行くコースとほぼ同じである。おじいちゃんは他にも趣味がありギターとマンドリンとコントラバスを演奏出来るとかで仲間とバンドを組んで慰問など活動しているという。おそらく老人ホームなどで演奏するのだろう。私は老人ホームで働いているから、八十二歳と聞いて、もう立派に入所者になってもおかしくないと舌を巻いた。奥穂高に登るって・・・重太郎新道を降りるって・・・。私の同室者の六十くらいの男性で翌日は涸沢ヒュッテまで登り、その翌日は涸沢岳に登ろうか、奥穂高に登ろうか迷っている、奥穂高は中級者でも登れますか、と言っていたので私は、中級者ならば登れるでしょう、みたいに言っていたところに、おじいちゃん登場である。当然刺激になったに違いない。私たち同室者は夕食は同じテーブルで食べて話を咲かせた。おじいちゃんに今まで登った山でお勧めはどこですか、と聞いたら、双六岳がいいと言った。その山は槍ヶ岳の西にあり、夕陽が赤く染める槍ヶ岳を見るのがなんとも言えないそうだ。岐阜県民らしく、やはり地元の山がいいのかもしれない。静岡県民の私が赤石岳を推すのと同じ理屈だ。
翌朝、おじいちゃんとは山荘の朝食を食べたあとほぼ同時に出発した。あいにくの雨だった。ずっと雨具を着ての山登りだった。涸沢小屋に着いて私はチョコパンを食べた。コーヒーが欲しかったが、今回は軽量化を図るために、湯沸かしの道具は持ってきていなかった。小屋でお湯をもらえばいいと思ったが、この日は面倒くさいと思ってお湯をもらわなかった。いや、雨の日は温かい飲み物は必須だろうと後悔した。

雨は強く、ザイテングラートを登る私は、以前下った同じザイテンをこんなに苦労して登るのかと、あのときも雨だったが、これほど強くはなく、この強い雨にメンタルが追い込まれていた。小屋まで二十分の看板を見たら、もう早く着きたくて、何度も上を見た。霧の中に小屋の影が見えたときどれだけ安堵したか、同じ日に同じ経験をした人は皆思ったことだろう。それでも穂高岳山荘に着いたのは十一時十二分だった。
私は受付を済ませると、着替えて、乾燥室に雨具やザックを置いて乾かした。そして、売店で味噌ラーメンを注文し食べた。以前来たとき人生で一番美味いと思った豚骨ラーメンはメニューになかった。
それから、私は読書したり、コンビーフをつまみにワインを飲んだりした。

ワインはアルコール度数が強く、三百五十ミリくらいの量だが、私には少し多かった。コンビーフは美味かった。それから、部屋で眠った。四時くらいに起きて、ロビーへ降りると、おじいちゃんが到着したところだった。朝六時半から九時間半かけて雨のザイテングラートを登ったのだ。凄いことだ。翌日には奥穂高を越えて、吊り尾根を渡り、重太郎新道を降りるのだ。その翌日の夜のことだったが、同じ小屋にいた三十代くらいの女性は重太郎新道を降りることを避けるために、穂高岳山荘から、吊り尾根を渡り、前穂高に登って、また吊り尾根を通って穂高岳山荘に戻ってくると言っていた。いや、おじいちゃんを見習いなさい!と言うか、みんな重太郎新道はしんどいと言い過ぎであると思う。私はそこを降りてきたが、それほどでもなかった。でも八十二歳のおじいちゃんを思えば、凄い難路である。私のおばあちゃんも八十歳で私とパリに旅行に行ったが、周りから凄いと言われていた。しかし、このおじいちゃん、八十二歳で、ザイテングラートだぜ?奥穂高だぜ?吊り尾根だぜ?重太郎新道だぜ?私のジャンダルムよりずっと凄いと思う。しかも自分のスピードと体力をわかっている。私なら重太郎新道を降りてそのまま上高地まで降りてバスで帰るが、おじいちゃんは上高地までは降りずに途中にある岳沢小屋で一泊するという。その判断力も素晴らしいと思う。いや、七十代くらいで寿命かなと思っていた私は大いに反省させられ勇気づけられた。そういう出会いがあるのも登山の素晴らしいところだ。

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