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顔論(かおろん)~顔のシワはその人の心~

今、カート・セリグマンという人の『魔法』という本を読んでいる。この記事はその本を読んでいる途中で書きたくなった。
占星術について書かれていたところを読んだとき、大学生のときに読んだヘーゲルの『精神現象学』を思い出した。ヘーゲルは当時流行っていた骨相学を批判していたが、人間の骨の形でその人の運命が決まるはずがないと言っている一方、星の運行が人の運命を決めるという考えの方が合理的だとか言っていたような気がする。あの合理主義の大哲学者も「非科学的な」迷信から抜けられないことを私は驚いたものだった。ただ、本当に星の運行が人の運命を左右するかどうかを否定する自信は今の私にはない。なぜなら、例えば、私が今、日本の自宅で屁をしたことが、将来のアメリカ大統領選挙と関係がない、とは言いきれない。なぜなら、天文学的に見れば宇宙のすべてはなんらかの関係にあると思うからだ。

さて、今回の記事は、『顔論』にした。それだけでは内容がわかりにくいので、「顔のシワはその人の心」と副題を付けた。この顔論は、私がマンガ家を目指していた大学生の頃真面目に考えていたことだ。マンガのキャラクターの心理を表すのは顔の表情である場合が多い。私は人間はどんな精神状態にあるときどんなふうな顔をするか、深く考えた。と言うよりも、どんな心理的習慣があると、顔のシワは恒常的にその人の顔に刻印されていくのかに興味があった。私も二十歳と若かったから、自分の顔にどんなふうにシワが出来て行くのだろうかと非常に気になった。理想の顔を求めた。わかりやすく一例を挙げれば、広隆寺の仏像、半跏思惟像の顔だ。あるいは仏像の遠い起源、ガンダーラ美術のさらに起源である、ギリシャ彫刻のアルカイックスマイル(微笑)だ。大学の美術史の授業で「アルカイックスマイルはまだ、豊かな表情の表現に美術が発達していなかった」などと教師は言ったが、私から見ると、あきらかに当時のギリシャ人は理想の表情にあのアルカイックスマイルを求めていたに違いないと思った。
 そのアルカイックスマイルは人間が幸せな時の表情だと私は考える。その精神状態はアタラクシア、あるいはニルヴァーナなどと言える。
 その顔は、ニヤニヤしたり、ゲラゲラしたり、怒ったり、泣いたり、という心の乱れた状態ではない。いつもニヤニヤしている人は、笑ってなくても素顔の口元に深いシワができる。ただ、注意しておきたいのは、いつもニヤニヤしているから、いやらしい人、というようにその人間性を価値判断すべきでないということだ。なぜなら、なぜニヤニヤしなければならないかはその生い立ちにある場合が多く、それはその人のせいではない。ただ、それは他者に対する評価であって、自分に対する評価は、「あ、俺、最近、いつもニヤニヤしてるよな」と思って、口元にいやらしいシワをつけないように心の在り方生活の仕方、人間関係の在り方に気をつけるべきだと思う。
 
幸せな人はよく笑うので目尻にシワができる、などとよく聞くことがある。私はそうは思わない。人はなぜ笑うか、それは、アタラクシアあるいはニルヴァーナの状態から心の平静が崩れたときに防衛機制として笑うと思うからだ。笑いとは苦しみである。そう言うと、「アルカイックスマイルも笑いじゃないか」と言う人がいるかもしれないが、「笑い」と一言言っても性質が全然違う。あなたは腹を抱えてゲラゲラ笑った時、苦しいと感じたことはないだろうか?苦しくて涙が出たことはないだろうか?それは幸せだからではない、苦しくて泣いているのだ。だから、いつも笑っている人は幸せなのではなくて、幸せから落ちぬようこらえていることが多いと言えると思う。幸せから落ちるとはうつ病や統合失調症などの精神病になる可能性もあるということだ。(病気にならないためには素直に笑うことも大切だと思う)

目尻のシワは以上に述べたとおりだが、額のシワや、眉間のシワも精神に何らかのストレスがあると生じるものだと思う。怒っていると眉間にシワがよる。いつも眉間にシワがある人はカッコイイとされることもあるが、そういう人は世の中に不満を持っていることが多い。ここでも、それは正義の心が世の中の不正に怒っているからだ、と一方的に決めつけるべきではなく、いやらしいことばかり考えているために常時煩悩に苦しめられて眉間にシワがよっていることもある。だから、価値判断をすべきではない。先にも述べたようにこれは他者に対する価値判断をすべきでないということであって、自分には厳しく、「なぜ自分の眉間にはシワがあるのか」反省すべきだ。

「ようするにおまえは童顔が理想だと言ってるんだろ?」と言われそうだが、そうかもしれない。これはあくまで私が二十歳の頃考えた哲学だ。老いに抵抗していた気もする。しかし、私はこの洞察を踏まえたうえで人間や自分を考えて現在に至っている。

先に少し書いた、額のシワも重要だ。ストレスがあると深いシワがたくさんできると思う。

しかし、総じて注意しなければならないことは、人の顔は遺伝により、生まれつき骨格が違うし、皮膚の性質も違う。それは与えられた条件、所与条件が人それぞれで、そのうえで生き方によってシワが刻まれていく。所与条件はどうにもならないが、そこにどんなシワが刻まれるかの後天的な原因については自分で責任を持つべきだと私は考える。

私はこの記事で潮風を受けて長年漁師をしている人の肌と、毎日エアコンの効いたオフィスで働く事務員の肌を比べてみるとかいうレベルのことを言っているのではない。童顔であれ、と言っているのでもない。いや、言っているのかもしれない。額にも眉間にも目尻にも口元にもシワのない童顔は幸せの証拠かもしれない。しかし、幸せが唯一の価値でもないと思う。ストレスを抱えて眉間にシワがあっても社会に貢献した人は価値があると思う。
そうなると幸せとは何だろう、と腕組みしてしまう。

ただ、私が今回の記事で言いたかったことは、内面は顔に出ますよ、というごく当たり前のことだ。
あの役者の顔は美しいなどと言う前に、美しい顔とは何か、深く考えることを勧めたい。


*ついでに昔考えていたことを述べると、若い人の猫背も精神のストレスによるものだから、整骨院に行って矯正してももらうのではなくて、心の習慣を治すべきだ。(私は中学生のとき猫背だったが、時間をかけて心の在り方を変えたら治った)

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