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宗教や哲学に深入りしない(小説)

俺は大学に入って一人暮らしを始めたのだが、自炊はするのだが、一人暮らしだと揚げ物をしない。なんか、揚げ物ってめんどくせーって言うか、油の消費量がね、野菜炒めに比べると、ドンと多いんだよね。それでいて残った油を再使用するなんてこともない。あったとしたら、相当な頻度で揚げ物をすることになるからな。
でも、俺は今日こそは鶏の唐揚げに挑戦するぞと思い、大学に行ったら、哲学科の勉強熱心な同級生に唐揚げの揚げ方を聞いてみた。そしたら、こう言われた。
「唐揚げか、君は神の存在についてどう思う?」
「え?どう思うって、べつに、どうも思わないけど」
「え?神がいるとかいないとか、それは問題ではないと言うのかい?」
「う、うん」
「それじゃ、神はいないかもしれないと思うのかい?」
「いや、べつに・・・」
すると別の男がやって来た。
「神はいないよ。というか人間が作った神ならいるよ」
「なんだって?君、それは無神論だよ」
「無神論?いやちょっと違うかな。神は人間が作ったものなんだ。神は信じる対象ではあるけれども、そこにはあくまで人間が作ったものだという自覚が必要なんだ」
するとまた別の奴が来て言った。
「君たちはふたりとも神はひとりだという考えだね?それは間違いだよ。神はふたりなんだ。善と悪みたいにふたつあるからそこから弁証法的に世界が発生するんだよ」
すると、また別の奴が来て言った。
「君たちは間違っている。神はたくさんいるんだよ。ほら、日本の神々も、ギリシャの神々も、インドの神々もたくさんいるじゃないか。神は複数いた方が、お互いを尊重し合う、多様性豊かな世界になるんだよ」
すると最初の男は言った。
「君、それは結局は一神教を否定する論理になるよ。なにしろ一神教は神はひとりだと言っているのにそれを認めつつ他の神も認めるなんて矛盾しているよ。一神教だけど他の神も認めますというのは結局は多神教になってしまうからね。そうなるとそれらを包摂する絶対的な神がひとり上位に存在しなければおかしくなる」
俺は言う。
「いや、唐揚げの作り方を俺は知りたいんだ」
多神教徒は言う。
「君は唐揚げを揚げたい、つまり唐揚げの神をそこでは信じていることになる」
「いや、べつに神とか・・・」
一神教徒は言う。
「いや、料理もすべてひとつの神の元にあるんだよ」
そして、俺にこう言う。
「君は神はひとりかそれともふたりか、あるいはたくさんか、それともいないか、どう考えるんだい?」
「いや、なにもそんなこと考えたことねーよ」
「それは判断停止、エポケーかね?」
「いや、そんなふうに考えたことはない」
「考えたことはない?しかし、何かは信じて生きているのだろう?」
「いや、べつになにも信じちゃいないかな?」
「君は無神論者か!」
多神教徒も言った。
「どの神も信じないのかね?」
俺は答えた。
「いや、なんでそんなことで興奮するんだよ。べつにいいじゃねーかよ。俺が無神論者だろうと、なんだろうと。それより唐揚げの・・・」
そのあともこの勉強熱心な同級生たちは激しく罵り合い、持論を崩さず、相手をいかにやり込めるかに力を入れて罵倒し合った。
俺はそんなどうでもいいことで罵り合うこいつらが嫌になり、自分のアパートにひとり帰った。結局、スマホで唐揚げの作り方を調べたら、非常にわかりやすかった。

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