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ドーテイ・ヨンジュウ⑥結婚論。人生に満足するために

ブサイクな男というものは、結婚できるかできないかが人生の大きな関心事のようだ。私は自分をブサイクだと思ったことはないし、結婚できないと思ったことはない。それよりも性欲を満たしたいがために、つまらない女に手を出して、妊娠させ、結婚して、結果としてつまらない人生を生きるのは御免だと思ってきた。それゆえ、四十代になっても彼女はできず、童貞の独身男でいる。これはつまらない女に手を出すより、もしかしたらつまらない人生かもしれない。
生物学的には生物の生きる目的は、子孫を残すことにある。つまり、人間はセックスするために生きている。

私は中学生の頃に仏教にハマった。キリスト教の影響もあった。つまり古臭い倫理に興味を持った。
ブッダの言う不邪淫戒。ブッダよ。あんたの言葉には説得力がない。あんたは結婚してセックスして、子供がいるじゃないか。淫らでないセックスがあるなど、中学生の私には想像できないことだった。キリスト教もそうだ。聖母マリア処女懐胎、アホか。私には疑問だった。キリストには性欲がなかったのか?夢精はしなかったのか?勃起したことはないのか?
それでも私はブッダやキリストに憧れた。あの聖なる心のありように。
それと同じようにセックスにも憧れた。
聖性への憧れが私にセックスを禁じさせた。
セックスへの憧れが、世俗を生きることに私をこだわらせた。
だから、私は芸術家になりたかった。聖性があり世俗でも成功者。有名で金持ちになってから素晴らしい女性を見つけ、結婚してセックスしまくって、たくさん子供を作る。それが私の憧れとなった。
その第一歩目で躓いている。つまり芸術家になれない。小説家になりたいのだ。まだなれていない。

四十で独身の男は単純にモテないか、理想が高いか、ただの遊び人かのどれかだろう。
私は妥協したくない。不満足な結婚をして、不満足な一生を過ごしたくない。最後には、「いい人生だった。俺は満足だ」と言って死にたい。

結婚している男たちに訊きたい。あなたはその結婚に満足しているか?自分の人生に満足できそうか?「ドーテイ・ヨンジュウよりはマシだ」と答えが返ってきそうだが、それは答えになっていない。人と比べてマシな人生で満足できるのかと訊いている。

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