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【警告】小説『1984年』が示す自由の嘘とビックデータの奴隷人間

はじめに

あなたは1日どれぐらいスマホを見ていますか?

朝起きてスマホのアラームを止める
食事をとりながらニュースを見る
電車の中でSNSをチェック
仕事終わりにはカフェでyoutubeを
ベットでは友達とLINEでやりとり

これら一覧はほんの一例です。スマホの発明により人間の生活は著しく効率的になりました。
しかし同時にスマホに奪われたものもあります。

それは人間の注意力

あなたの友達はLINEの返事をするように促すかもしれませんがあなたがその時間ゆっくりと食事を堪能することを気にかけません。
ほとんどの時間がスマホに奪われた結果、自分の感覚に注意を払う能力を失ってしまいました。

あなたは効率化を求めて喜んで自分の好みをアルゴリズムに引き渡します。
その結果アマゾンは適切な商品をあなたにオススメするようになり、youtubeはあなた好みのホーム画面へと。
しかし、あなたはその焦りの原因と空虚感を解決しようとしない。

それは家畜と似ています。乳牛は乳を出すことに関して野生の動物よりも優れていますが、運動能力ははるかに劣る
私たち人間はデータをアルゴリズムに引き渡すことに特化するあまり、心に関心を払わなくなった。
『データの家畜』
まさにビッグ・ブラザー(小説『1984年』の支配者)が望んだ世界です。

戦争は平和なり
自由は隷従なり
無知は力なり

あなたはこれからどう生きますか?

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          ビッグ・ブラザーがあなたを見ている

あらすじ


ビッグ・ブラザー率いる党が支配する近未来。思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、物資は欠乏し、市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向監視テレビさらには町なかに仕掛けられたマイクによって屋内・屋外を問わず、ほぼすべての行動が当局によって監視されている。主人公ウィンストン・スミスは、下級役人として日々歴史記録の改竄作業を行っていた。物心ついたころに見た旧体制やオセアニア成立当時の記憶は、記録が絶えず改竄されるため、存在したかどうかすら定かではない。しかし、ある日の仕事中、抹殺されたはずの3人の人物が載った過去の新聞記事を偶然に見つけたことで、体制への疑いは確信へと変わる。自分の正しさを主張するために〈ブラザー同盟〉と呼ばれるレジスタンス組織と接触したウィンストンは革命のため命を捧げる覚悟を決めるのであった。ところが、こうした行為が思わぬ人物の密告から明るみに出て、思想警察に捕らえられ、尋問と拷問を受けることになる。最終的に彼は、自分の信念を徹底的に打ち砕かれ、党の思想を受け入れ、処刑される日を想いながら“心から”党を愛すようになるのであった。

自分で自由を選んでいるつもり

小説『1984年』の世界では「テレスクリーン」と呼ばれるテレビのような装置で映像を流しながら同時に市民を監視していた。それが現実でも似たようなことが起こっている。
ネットフリックスやYouTubeで動画を見たあとアルゴリズムはあなたに最適なものをオススメする。

あなたは、テレビを見ているつもりなのかもしれないが、それは同時にテレビに監視されていることと同義になりつつある。
そしてアルゴリズムの精度は徐々に着実に上がっていく

もちろんアルゴリズムが全て正しいわけではない。しかし、平均して人間よりも優れていればいい。
なぜならそれだけで人間の意思決定を支配できるのだから。

仮にあなたの好みを全て把握したアルゴリズムがあると仮定しよう。するとどうだろう
あなたは自分の選択で商品を選択するだろうか?あなたが欲しいと思う時計があるとする。
今の経済状況、将来の価値、耐久性、デザイン、ステータス全てを考慮したアルゴリズムの魅力的な提案をあなたははっきりと却下できる自信はありますか?

合理性を求めるとビックデータやアルゴリズムの信頼性が高まり、それと同時に感情の信頼性が落ちていく。
自分で選択をしているとあなたは思うかもしれないけど、それは選ばされているのだ。
もっと簡単に言うとあなたの選択は常に決められてしまう。そんな未来はもはや幻想ではなく確実に訪れるだろう

自分にとっての最適な選択は常にアルゴリズムによって導き出されるのだから

感情を問う国民投票


アルゴリズムの提案に私たちの選択が左右されると政治も近い将来機能しなくなるだろう

私たちは自由主義の信仰者だ。自分たちで選択をして、自分たちで未来を切り開く。
私の仕事は私が決める。私の人生も私が決める。自分の意思で投票をする。

例えば、国民投票を例にしよう。

安倍前首相が力を入れていた憲法9条の改憲。仮に国民投票が行われていたら
きっとこう問うだろう

「あなたは憲法9条の改憲に関しどう感じますか?」

決して「どう考えますか?」とは問われない。それは国民投票が合理性に基づくものではなく、常に感情にまつわるものだから。
よく考えて欲しい。私たちは一体どれほどの知識をもって国民投票を行うのかを。
国際情勢、憲法や法律間で改憲を行うことへの影響、私たちへの影響など全員が全員同じような水準の知識をもって投票を行うとは考えられない。
合理的に考えるなら専門家の意見に頼るべきだろう。しかしそうはならない。民主主義は常に感情に基づいている。
なぜなら私たちは自由主義の信仰者で自由は何よりも素晴らしいのだから

素晴らしき自由ではあるが、自由への依存はそれ自体が弱点になり得る。
アルゴリズムによって選ばさられた自由。それはアルゴリズムの管理者に莫大な権力が宿ることを意味する。
あらゆるデータを提供するあなたの手元には最適な回答が常にある。もうすでにアルゴリズムによって握られた自由をあなた素晴らしいと思ってしまっている。
そうなると管理者のさじ加減で選ばせたい選択を与えることすら可能になってしまう。

ビッグ・ブラザーはもう市民の生活を制限する必要すらなくなるのだ。
人々は進んで自由を提供してくれるのだから


目の前の出来事に注意をはらって幸せを感じる


データとアルゴリズムの歯車を止めることはもう不可能だろう。
私たちはすでにその恩恵に浸っているのだから。

しかし、幸いなことに私たちにはまだ残された可能性がある。
それは感情だ。いや心というべきなのかもしれない。

心にはまだまだ未知の可能性が残っている。
今どう感じ、どんなことを思い、何に感動をしているのは。

思い出して欲しい、私たちは常に最適解を求めているのではないと。
失敗をしてつまらない時間を過ごしたとしても、それは笑い話になるし幸せに繋がる。

決して効率化と幸せを同義に考えてはいけない

あなたが知らなければいけないのは自分にとっての正しい選択ではなく、幸せになる選択なのだから

参考文献


ジョージ・オーウェル 2009年『一九八四年[新訳版]』訳・高橋和久 早川書房



ユヴァル・ノア・ハラリ 2019年『21 Lessons』訳・柴田裕之 河出書房新社


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