ガンマばあさんとぼく。
夏の朝の児童公園のベンチにぼくは座っている。ぼくはとっくに若くもない癖にヴィニールレザーのクロッシュ(帽子)をかぶり、耳が隠れる長さの猫っ毛を見せ、ネパールキルトのシャツを着て、黒ずんだステンレスのネックレスをふたつつけ、右手首には紡錘形のネパール石をつけたブレスレットを巻いて、ボードレールの『パリの憂鬱』を岩波文庫版で読んでいる。
前方では、ぼくがひそかにガンマばあさんと呼んでいるおばあさんが白Tシャツに黒のジャージーにスニーカーで、ジャングルジムを使って体を伸ばしている。彼女の姿勢はギリシア文字の” Γ(ガンマ)”そのもので、上半身が地面とほぼ平行している。児童公園にはぼくとGamma Grandma とカラスしかいない。
ガンマばあさんは体操に熱心で、不思議なことにジャングルジムを使っているときだけは、上半身が少しだけ垂直方向に伸びる。ガンマばあさんがガンマばあさんになったのは、ぼくは質的栄養失調を疑うけれど、あるいはなにか脊柱か神経の病気のせいかもしれない。いずれにせよ、彼女は背中も腰も痛いだろうし、また息切れもするでしょう。
やがて6時半が近づいて、ラジオ体操仲間のご老人が数人集まって、ガンマばあさんも混じって仲良くぺちゃくちゃおしゃべりをはじめる。かれらはやがて輪になって、輪の中心に置かれたちいさなラジオからおなじみの(シューマンから楽才を引いたような)ピアノ音楽が流れはじめ、老人たちは体操をはじめる。テレビドラマ『ツイン・ピークス』の同窓会みたいな光景だ。カラスは体操にも音楽にも興味のない様子で、黒い羽を羽ばたかせ、空へ飛び立っていった。
もちろんガンマばあさんの視野にぼくもまたこれまで何度も入っているわけで、ぼくらは一度も言葉を交わしたことのない知り合いだ。果たして彼女は内心ぼくをどんな名前で呼んでいるかしらん。
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