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フジコ・ヘミングさんのピアノ演奏は19世紀の典雅をおもいださせてくれる。

演奏法も時代の音楽観~音楽美学によって変わるもの。同じ曲でも違って聴こえる。たとえばアルフレッド・コルトーとマウリッツィオ・ポリーニでは曲に対する態度がまったく違う。コルトーが演奏する、たとえばシューマンの『子供の情景』や、ドビュッシーの『子供の領分』は、まるで話し上手の名優が語る物語のようだ。他方、ポリーニの演奏は垂直的で正確きわまりなく、たとえばバルトークのピアノ協奏曲1番2番は、その正確なリズム感とダイナミックスがめちゃめちゃかっこいいけれど、でも、だからといってポリーニでシューベルトやシューマン、ショパンを聴きたいとはおもわない。



先日ぼくは敬愛するジャズ・ピアニストの石田幹雄さんと西荻窪のアケタの店で少しだけお話する機会を持てた。ぼくがCDとレコードの音の違いの話題にかこつけてコルトーの話題を持ち出したところ、3歳の頃からピアノを弾いてらした石田さんは大人になってからコルトーのピアノメトードをさらった経験があるそうで、ぼくを驚かせよろこばせた。ぼくは訊ねた、「どんなメソッドなんですか?」すると石田さんはまるで両手をそっと空気中に存在しないピアノの上に置くような仕草とともに、「指がこうね・・・」とおっしゃったものの、石田さんははにかんだ笑顔で「言葉で説明するの難しいですね」とおっしゃった。


フジコ・ヘミングさんの演奏はコルトーよりもさらにいっそうむかしふうで、聴いていると19世紀前半を生きたハンガリーの美青年リストの演奏はこんなふうではなかったかしらん、とおもえてきたものだ。





聴き比べてみると、演奏法の違いがよくわかります。


フジコ・ヘミングさんは数奇な人生を生きて、人生の後半たくさんの聴き手に恵まれ、多くの人に愛された。フジコ・ヘミングさんは膵臓癌を患って、2024年4月21日亡くなった。享年92歳。ご冥福をお祈りします。



余談ながら、青柳いずみこさんによる『高橋悠治という怪物』(河出書房新社 2018年)を読んでいたら、1950年代の前衛音楽から音楽をはじめられた高橋悠治さんは若かった頃、フジコ・ヘミングさんとつきあってらしたそうな。ぼくは椅子から転げ落ちた。


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