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どうして坂本龍一さんの追悼コメントにB2UNIT讃美がないの???

坂本龍一(1952年- 2023年)からレイ・ハラカミ(1970年 - 2011年)へ。そんな系譜がある。ぼくはそれを愛する。


坂本龍一さんが亡くなったいまいろんな人がいろんな言葉を発する。YMOの商業的大成功。映画『戦場のメリークリスマス』への出演と音楽。多くの日本人が誇りにおもった映画『ラストエンペラー』の音楽による坂本さんのオスカー受賞。バルセロナオリンピックオープニングセレモニーへの楽曲提供と指揮。讃否両論を巻き起こしたオペラ。究極的に悲惨だった311の被災地福島に対して、坂本さんがかの地の少年少女たちを自分の音楽でもって支援し全力で勇気づけたこと。癌と闘いながら、いつ死んでもおかしくない辛く苦しい時期にあってなお、坂本さんが絵画館前のあのすばらしいイチョウ並木を半数近く400本も伐採してしまう愚かな小池行政への反対の意志表明をしたこと。それらのエピソードはすべてぼくの涙腺を刺激する。


しかし、少しくらい1980年から1982年までの坂本さんの全活動を讃美する声があったっていいではないか。まるでない。どうなってんだ??? ぼくは叫びたい、「あの時期の坂本さんはな、他の時期の坂本さんとはまったく違うんだよ。1980年から1982年までの坂本さんは他の時代同様かっこつけもすればおちゃめでもあり天下無敵の女好きでもあったけれど、しかし、あの時期の坂本さんは音楽創造において無制限に狂暴で破壊と脱構築のよろこびに満ち溢れ全方位的にすべてがサイコーに輝いていたんだよ!!!」そしてその時期の象徴が1980年の秋にリリースされた坂本龍一さんのソロアルバム『B2 UNIT』だった。


このアルバムは、DENNIS BOVELLによるサウンド・エンジニアリングが際立っている。吉村栄一氏によるDENNIS BOVELLインタヴューによると、坂本さんはプロフェット10を持参し、DENNIS BOVELLのプライヴェート・スタジオで、最初にドラムのキックを録って、次はスネアといった具合に、まず最初にリズム・トラックを創っていったそうな。DENNIS BOVELLは語る、「リズムからメロディやフレーズを生み出しているようだった。そしてかれがひとつの音を録るとわたしがテープを再生する。リュウイチはそれを聴きながら次にどの音を録るかを考える。音が重なっていくとわたしはそれらをライヴでダブ・ミックスしていく。そうやって“ライオット・イン・ラゴス”は創られた。」



しかも、このアルバム以外にも、当時のかれの活動は多岐にわたり、そのすべてが起爆的だった。

しかし、『戦場のメリークリスマス』以降漸進的に坂本さんは路線を変えていった。それをなんといっていいのかわからない、ヨーロッパクラシック音楽が坂本さんの五感と精神を通過して、あらためて坂本さんによって創造された音楽。ぼくはそれら一連の音楽に対して、おそらくけっして最良のリスナーではない。ぼくは『戦メリ』にも『energy flow』にもなんの感想もなくこれ以上聴きたいともまったくおもわない。他方、Ryuichi Sakamoto & Taylor Deupree やAlva Noto (Carsten Nicolai)& Ryuichi Sakamoto、Christopher Willits & Ryuichi Sakamoto、はたまたChristian Fennesz + Ryuichi Sakamotoの活動には、愛を持ってていねいに聴くときには、なにかを感じる。もしかしたらそのなにかには大切なものが含まれているかもしれない。また、さらにいっそうぼくをよろこばせてくれることは、坂本さんがレイ・ハラカミを高く評価したこと。ぼくはそこに坂本さんの純粋な音楽愛を見る。なるほどあきらかに坂本さんのB2UNITとレイ・ハラカミはある種の音楽愛と音楽観によって繋がっている。

もちろんこの系譜は Aphex Twinとも繋がっていてここに音楽の未来を開くひとつのドアがある。


なお、こういう系統の話とはいくらか別に、ぼくは坂本さんの遺作『12』に息を飲む。それについてはあらためて書きたい。


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