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都市集中は個人の多様化に役立つ

現在は

多様化の時代

と言われています。こうした多様化は、広く世界を見ると

贅沢なこと

です。例えば、北朝鮮やロシアの運動選手や、芸術家について、考えましょう。彼(彼女)達は

国の威信に役立つから

という条件で、運動や芸術に携われます。逆に言えば

失敗すれば去れ

と言う状態も、十分あり得ます。

私達は

自分が好き!

と言って、スポーツや芸術ができます。これは、一つの多様化の成果です。

さて、こうした

多様化が許される条件

はどのようなモノでしょう。

一つには

安全な環境
経済的な安定

が必要です。国の安全が、脅かされるときや、経済的に貧しくて、急速に成長するときには

国策に従え

型の、単一価値観が働きます。日本でも、戦後昭和ですら

成長路線の均一化

発想がありました。

さて、多様な個人を活かすには

ある程度の人口

が必要です。極端な話

村社会

で考えると、その中での役割が、自然と決まってきます。これが

大きな都市

の場合には、多様な人材が生きる可能性があります。大都市に出て

地下アイドルとして活動

が成立するが、村に縛られたら、観客も集まらないでしょう。

このように考えると

都市集中の発生は個人の多様化に貢献

と言う面はあります。

ここで議論を混同してはいけないのは

村の多様化

個人の多様化

です。神社合祀で村の多様化は潰れます。しかし村に縛られた、個人の個性も生きないことがあります。両者のバランスを考える必要があります。

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