護身法について 心得その一
列車内での刃物による傷害事件のニュースを見ると、平和な現在日本は
「身を守るための知恵」
が伝わっていないと思ってしまう。そこで、私の乏しい知識でも、残しておく価値があると思うことを書いておく。
最初に議論すべきことは、
「人を傷つけることへの抵抗がある人/無い人が両方存在する」
と言う事実である。アメリカなどの、軍事の心理学的研究では
「人間相手に、平気で銃を向け、引き金を引ける人間は、五人に一人の割合」
となっている。なお、この比率は状況によって変わる。一般的に
「平和な環境なら命の価値が高くなるので、人の命を奪うことが怖くなる」
が、
「戦乱等で命が直ぐに失われる環境なら、人を殺すことの抵抗がなくなる」
状況になる。これは、江戸時代の平和な状況では
「命を捨てて戦う無住心剣が力を発揮した」
これは、
「自分も死ぬ覚悟で立ち会うことで、相手を殺すことの抵抗をなくす」
効果があった。しかし、幕末の混乱期には
「天誅と言う、殺人の横行のため」
少なくとも武士階級では
「人を殺すことのためらいはない」
状況になっている。
さて、ここで大事なことは、護身のための基本として
「人を傷つけたり、殺したりすることに抵抗がない人」
が存在することを、知っておく必要がある。逆に、自分には
「人を傷つけることのためらい」
が存在すると自覚しておく必要がある。そこでもう一歩踏み込むと
「人を殺すことへの抵抗と、傷つけることへの抵抗」
を分離することは、護身のために戦う心得では重要である。これは
「相手の戦闘能力を奪う為には、傷害を与えてもしかたない」
例えば、剣道の心得がある人が、家に強盗に入られた場合に、木刀を持って退治した状況を考えて見よう。有段者の頭部への一撃なら、命を失う可能性がある。しかし、小手なら手の骨を折っても命の別状はない。また、突きならば、咽頭部や顔面への攻撃は、致命傷になりやすい。しかし、胸部への突きなら、適切な手当があれば、命は取り留めるだろう。そのように考えて、思い切った攻撃のできる、小手や胸突きを使うべきだろう。
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