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総合職に役立つレポート作成力

はじめに

 このnoteは、まだ会社で仕事をした経験のない、学生の皆さんに

「学生時代に身に着けたことを、会社生活で役立ててほしい」

との想いで書きました。私は、40年近くの会社生活の半分以上を社員の育成に関係しました。その経験から、会社生活の知的活動で役立つ力を、学生時代に身に着けてほしいと願っています。

 結論を先に言いますと、学生時代に学ぶことで、会社の仕事上で一番役立つ力は

「レポート(論文)の作成能力」

です。そしてもう一つは

「厳密な思考を行う力」

です。さらに加えるならば

「異なった環境に生きる人を思いやる、社会科学的な想像力」

です。

ただし、会社の要求する文書と、大学でよい点を取る文書に、違いもあります。学校の文書は、正確さや厳密な推論を必要とします。一方、会社の文書は、確からしさがあればスピードを求めます。また、検討範囲も学校と会社では違います。学校の文書は与えられた範囲で書けばよいのですが、会社の文書は、必要範囲を自分で決めないといけません。

 また、厳密な思考力は、部分的に使える道具です。これで全てと思ってはいけません。この話に限らず、会社生活では、大学で身に着けたことを、上手に生かすことが大切です。

1.学校文明と会社文明の違い

 会社で仕事をするときと、学校での勉強には、いろいろと違いがあります。これは文明の違いといってもよいでしょう。この違いは大きく分けて次の表のようになりま

 例えば、生産性の向上について、「科学的」な検討と言えば、テイラーが行ったように、一つのことに集中し理想化して検討します。シャベルでモノを運ぶ検討なら、それ以外の要素が入らないようにします。そのために、疲労や同一作業による飽きなどを排除します。

「雄牛のような男シュミット」

という表現は有名ですが、このように

「実験対象者の心理的な状況による変動を最低限とする」

考え方は、まさしく科学的な検討方法です。学校のレポートや論文では、このような厳密さを重視していました。

 これに対して、メイヨーが行った、ホーソン実験では、作業者の個人の意欲が、実験しようとした、照明の変動を上回ってしまいました。

 さて、会社で生産性向上のための検討を行うなら、テイラーがやったように、個々の作業内容を計測し、改善することも重要ですが、仕事をしている人のやる気も考慮しないといけません。テイラーとメイヨーの両方の目で見て、関係するものを全て考慮しないといけません。もう少し踏み込めば、メイヨーの実験では、照明の明るさが、決定的要素ではなかったので、個人の動機付け効果が大きく影響しました。しかし、仕事の場合には

「やる気だけでは到達できない壁」

が存在します。例えば、照明の例で言えば、特別に精密な作業なら、照明の明るさが適切でないと、作業に支障をきたすかもしれません。このように、教科書に書いている成果も、条件を変えると成立しないことがあります。こうした条件を、きちんと考える必要があります。

ただし、論理の厳密さより、読む人が納得することが大切です。学術論文やレポートでは使ってはいけない、類推などの直観的な推論も、読む人が納得する手段としてなら使います。

2.会社で仕事をするときに必要な能力

 会社で仕事をするときに必要な能力は色々とありますが、その中でも総合職として成功するためには、皆に認められる報告文書を作成する能力です。

 このためには、以下の能力が必要です。

1.       自分が置かれている状況を理解する
2.       その状況の中で実現できる提案を行う
3.       自分の主張の正しさを、自力で示す
4.       他人の置かれている状況は自分のものと異なるが、
   それを想像することができる

これをもう少し説明します。まず会社の現実を知り、目標を知っていることが必要条件です。そこで、現実にできることを議論します。確かに将来像として、理想的なものを提示する時もあります。しかし、それが許されるのは「その理想を必要な人が共有」して、現実に実現する状況があるからです。できない理想論を言っても、受け入れてもられるものではありません。

 そして、自分の主張の正しさを自分で示すという事は、色々な意味があります。最初に行うべきことは、学校での「成績をつけてもらう」という発想を捨てることです。自立した人間は、誰かに支えてもらったり、引っ張り上げてもらったりするのではなく、自分で足場を作らないといけません。このような、自分の正しさの主張方法は、学問の世界でも「証明」や「論証」という形で学んでいるでしょう。しかし注意してほしいことは、学校の論証や証明の厳密さと、仕事での厳密さの違いです。

 一般に会社の文書では、直感的に解って納得して貰うことが大切です。学問的知識や論文ほどの厳密性は、文書の作成には必要ありません。それよりも、譬え話などを上手に使い、多面的に説明する力が必要です。但し、技術的な検討や、法律的な議論の場合には、それなりの厳密性は必要です。

 もう一つ、自分で正しさを示すということの中には、問題点を放置しないという面もあります。例えば、ある大学の哲学の先生は自分の著書の中で、哲学出身者は役に立たないという世間のイメージを描き

「アメリカの大学なら大学で哲学を専攻した人間は企業で喜ばれるよ」

という話を紹介しています。これに対して、一部の対策はその本でも書いていますが、会社では、このような姿勢は一番嫌われます。

 例えば

「当社の車は、競合他社のXXと比べて売れない。」

と言ったら、

「なぜそれが売れないのか」

としつこく原因を追究されます。そして一般論や、具体例など色々な側面から検討して、『真の原因』を見出すまで、許してくれないでしょう。その上で、対策案を出すことで、皆に受け入れられる文書が出来上がります。

3.学校で身に着けるべきもの

 学生時代に学んだことで、会社生活で生かせることは多くあります。ただ注意してほしいことは、そのままではなく、生かし方が大切という事です。

 さて、皆さんは学問知識が身につくことで、自分が変わるということをどこまで意識しているでしょうか?これは大事なことですが、意識していない人が多いのです。しかし、私たちは色々な所で勉強したことを使っています。例えば、幾何学で学ぶ『直線』や『点』というものは、現実世界にはありません。実際の道を見れば直線と言っても、細かいところでは凸凹があります。しかし、地図を見たときには、直線の道であり、交わるところは点になっています。このような、見方に慣れた後は、実際の道を見た後も、他の人に話すとき

「あの道は直線です」

という風に話すでしょう。地図の見方に私たち自身が影響されているのです。こうした細部を無視するやり方は、多くの物事に共通的なものを見出す力になります。この力を身に着けると、一つの体験を膨らませ、色々なことに応用できるようになります。自分が体験できることは少ない。しかし一般原理を知っていれば多くのことを理解し、新しい状況でも対応策を考えることができます。

 また、歴史を私たちは学んでいます。歴史を学ぶということは、現在の私たちが暮らしている環境と、まったく別の環境での生活を知ることでもあります。例えば、平安時代の初期なら、ひらがなで文字を書くことはありません。漢文が公式文書だったのです。

 別の例では、江戸時代の江戸の町、現在の東京には、『水道』がありました。しかし、この水道は現在の『蛇口から水が出る』環境ではありません。井戸の形で、釣瓶でくみ上げています。

 このように自分と違う環境にいる人を想像する力、これも大切です。例えば、お客様が自分たちの製品を使うとき、自分と同じ環境と思ってはいけません。海外に輸出するなら、なおさらです。 

4 まとめ

 今まで書いてきたように、学生時代のレポート作成は、会社生活でまとまった報告などを作るために大切なスキルを身に着ける、大事な機会です。総合職として、生き残るためには、このレポート作成で身についたスキルが、一つの決め手になります。

 学生時代の貴重な時間を、有効に活用して、しっかりしたスキルを身に付けてください。

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