ソクラテスの話は深いか
昨日書いた
話を深くする|鈴木良実 (note.com)
について、一つ気になる話があります。それは
ソクラテスの話は深いか?
と言う議論です。これについては、二つの意見があります。一つは
ソクラテス問答で深掘りし
真実を求める深い議論
と言う肯定的意見です。多くの人は、この意見に賛成するでしょう。特に「学識ある人」の賛同者が多いと思います。
しかしながら
深い話は人を動かす
と言う観点で議論をする人は
ソクラテスの議論では
多くのモノが落ちているから
人が動かない
と批判するでしょう。ヴィーコのデカルトへの批判が、この論法の代表です。その他にも、政治家達にも
現実の多様性を知らない
と批判する人がいるでしょう。
私は
本質を徹底的に追求する姿勢は認めるが
現実の多様性への配慮も必要
と思います。ソクラテスやプラトンの議論は
本質を観るために細部を削ぎ落とした
理想化モデル
で考えています。これは、幾何学で言う
太さのない線
広がらない点
と言う発想です。現実の太さのある線で考えると、図形がキチンと重なりません。それでは「重なるから合同」とは言えません。
こうした
理想的(極端)な状況で徹底的に考える
のが哲学的思考です。若い人の思考力訓練としても、このような徹底した検討は有効です。
しかし、このような
理想条件だけ
と言う発想は
部分的には深くても
幅がない
と感じる人が多いでしょう。
さて、このような「哲学的」検討を活かすためには、どうしたらよいでしょう。一つは社会学者達の方法論である「ワラスの輪」を回すことです。
これをもう少し単純化すると、下の図になります。
こうした、理想化条件での検討と、現実との突き合わせ、これを繰り返していくことで
幅と深みの両面
ができます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?