「社会学の根本概念」を見直す
前に、自然科学と社会科学の違いについて、説明しましたが、今回はそれを補う話が見つかったので、もう少し書きます。
前の記事は専門科学の効果の違い|鈴木良実|noteです。
今回は、岩波文庫にある、マックス・ヴェーバーの「社会学の根本概念」で説明します。
ここで、ヴェーバーは、人間の社会的行為を
目的合理的行為
価値合理的行為
感情的行為
伝統的行為
の4種類に分けて考えています。その中でも、社会学は「目的合理的行為」の研究を主目的としました。目的合理的な行為は、その理論を検討している「モデルの上」で、意味が明確になっている行為です。別の言い方をすると
「~~すれば~~となる」
という因果関係が、モデルの上で表現できる場合です。逆の言い方では
原因-結果の関係で意味を見いだす
そのため
理想化したモノでモデル化する
発想です。例えば、ニュートンの物理学のため
天体を一点に全ての質量が集まった質点
として考えて理論を作った
手法です。社会学で例を挙げれば
血も涙もない殺しだけを考える
「理想的」な犯罪者
で犯罪行動を議論する場合です。
このような、明快な「原因-結果」関係は、物理学などに近い、整った形で、社会学が成立する為に、大事な考え方です。
さて、ヴェーバーは、こうした
目的合理的行為
を軸に人間の行動を考えました。つまり、物理学に習って
主要な話は目的合理的
で
価値観や感情面は微細な修正
と言う発想で、理論を作ろうとしました。
この発想で、議論をすると
原因ー結果が明確になる
と言う利点があります。
しかしながら、物理学の世界なら
通常ならニュートン力学で十分
光速に近い運動の時だけ相対性理論で考える
と言う切り替えがうまくできます。
しかし、人間の社会的な行為なら、社会の「空気」で影響を受けて、一見不合理な行動をすることもあります。宗教なども大きな影響がありま慣習の慣習の影響も大きいです。当然、感情的な要素の影響も大きいのです。
つまり、社会科学の場合には
大枠を決める「目的合理的行為」が
直ぐにひっくり返る
危険性があるのです。
こうした違いを理解して、社会科学の利用を考える必要があります。
なお、昔書いた
動機づけに社会学の活用|鈴木良実|note
も一例として見て頂ければ幸いです。
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