見出し画像

時代の背景を見ながら「空気」を考える

前書き

昔、自分のブログで「空気」と、明治以降の日本の歴史を、考えたので、もう一度見直し、ここに公開する。 

今なぜこれを書くか

日本社会における「空気」について、色々と見直している。しかし、どうも今の世代とかみ合わないものを感じていた。そこでよく考えると、若い人たちは、私たちが見た風景を見ていないという、当たり前のことに気がついた。

私は、1951年生まれで、占領政治が終わってからの生まれである。しかし、子供時代には、空襲の被害にあった建物の残骸なども見ている。そして、人間についても、戦前に
  「お国のために~~しろ」
と言っていた人間が、社会党の市議などになって、
  「労働者の権利~~」
と言ったり、東條英機の孫を学校で糾弾した、などと言う話を身近に聞いていた。

また、東西冷戦構造でありながら、共産主義万歳などと言う、いわゆる左翼知識人が、威張り増している世界を見ていた。一方、右翼には、アメリカの関係者の手が伸びているという、噂もあった。(ただし、一水会のように民族的な右翼運動も別の次元ではあった)

さて、歴史をもう少し遡ると、「空気」の研究には、明治時期に起こった色々な出来事を、もう少し見直すべきではないかと思う。日露戦争後の、日本民衆の「賠償金なしの講和は許されない」と言う「空気」は、その時代背景を見ながら議論すべきではないかと思う。

私が思うに、明治の時代について、考えるべきことは、まず「国家神道」の位置づけである。これは、宗教の格好をした、宗教でない奇妙なものである。個人的な意見であるが、神仏分離と修験道の禁止で、日本の仏教と神道の両方の力は、大きく失われたと思う。このような日本人の信仰を骨抜きにする動きは、西洋科学文明に対するコンプレックスも影響している。

明治期の国家神道等の宗教の骨抜きと、教科書的な知識情報を受け入れる教育システムの充実があり、その上でマスコミの扇動があれば、「空気」は容易に発生するのではないかと思う。日本の神道信仰と言う立場は、ある意味で現実に根差したものである。そのため「空気」の暴走に際し「水を差す」効果がある。
この信仰を、国家神道で骨抜きにしたのが、明治維新以降の「空気」暴走につながったのではないかと思う。

明治から大正


明治から大正期にかけて、「空気」の悪作用は既に生じている。その中でも典型的な事例として、ここでは、日露戦争後のポーツマス条約時の大衆およびマスコミの動き、そして東大を中心とした、「念写」排斥事件について、少し議論してみたい。

一つ目の、日露戦争後のポーツマス条約時の民衆の暴動は、政府の戦意高揚政策と、実力隠蔽の結果であり、これに一部マスコミが同調し扇動したものであろう。明治の教育普及で、新聞を読む人間が増え、しかも実情を自分で考えない、このような民衆を煽った結果が、このような「賠償金なしの講和」に対する否定の「空気」を生み出したと思う。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E3%83%9E%E3%82%B9%E6%9D%A1%E7%B4%84

さて、もう一つの東大の念写事件は、日露講和騒動と比較すると、小さな出来事に見えるかもしれないが、学者たちが「空気」に支配されている様子を示すものとして、大切な出来事だと思う。
この事件の詳細は、ウイキペディアの福来友吉の項を参考にしてほしい。概略状況を説明すると、1911年に東大の助教授(哲学科で専門は催眠心理学)だった福来友吉は、教え子から御船千鶴子と言う透視能力者を紹介される。彼女の透視能力を信じた福来等は、これを学会と新聞に紹介した。しかしこれに科学的な検証を行うべきとの、東大物理学の山川健次郎らの提案で、検証試験をおこなおうとするが、

不的中なら非難され、的中なら詐術を疑われ、強い疲労と能力低下に悩んで御船千鶴子は自殺してしまった

上記Wiki

と言う不幸な結果に終わった。次に福来他は、長尾郁子と言う超能力者を見出した。彼女は密封した写真乾板に影響を与える念写の能力を示したことで、山川健次郎立会いの下で、この実験を行うこととなった。

続いて行なわれた実験で山川健次郎側が写真乾板を入れ忘れて念写を依頼する手違いがあり、山川健次郎が謝罪して一時は何とか実験が続行されることになったが、長尾郁子の超能力を疑う学者の中から一方的に「透視と念写は全くの詐欺である」旨報道陣に見解を発表、長尾郁子側は以後の実験を全く拒否し2ヶ月後に風邪で急逝した

同上

このような中途半端な実験結果だが、学者の中から一方的な否定発言が流れ、最終的に福来博士は東京帝国大学を追放される。

上記の学者たちの動きにも、
  「自分たちの都合の良いものしか認めない」
と言う「空気」が発生していたことは、「空気」の発生に関しては、知識の有無とは別のものが関係していることを示している。

大正期の大本教弾圧

国家神道と「空気」について議論するならば、大正期から戦中までの、宗教的大事件として、大本教の弾圧事件について、目を向けないといけない。大本教の弾圧事件の概要は、以下のウィキペディアが良くまとめている。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9C%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6

大本教の事件は色々な解釈があるが、一つの意見は、国家神道の枠に入らなかった、古神道の復活を恐れた、政府等の弾圧と言う見方である。

この大本事件に関しても、マスコミが結構煽る動きをしているのは注目すべきである。また、科学的と言う立場と、大本教の示した、超常現象のせめぎあいが在ったが、これも
  「科学優位の空気」
で押しつぶそうとしている。一方、この反動から、大本の経験で、超能力を得たと思う人たちが、新たな宗教を作り、教祖になった。

この大本教の弾圧事件は、冤罪の要素が大きい。特に、大本教側が武器を持っていなかったことが、政府側の立場を弱くしている。

一方、この大本教事件が、戦後日本の「宗教の自由」を強調し、オウム真理教への摘発などに及び腰の警察を作ったことも考えないといけない。

大正から第2次大戦

 
第2次世界大戦中の「空気」の暴走については、山本七平氏の著作に色々と書いてある。例えば、「戦争責任と靖国問題:さくら舎」を読めば、多くの人たちが戦争継続は不可能と思っていたのに、「空気」の力で、継続する状況が良く解る。

この件に関して、私が付け加えるものは少ないが、一つの思考実験で考えてみたい。それは、ミッドウエー海戦に於いて、航空母艦4隻が全て沈没と言う大敗を決した時、海軍のトップがこれを正直に、天皇陛下と内閣に報告した場合である。

これは山本七平氏が言う「水を差す」と言う効果をもたらすと思う。現実の国力を正確に把握し、今まで好調だったが、もうこれからは危ないと警告する。この段階で、「水を差す」ことができれば、「空気」の暴走が収まったのではないかと思う。現実に、石原莞爾は、朝日新聞に対して

   「真実を報道せよ」

と迫ったが、朝日新聞はこれを拒否している。

なお、ミッドウエーの真相が判明した後、陸軍も
   「戦果報告にウソを言ってもよい」
と言う「空気」が生じた。

現実から離れた情報が独り歩きするとき「空気」は強力になることを、この事例は物語っている。

敗戦後


第2次世界大戦は、日本の降伏で終わった。この時、戦争継続の「空気」を断ち切るために、昭和天皇の、「ご聖断」に依存したことは、「空気」の本質にかかわる。つまり、根拠のない空気に対しては、「絶対的な力で断つ」必要があるということである。

さて、その次に来る「空気」は、戦争に対する、責任追及の動きである。ここで、東京裁判と言う、何とも言い難い事態が起こってしまった。この裁判は、事後立法での裁きと言う、法律的に見てもどうしようもない欠陥を持っている。
しかも、弁護側が厳しく追及したように、戦時国際法により、東條英機などのA 級戦犯の訴追には、どう見ても無理がある。ただし、個人の意見としては、少なくとも東条英機個人を、戦時国際法違反で、追求する手段は、少なくとも一つある。それは、「戦陣訓」である。
戦陣訓 - Wikipedia

この中にある

「恥を知る者は強し。常に郷党(きょうとう)家門の面目を思ひ、愈々(いよいよ)奮励(ふんれい)してその期待に答ふべし、生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿(なか)れ」

の一節は、軍人が降伏し捕虜になることを禁じている。これは、完全な戦時国際法違反である。自分が、捕虜になるのを禁じられていたら、相手側の捕虜に対しても、まともな扱いなどするわけがない。そして最後までの死守は、双方の被害を大きくする。これを命じた罪は大きい。

しかし、もっと大切なことは、東條英機など軍指導者を、本当に裁くのは日本国民でなければならなかった。個別の事例でも、インパール作戦の司令部など、無能の極みで、判断ミスを重ねて、多くの死者を出した。これは、連合軍にとっては、あれほど無能な指揮をしてくれたということで、感謝状モノであろう。そして、我々被害者である、日本側が彼らを裁くべきである。
 しかしこのような裁きを、日本人は行わずに、マッカーサー司令部様に、裁きをお願いしてしまった。これを見て、マッカーサーも

民主主義の成熟度について「アメリカがもう40代なのに対して日本 は12歳の少年、日本ならば理想を実現する余地はまだある」

ダグラス・マッカーサー - マッカーサーのアメリカ議会証言録 - わかりやすく解説 Weblio辞書

と発言している。子供だから、先生の言うことをよく聞く、という趣旨だろう。

 私は今は、マッカーサーたち占領軍は、当時の日本を、
  「国家神道」に染まったカルト集団
とみていたのではなかろうかと考えている。このため、日本の教育では、科学的と言うことが再度強調されるようになった。山本七平氏の著作にもあったが、
  「日本人には進化論を教える」
と善意に満ちた、アメリカ人達がたくさん来た。

このように考えると、東京裁判の別の見方もできるように思う。

戦後日本の大衆


今までは、戦後の状況を、東京裁判やGHQの対応を中心に書いた。一方、「空気」の検討としては、その時の一般民衆の対応を落としてはいけない。

この状況は、一言で言えば『手のひら返し』と言うことになる。今まで、
  「お国のために頑張ってて死んで来い」
と教え子を送り出してきた教師や地元の有力者たちが、手のひらを反して
  「軍国主義者に我々の生活は無茶苦茶にされた」

  「マッカーサー万歳」
を叫び出す。

つまり、一転して「空気」が変化したのである。

このような状況は、今でもいろいろな場面で起こっている。
例えば、実戦空手のK会でも、創始者が無くなった後、色々と跡目騒動で、生前はあがめていた、総裁の悪口を言う人間が出ている。また、O教の元信者も、A師と言っていたのに、呼び捨てで、皆彼が悪いといっている人間も見受ける。

このような現象について、「空気」発生論の観点から見ると、マッカーサーの指摘が、本質的な原因ではないかと思う。つまり、日本国民の多くは、(自分で考える)民主主義に関しては12歳の子供のレベルである。言い換えると

 日本人の多くは、善悪の判断基準を自分で考えず、他人の判断を丸呑みする。

と言う段階である。これは交流分析でいう、子供の態度でもある。

こう考えると、他人の判断に従うのだから「空気」の暴走も当り前であろう。
なお、此れと関連して思いついたが、空手のK会に関しては、某漫画原作者と組んで、色々とあることないことを劇画で流していた。このような、虚像の独り歩きが「空気」を暴走させることもある。

東西冷戦構造

さて、戦後の日本の体制を考えた時、東西冷戦の時代背景を理解しないと、現在の常識では読み取れないものが在る。1945の第2次大戦終結から、直ぐにアメリカとソ連は、資本主義と共産主義と言う対立図式を持って、冷戦状況となった。特に我が国に近接する、朝鮮半島では、38度線で共産主義と、資本主義の南北朝鮮国家が対峙する形となる。

しかも、1950年からは、北朝鮮の侵攻を契機に朝鮮戦争が始まる。この戦いは、アメリカ軍の支援で、何とか押し戻したが、途中では中華人民共和国の「義勇兵(中国側は正規軍と認めていない)」の大量投入などもあり、アメリカにとって、共産主義の南進は、悪夢のシナリオの一つになった。また、当時の南北朝鮮のGDPは、北の方が南より高かった。このような状況から、共産主義有利と言う声にも、ある程度の説得力があったのが、1950年代である。

ここで日本の総理大臣としての吉田茂の、あくどいばかりの行政手法が発揮される。なお、上で書いた、共産主義有利の説得力と言う話には、一つの裏話がある。旧陸軍の指導者たちで、生き残った者たちの一部は、戦後も色々と活動をしている。彼らは、種々の問題点はあるにしろある程度は有能な者である。彼らの一部は、反米の立場で、ソ連や共産中国に接触しようとした。そして、共産主義の実態を見て、「これでは行き詰る。」と判断し、親米路線に舵を切っている。

上記のような状況で、共産主義有利と言う意見を持つのは、現実を見ない理論家か、中国やシベリアで戦争捕虜として抑留され、洗脳を受けた者が主体となっていた。抑留者の中でも、共産主義に協力的な者は、優先的に日本に返されたと聞く。

さて、吉田茂の腹芸に話を戻す。上記のように、現実をきちんと見ると、
  「資本主義の方がまし」
と言う結果が出てしまう。しかしそうなってしまうと、日本と言う国はアメリカ追従の完全に言うことを聞く国とアメリカに見られて、どこまで要求されるかわからない。

そこで吉田茂のやったことは、社会党などに、「理想主義に走る」ように炊きつけたのである。ある程度の日本人は、「ソ連万歳」と叫んでいる。このような状況を作って、何とか資本主義陣営に留まるように、日本の経済復興を支援することが、アメリカの利益になると、訴えたのである。更に、逆の面では、憲法9条の思想を重視し、朝鮮戦争への正規参加を免れるという、かじ取りをした。

ここで吉田茂の行った、『ソ連万歳、共産主義万歳』部隊の育成は、現実を見ずに、理論的なモノだけで突っ走る、左翼的知識人を育成することになる。

知識有るものは、一度はマルクスにかぶれる、と言うのがこの時代の流れであった。

こうして、現実を見ずに理論だけで走ることで、またもや「空気」が暴れまわる世界ができていく。

科学万能

太平洋戦争での敗戦は、科学技術での敗戦である。これは、色々な人が言っている。確かに、レーダーも有効に実用化されなかったし、潜水艦を探す超音波探知装置もなかった。これを象徴して、「(1万メートルの航空を悠々と飛ぶ)B29を竹やりで落とす。」といった話まで伝わっている。実際地域の婦人会などの竹やり訓練では、「これでB29を落とせ」と掛け声をかけた人間もいたらしい。

この反省から、戦後の日本の工業化では、科学技術の基礎をきちんとするという方向で動いていた。特に品質の良い鉄の供給に力を入れたことは、文字通りの基盤がしっかりしたことになった。第2次大戦中の、飛行機のベアリングは、パチンコ玉より精度が悪かったり、燃料配管の気化ガス漏れは日常茶飯事だったらしい。このような細部を詰める物作りをしたから、現在の物づくり大国になっている。

さて、ここで科学重視の流れから、もう少し副産物ができている。これは、科学教育の重視であり、特に一般向けの啓発書籍などの発売である。このような流れとして、光文社のカッパブックスが切り開いた、大衆向け新書市場の効果は大きかった。

ただし、カッパブックスなどの大衆向け新書の副作用も、もう一度考え直すべきではないかと思う。大衆向けの解説書では、解りやすさを重視し、厳密な理論展開や、広範な検討をどこかで忘れてしまう面がある。私も、高校生時代などにカッパブックスをたくさん読んだので、その弊害がかなりあったように思う。

今回は、一つの事例として、
  藤本正雄『催眠術入門 - あなたも心理操縦ができる』(1959年)
について少し考えてみた。この本は、催眠術に関して当時の入門書として、多くの人に影響を与えた。この中に、「白隠禅師の内観法と軟酥の法」を、自己催眠の手法として紹介している。確かに、自己催眠の要素は、これらの方法にはある。しかし、宗教的な修行で行う多くの側面を無視している。

単に自己催眠として、軟酥の法をおこなえば、健康上にはそれなりの効果が出るだろう。しかし、そのような行を下手に行うと、潜在意識の暴走などが発生する。臨済宗の禅の修行な中で行うなら、このような暴走対策はできているが、科学的と切り離してしまったため対応ができなくなった面がある。
このような知識の断片の暴走も、「空気」につながっていったと思う。

SFの影響

このシリーズでは、少し脱線気味ではあるが、戦後の科学技術偏重の「空気」を、煽ったものとして、SF(サイエンスフィクション)の普及がある。まず、A.C.クラークとR.ハインラインの青少年向けが翻訳された。そして、創元SF文庫やハヤカワSFシリーズが、多くの名作を普及させていく。これらが、60年代~70年代の少年たちに大きな影響を与えた。

この中でも、大きな影響を与えたのが、アイザック・アシモフのファウンデーションシリーズ(翻訳では「銀河帝国の興亡」シリーズ)と、E.E.スミスのレンズマンシリーズである。両者は、ある意味荒唐無稽な部分はあったが、科学技術の勝者による世界支配、と言う信念を若い世代に植え付けることには、かなり成功した。
また世界を、ある種の能力者が、支配するという発想も両者に共通した。 これを信じた、先にあるのが、オウム真理教の暴走であったように思う。

革新勢力

第2次大戦後の「革新」勢力の特異性について考えたい。第2次大戦後の、日本における革新勢力は、マルクス主義の流れを汲んでいる。共産主義か社会主義のどちらの系統になっても、マルクスと言う教科書がある。

さて、保守と革新の本質について、もう少し考えてみよう。フランス革命の議会の配置に始まる、右翼(=保守派)と左翼(=革新派)と言う言葉の理解は、各人の解釈によってかなりの広がりがある。ここでの定義は以下のとおりである。

 1)革新:理想としている社会に急速に近づけよとする動き
 2)保守:現在の社会を全体的に見て良さを残し、漸進的に改善する動き

ここで、革新の動きには、目的とする「社会の理想像」が必要、と言う点に注意してほしい。

このような理想像を、誰が描くかという点で、急進的な改革は3つぐらいのパターンを挙げることができる。

 1)マルクス主義のような理論的な検討による理想像
 2)小説家の創造力(想像力)で描く理想像
 3)宗教的指導者の描く理想像

特に、1)の場合には、科学的な「根拠」が存在し、しかも学校教育などまで巻き込むから、現実の裏付けなしの「空気」が暴走する結果となりやすい。これは、卵と鶏の関係であるが

「空気」が発生しやすいから
学校教育で学んだ『マルクス主義』を信じて
左翼に走る人間も多く発生した

という見方もできる。このような、学問的な「裏付け?」のある場合には、ディベート的な討論も上手になり、多くの知識人を説得するなどと言う場面も出てくる。

このような左翼を、根本から打ち砕くには、現実の事例しかなかった。「北朝鮮は理想の国」などと言う政党が、1990年代にまで、大きな顔をして存在した。これを砕くには、拉致事件の存在を認める、小泉訪朝が必要であった。

さて、2)に関しては、上記のマルク主義の崩壊後、東京都知事や、大阪維新の会に、その影響が見える。しかしどちらも、保守勢力に負けているようである。

なお、宗教的指導者の理想像に関しては、日本の宗教感覚が、政治的権力を排除する方向に向かうようなので、ある程度の限界があるように思う。公明党がいかに自民党の下請け機関に取込まれたか、これは一つの検討課題だと思う。

少し脱線したが、マルクス主義の崩壊までは、日本は教科書的な知識による、理想社会と言う「空気」がかなり力が在ったことは認識してほしい。

補足

明治維新から、戦後の冷戦時代までを通して、わが国における「空気」について色々と考えてきた。今日は、戦後の知識人の作った「空気」の、一つの悪影響について考えてみたい。今回取り上げる題材は、神戸連続殺傷事件犯人が書いた「絶歌」問題に影響を受けている。なお、私は「絶歌」は読んでいない立場での論評であることは、あらかじめ断っておく。

この問題に関しては、色々な切り口があると思うが、一つの切り口は、犯罪者の保護と、被害者・関係者への保護のアンバランス問題である。罪もない子供の命を残虐な方法で奪った者は、「少年A」とプライバシーの保護がされている。一方、被害者関係者は、実名報道など色々な2次被害・3次被害にあっている。このアンバランスに加えて、同書では犯罪者の厚生に対し、色々なケアが行われていたことも記述されていると聞いた。

この話を聞けば、被害者の側に対するケアとのアンバランスに、納得のいかないものを感じるのは、私だけであろうか?もっと言えば、オウム真理教の麻原彰晃の家族は、当時10代の子供まで、実名報道にさらされている。刃物で人を殺した、「少年A」は、保護されて、親の犯罪に巻き込まれた、松本XXはさらしてよいのだろうか。

ここで考えるに、戦後の長い間、犯罪被害者の人権は大きく無視されていたと思う。特に、人間が普通に持つ『復讐権』を奪われてきた。いわゆる人権派の弁護士の、死刑反対の弁論には、死刑を求める人たちや裁判員に
  「あなた方が殺す」
と言う論法で、プレッシャーを与えてきた例もある。これは、復讐権を抑圧された上、「お前も人殺し」と2重の責め苦を与えるようなものである。

今取り上げた話が、戦後の「空気」問題と、どのように関係するか、疑問に思われた方もいるだろう。私が言いたいのは、この「犯罪者の人権」などの、一面だけに偏った主張は、戦後の進歩的知識人に特に強いということである。

このように全体を見ずに、自分の切り出した根拠から、論理を組み立てて主張する。このような、「知識人社会のルール」が大きな力を持ったのは、戦後社会の特徴だと思う。このような形で、理論の力が暴走し「空気」を作ったのが戦後社会だったと思う。

なお、欧米と日本での「空気」のでき方に於いて、一つ大きな違いがある。欧米のキリスト教などの文明では、「神様の世界」は到達不可能であり、人間は部分的な知識しかない。此の応用として、広場で色々な意見を戦わせ、多面的な見方をしていくという発想もある。

一方、日本では仏教の「あるべきようは」「即身成仏」「円頓止観」と言う思想があり、全体を知る立場の人がどこかにいるという信仰がある。従って、強気で発言する人に、盲従する人間が出てくる。この部分にも「空気」発生の一因があると思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?