多面的な見方から本質を観る
私達は、意識していないが、学校教育などを通じて、西洋文明の影響も、多く受けています。その一つに、古代ギリシャの哲学の影響、特にプラトンの「洞窟の比喩」の影響があります。つまり
私達は束縛され真実を見ることはできない
今見ているものは影絵でしかない
という発想です。これは、マックス・ヴェーバーの「職業としての学問」でも引用されるほど、現在の「科学的思考」に影響を与えています。
しかしながら、日本に育った私達には、大乗仏教などの影響も、色々と受けています。大乗仏教でも
今ある教えは方便
と
本質を見ていない
という否定的な教えはあります。しかしながら
見方を変える自由
を、私たち認める点が異なっています。
こうした
多様な見方で本質に迫る
発想は使えると思います。
例えば、大日経の十縁生句でも
「幻」は呪術や薬の効果 すぐ消える
「陽炎」は人の妄想で生まれたもの 本体は空
「夢」は覚めれば消える 真言の修行中の感覚も同じ
鏡に映る「影」は自分のモノではない 修行中に得たつもりのモノ
「乾闥婆城」(蜃気楼)のような修行成果に執着してはいけない
色々の「響」は真言に応じて起こる
「水に月が映る」ように、仏の力が自らに映るが、水中の月を取ろうとすると溺れる
天の雨が水に落ちて水面に種々の「浮泡」ができる 仏の力は多様なモノ 真言の修行者はこうした自らの心に起こる浄心を観る
妄想で生じる「虚空の華」を正しく見抜き、空とみる
闇夜に松明を回す「旋火輪」は輪の形の残像を残す
真言行者は真言の効果、観想の効果を、無相の理と悟る
と言う風に、修行中に出てくる、色々な「神秘体験」に捕らわれず、しかも本質に向かうように教えています。
こうした多面的な見方で、影絵を突き合わせ
自分の力でそのものを再構成
する方法は、本質に迫る一方法だと思います。
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