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科学的知識の弊害

私達は

科学的知識は真理
見ているモノは事実

と思うことが多いでしょう。しかしここで、西田哲学の発想で考えると別の見え方が出てきます。

西田哲学の個物と一般者の発想で考えると

一般者で成立する法則は
その状況で成立するモノ

という風に、相対化して

科学絶対の思い込み

から自由に動けます。

さて、上で指摘した

見ているモノは事実

と言う思い込みに対しても

知識による制限・偏見

の危険性を見ます。科学的な規則性の成立は

ある種の理想化によるモデル

の上で成立します。これが、逆に

見えるモノを制約する

可能性があります。例えば、労働者の動機付けに関して

金銭面での評価

での議論は、ある程度説得力のあるモデルになります。しかし、このモデルを全てと思い込むと

感情面や人間関係要素を見落とす

危険性があります。

このように

自分の知識の範囲で見る

危険性も考える必要があります。コペルニクスが地動説を考えたときにも

地球の軌道は円運動

と言う考えに捕らわれました。ティコ・ブラーエの膨大なデータを引き継いだケプラーが

円を捨て楕円運動

で理論を作るまで、この発想は続きます。
ヨハネス・ケプラー - Wikipedia

こうした

知識が見せるモノは
現実の切り取り

と言う危険性をよく考える必要があります。


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