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人を幸せにしない「地位向上」

世の中には

立身出世

と言うように

地位向上
人の羨む立場

を目的とする人がいます。しかしながら、この様な

出世主義

は、本当に幸せになるのでしょうか?

この問題は、多くの組織に於いて

動機付けに地位向上を使う

と言う手法が根底にあります。もっと言えば、明治以降の日本の教育には

成功して良い地位に

と言う方向付けが有りました。しかしながら、こうした動機付けを行ったときには

今の地位に安住させない

と言う仕組みが必要になります。つまり

既得権益に胡座をかく

人間を排除しないと、自転車のように停まりこけていきます。

そこで、このような動機付けをするときには

更に上をめざす
上級者には地位の細分

と言う手法を採ります。

特に、地位が上になるような

出世欲が強い

人は、こうした微細な違いに敏感いなってしまいます。

従って

他人から見るとよい地位
でも
本人には不満

と言う状況が起こるのです。

ある元官僚が

財務省に入ってもXX部門は
主流でないので不満が多い

と言っていました。他の人が羨むキャリア官僚の花形省庁、しかしその中でも、ランク付けがあり、不満が起こるのです。こうした上位者の不満は、力があり、今まで努力しただけに、大きなモノとなります。

歴史を見れば、明治維新の時に、徳川御三家の内、尾張藩が新政府に協力的でした。これは、御三家の紀州藩から将軍が出たが、尾張藩から出ていない。つまり、紀州に尾張は負けた。この怨みが、新政府に協力的になったのでしょう。外から見れば、将軍に次ぐ御三家でも、その中での不満は大きかったのです。

このように考えると

地位が上になると益々不幸

と言う状況もあると思います。

もっともこれは、出世できない人間の

酸っぱいブドウ

かもしれません。

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