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清涼寺

秋になり、友人達と嵐山へ行く事になりました。
嵐山は20年以上前に一度行ったきりだったので楽しみにしていました。
そんな中、あるお寺で頂いた冊子に目を通していると、清涼寺で阿弥陀三尊が特別公開中との知らせを見つけました。
とはいえ、友人達が興味があるかどうかもよく分からなかったので、当日の流れに任せようと決め込んでみました。
予定のスケジュール調整も上手くいき、無事に当日を迎えました。

冊子を見てから日が経っていたこともあり、私の記憶も朧げになっていて、心のどこかでは改めて来てもいいなと思っていたのですが…

気がつけば、トントントンと、清涼寺の近くへ向かっていたのです。
提案してみると「行こうか」ということになり、拝観することができました。

清涼寺の前身は、源融が嵯峨天皇から嵯峨院の地所一部を賜り、別荘として棲霞観を建て、晩年を過ごしたところです。
生前に阿弥陀三尊の造立を請願するものの、完成前に亡くなり、子息が完成させ寺にしました。
像は源融に似せて造られたともいわれています。国宝です。

後年、東大寺の僧奝然が、三国伝来の生身のお釈迦様として拝される尊像(釈迦37歳の生き姿を刻んだものを模刻したもの)を持ち帰り、ここに安置したことから釈迦堂とも呼ばれるようになりました。

現在は、浄土宗 華厳宗(東大寺と同じ) 天台宗 真言宗の寺院となっています。

そして、源氏物語作中にも、ここと思われる院が登場します。
源融が晩年に此処に住んでいたことも、源氏物語の中で使われていたことも、参拝中に知ったのです。
知っていたのは、源融縁の阿弥陀三尊像があるということだけ。その阿弥陀様に会いたい一心でした。

阿弥陀様にも会え、境内でかなりのんびりと過ごしました。今思えば「ゆっくりしていきなさい」とでも言ってくださっていたかのような緩やかな時間でした。

後から調べて、思うところがたくさんある寺院さんだったので、友人達共々ご加護をいただけたら良いなと思いました。

普段の取材(下調べ)は、ひとりで赴く事が多いのですが、時々こうして友人や家族と訪れると、思いがけないことが起こる確率はかなり高いです。
それはやはり、色々なものが一緒に動くからだろうと思います。
どちらが良い、とは決めてなくて、その時々に応じて、それぞれの瞬間を味わっています。

将来的には取材にも同行者がいてくれたらという思いはありますが、きっともうしばらくは今のスタイルかなと思います。小さい歩みですが、自分の中では一歩一歩足元を固めている実感はあるのです。

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